「何もないよラーメンはあるけれど」2024年1月20日の日記

ミシェル・ビュトール『レペルトワールⅢ』を読みたい。「あらゆる批評は発明である」ってパンチラインすぎる。

池田瑛紗(乃木坂46)のブログのタイトルが「こういうのでいいんだよおじさん」でアツかった。てれぱんが内面化している「おじさん」が自らのブログに「これでいいんだよ」と言い、さらに、それを私が「これでいいんだよ」と言う謎の入れ子構造になっている。

ファストな速度感でスローなメディアの開設が決定しました。メルキド出版さんが誘ってくださったので、私もなにか記事を書きます。おそらく再注目された「ファスト風土」の問題と、安原まひろさんのツイートがきっかけで議論になった「道産子ギャルはなまらめんこい」や、同じく北海道を舞台にした「スナックバス江」、広島県尾道市を舞台にした「ぽんのみち」など、地方が舞台の冬アニメを関連づけて論じるものになりそう。

「stone」と「note」のアナグラム感が良い。

鮎川ぱて『ボーカロイド音楽論』を読みたい。共有してもらったので、改めて読むと、時間的なイメージから空間的なイメージに急にハンドルを切っていて、我ながら謎のテクストだった。自らの思考を解体してみる。遵守しなければいけない時間感覚がある。そのような主張を私は批判するし、そもそも無理な願いだと考える。抵抗するためにオルタナティブな速度について検討する。あるいは、アニメ批評において、物語でなく画面を論じる際、私たちは一時停止せざるを得ない。そこに時間は存在するのだろうか。あるいは、言葉を尽くしても、ある時間の流れを再現できないのなら、遵守すべき時間感覚など存在しないことが理解できるだろう。絶対視され、均質化された作品の一部に、美術館女子やエコテロリストのような鑑賞者や外部を立ち顕せるアプローチを考えたいというわけだ。誰がそれを観ていて、どこまでが作品なのか。おそらく、このようなことを考えている先達は少なくないだろうな。とにかく、勉強していきたい。

アニメ「ぽんのみち」第3話まで観た。私は広島市出身で広島弁が聞けるというだけで観始めたが、この作品を通して考えることが多くあり、面白い。オープニング主題歌の歌詞「何にもないよ何もないよ/ラーメンはあるけれど」という歌詞が批評的だ。「日常」と麻雀にかかっているのだと思うが、ポップに「何にもないよ」と歌っているのが良い。


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