14回目の8月31日

ミクさんにとっては16回目、私にとっては14回目。
出会いのきっかけは私の心の石碑に書き記しておくが、私がボーカロイドに出会ったのは中学生の頃だった。

人柱アリスでKAITOの声を初めて聞いた。一目惚れだった。
何だこの声は。カエルみたいで間抜けで面白い。それが第一印象だった。もっと知りたくなった。
いろいろな動画を見ていくうちに、KAITOの歌声は私を初音ミクへといざなった。
のちに私の音楽の嗜好の骨子になった、OSTER project氏との音楽的な出会いにつながる。

ミラクルペイントを聞いて、急いでGEOでジャズアルバムを借りた。
もらっていたお小遣いでジャズベストなど、とにかく曲数が多いものを借りて好きなアーティストを夢中で探した。
今思えば少ないお小遣いで探すにはインターネットこそが便利だった。やる夫で学ぶJAZZや、やる夫で学ぶモダン・ジャズなど、初めてジャズを聞く人に向けた創作物も知っていたが、DSiからのアクセスではアーティスト名くらいしかわかるものがなかった。必死にメモして、アルバムの裏に書いてある英単語をじっくり探したのを覚えている。
それに、アーティストの名前を見てもピンとこないピヨピヨの中学生だったのでCDで聞くことが一番間違いがなかった。耳を育てたり、調べる力を育てるという面でこれは一番役に立った。
当時聞いていた音源とは違うが、一番お気に入りのナンバーを紹介しよう。ビル・エヴァンスとモニカ・ゼタールンドによるワルツ・フォー・デビイだ。


クラシックばかりでたくさんとは言えないが、当時中学生だった私は、ミラクルペイントを聞いたおかげで、OSTER project氏の音楽を聞いたおかげで、ジャズのような音楽がずっと聞きたかったことに気付かされた。
スーパードンキーコング2のデビッド・ワイズ氏や、任天堂の近藤浩治氏。今思えば、ジャズのおおもととなったラグタイムにふれるきっかけを与えてくれたのはゲーム音楽だった。
OSTER project氏が今は亡きmuzieでたくさんインストを公開されていた頃のことだ。ふと気づいたのはフラッシュゲーム『Dancing☆Onigiri』。私はこのゲームですでにOSTERproject氏と音楽的出会いを果たしていたのだ。運命かと思った。大好きだったゲームで曲を使われていた人がボーカロイドを使って作曲している。こんな出会いは二度とないと中学生ながらに感涙した。何度も何度も泣いた。聞けることが嬉しくて、もっと知りたいと思えばいろんな音楽的観点も見えてくる。とにかく楽しかった。
ジャズやOSTER project氏の音楽が、私のこれまでの穴が空いた人生の場面というビーズに糸を通してくれた。その糸の名前はボーカロイドという名前の声だった。
ありがとう、デビッド・ワイズ氏。ありがとう。近藤浩治氏。ありがとう、OSTER project氏。ありがとう、かいと。ありがとう、初音ミク。




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