三題噺「帽子 ドロップ 土砂降り」

Twitter(現X)でお題をもらって書いてみました。
三題噺で何度も書き直すのもあれだと思ったので、書いたやつをそのまま出します。
めちゃくちゃアドリブで書いたので、読みにくかったらご容赦を
※誤字誤用に関しては後から書き直します。


 何もない人生、というものが、ある。
 善いも悪いもそこそこで、得るも失うも帳尻が合い、前進も後退もなあなあに物事が移ろう。
 私の人生のことである。
 曲がり角で転校生とぶつからないし、呪われた血族なんかじゃない、両親の再婚を機に同じクラスのあいつと同居することになんてならない。そもそも私の両親の関係は良好だ。
 波乱、というものにおおよそ無縁な人生だった。そして順風とも、それはそうだった。
 だから目下私の悩み事とと言えば、アスファルトに衝突を繰り返すこの雨粒たちぐらいだった。

 なんで忘れてしまったのだろう。天気予報で降水確率はちゃんと知っていたのに。
 大粒の滴たちが、その命を決して突撃していくのをしり目に、そんな意味のない疑問を思い浮かべる。
 携帯で調べてみたところ、大体一時間ほどでこの雨は止むらしいのだが、だからと言ってこの無為な時間がプラスになるというわけではない。持っている小説の続きでも読もうかとも思ったが、降り込んできた雨でぬれてしまったら嫌だし、なにより「大雨の中、昇降口で文庫本を読んでいる」というのが周囲から気取っているように見えてしまったらと思うと、とてもそんな気にはならなかった。
 所在なさげにぼうっとしていると、雨粒の一つ一つとその軌跡が段々とたくさんの線に見えてきた。その様子が漫画で見る雨の表現そのままで、少しだけ面白い。
 そういえば。
 こういう話を誰かとしたことがある気がする。
 確か小学校の低学年くらいの頃。
 だめだ、思い出せない
 もどかしくなった私は、ポケットに乱暴に手を突っ込むことで気をそらした。
「ん?」
 と声がでる。ポケットの中に何やらいつもと違う感触があった。
 つかみづらい位置にまで潜り込んでしまっているようだったので、スカートの腰に近い部分の布を右手で引き上げ、届くところに来たその「何か」をつかむ。
 そこにあったのは、黒飴だった。
 ああ、そうだそうだ。二週間ほど前に、入院している祖母のお見舞いに行ったときに、もらったのだった。
 というか、二週間も入れっぱなしだったのか。ということは、最低でも二回は洗濯されているはずだ。
「食べられるかな」
 なんて、また声が出る。放課後に一人きり、それも雨であまり音が聞こえないということもあって、油断しているのかもしれない。
 個包装だとは言え、洗濯に二回も晒されても中に染みない者なのだろうか。いつもなら捨ててもいいのだが、祖母からもらったものだ、そういうことはできるだけしたくない。
 匂いを嗅いでみる。柔軟剤の匂いがした。
 黒飴の匂いが全くしないということは、この包装には穴が開いていないということで、そういうことなら中身は無事なのだから食べても大丈夫なのだろうか。ああ、でも普通に柔軟剤の匂いが強すぎるだけという可能性もある。
 何をしょうもないことで悩んでいるのだろう。
 悩むならもっと大きなことで悩みたい。好きな作家の小説で見たあれとか、今人気の漫画で見たあれとか、明後日最終回を迎えるドラマのあれとかか、とにかく人生の大きな山や谷について、全力で悩みたい。
 もし私が物語の主人公だったら、今このしょうもない逡巡の間にどこかへ飛んで行ってしまっていた小学校低学年の話を思い出し、その時に思い出を持って何かしらの成長を見せていたのだと思う。それがこの体たらく。
 ああ、もう。
 結局小学校低学年の話も同じクラスで漫画が好きだった田中君がどうたらとかそんな話だろう。っていうか絶対そうだ。田中君はそういう所があった。丸坊主の野球少年のくせにどこかロマンチックで大人ぶっていた田中君が頭に浮かぶ。ああ、なんだか腹が立ってきた。
 きれいな頭の形をした田中君のシルエットと、包装の上から触ってなんとなく分かる黒飴の輪郭とが重なって見えた。
 ああ、もうこの黒飴を食べてしまおう。ごめん。田中君。八つ当たりです。
 包装のギザギザの部分から切り開け、中の黒い球体を口の中に放り込む。
 その瞬間、若干の苦みとおよそ食に適さないフローラルが口の中に広がった。急激に口の中を支配する不快感。そして拒否反応。

 高校二年生、青木 弥春 の口から黒飴が飛び出した。

 口から飛び出た黒飴は緩やかな放物線を描いて、雨の中に突撃していった。
 雨の中に飴が。みたいなくだらない思考は一切浮かばなかった。
 そういえば滴は英語でドロップだし、飴もドロップとも言うな。みたいなことは、残念ながら考えていた。
 ああ、いやだ。なまじ黒飴だから雨の中にあってもどこにあるかよく分かる。
 ほんのりとした苦みと過剰なフローラル、そして私の羞恥を孕んだ黒飴が、その形も相まって海戦のさなかの砲弾のように私から離れていく――なんだか恋の比喩みたいだな。
 着弾点は恐らく数メートル先のぬかるみ。
 まるでコマ送りかのようにゆっくりと、その瞬間を目の当たりにした。
 ドロップがドロップの中でドロップした。
 
 あ、あれだ。野球の変化球にもドロップというものがあったな。

「ドロップカーブ覚えた!! 」
 登校の時、お気に入りのキャップを被った田中君が大きな声でそんなことを言っていた。”ドロップ”という言葉の意味やその掛詞も、確かその時に言っていた。前日に必死に調べたのだろう。暗記したものを読み上げるようなその言い方で、何となくそれは察せられた。
 どうやら放課後のクラブチームの練習でそれをお披露目するらしい。
 私は「じゃあ、私が見る機会はないな」なんて、今思うと冷たいことを考えていた。
 ぽつり。
 と水滴が鼻の頭に当たる。
 上を見上げると、今のを皮切りとしたかのように勢いを増した水滴たちがこちらを目がげて降下してきた。
 
 なんで今こんなことを思い出したのだろう。
 水はけが悪いグラウンドだから今日の練習はきっと休みだと落ち込む田中君の姿も、思い出した。
 結局田中君が言っていたドロップカーブは見れずじまいだった。
 頭の中の田中君は、あの時のまま。あの帽子を被ったまま。変化球を見せてくれなかったままだ。
 私は今しがた落とした飴玉を、ポケットティッシュで包みながら拾い上げた。屋根のある範囲から出たので、背中がそれなりに濡れてしまったが、あまり気にならない。
 雨を手に持ったまま、また屋根の下に戻ろうと数歩進んだが、足が止まった。

 そういえば、まだ手を合わせていなかった。
 あの川に、献花に言ってなかった。
 田中君のお父さんとお母さんに、私しか知らない田中君のことを話していなかった。
 田中君に、「その帽子、あんまり似合ってないね」って言ってなかった。

 額に当たり、目の窪みを通り、唇を伝って、顎先から落ちた滴に、現実味がない。
 善いことも、悪いことも、特にない。
 私には、特にない。
 家族でもない私が、居なくなった人に心を動かすことは、なんだかとても傲慢な気がするから。だから、悪いこともないのだ。私には。
 何度も口を結んだまま繰り返したこの言葉を、流れる滴に沿ってもう一度繰り返す。

 今週、また祖母のお見舞いに行く。
 
 
 
 


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