見出し画像

【自称】ポリアモリー(複数恋愛者)の生き方

 みなさんはポリアモリーという言葉を聞いたことがあるか。

 goo辞書によると、 

《「複数」を意味するギリシア語の poly と「愛」を意味するラテン語の amor を合わせた造語》同時に複数の人と交際する恋愛関係。当事者全員が合意した、誠実で継続的な関係をいう。

と、定義されている。とどのつまり、複数人と同意の上で交際している状態を表す。

 私は、【自称: ポリアモリー】である。なぜ、自称が抜けないのか。交際している女性たちは、理解してくれてはいるものの、快くは思っていないからだ。親類からの目、友人からの目、世間からの目、ありとあらゆる人たちからジャッジをされる日本の現代社会において、私のような人間は息苦しさを感じる。まぁ、今滞在している国でも世間からの目は変わらないが。

 私が複数の女性を好きだ。と感じるようになったのは、幼稚園児の頃からだ。自分で言うのも何だが、他の園児に比べ、容姿も運動も勉強も優れていた私はそこそこモテていた。好きと伝えてくれた女の子たちに、「ぼくも〇〇ちゃんと▫️▫️ちゃんのこと好きだよ」と伝えると、「どっちが好きか選ばないといけないんだよ」と言われたことを鮮明に覚えている。周りの空気感を感じ、「でも、ぼくは2人ともちゃんと好きなんだ」
とは、言えなかった。

 小学生に上がった頃、私のことを好いてくれる女の子がいた。クラス全員がそのことを知っており、私自身も彼女のことが好きだった。しかし、私にはもう1人好きな子がいた。それを好いてくれていた女の子に伝えると、「女好き」とあだ名をつけられ、クラス内で毎日言われる生活が続いた。

 学区の離れた私立中学に進んだ私は、幸いにも好きな人と交際することができた。とてもタイプだったし、大好きだった。なのに、目移りしてしまいそうになる。これは病気なのか。それとも、思春期男子特有の感情なのか。彼女への罪悪感に苛まれつづけた。

 高校生に上がると、中学生の時に交際していた子とは別れ、違う彼女ができた。とても誠実で優しい女の子だった。大好きだし、大切にしたい。と心から思っていた。しかし、高2の夏、地元の女の子とも交際を始めた。所謂、二股と呼ばれる最低な行為だ。罪悪感に耐えられず、2人に対してカミングアウトをした。私のために彼女たちは我慢をして、両方と付き合うことを承諾してくれた。その結果、片方の女の子は精神を病み、現在深い夜の世界に堕ちていってしまった。誠実で優しく、可愛らしい良い子だったのに。

 某有名私立大学に入ると、日本の大学生特有の"遊びの関係"が蔓延していた。付き合わず、複数人と繋がれる。誰かを傷つけることは少なくなったが、自分自身は虚を感じる日々を過ごすようになった。1年生の冬、憧れていた先輩に告白され、付き合うことになった。彼女はとても大人で、"君は遊び盛りだろうから、他の女の子と遊んでも良いよ。その代わり、私の元に帰っておいで"と言ってくれた。高校時代の後輩とも付き合い、数多の外国人と関係を持った。先輩はどんどんやつれていき、温厚だった彼女も攻撃的な言動をするようになった。

 海外大学に逃げた。現在は、4人の外国人女性が私と交際してくれている。彼女たちも苦しみながら、私のことを理解してくれている。たまに彼女たちの精神が不安定になり、フライパンで殴られたり、包丁を向けられたり、私の大事な持ち物を高層階から投げられたこともあった。それでも、彼女たちひとりひとりを好いているし、みんなを大切にしたいと考えてしまう。

愛情に飢えているのかい?と聞かれることもあるが、家庭環境は良好だし、寧ろ親からたくさんの愛情を注いでもらってきた。なぜなのか。

ぼくは病気なのかな? 

 ふと自分に問いかけることがある。恋愛依存症なのか、それともまた違うものなのか。少なくとも、彼女たちの人生に深い傷を負わせてきたことは事実である。

 でもぼくは思うんだ。好きという言葉の定義をなぜ他の人と比べないといけないの?付き合うってなぜ男女2人じゃなきゃダメなの?恋愛の形って十人十色じゃないの?

でもまぁ、現にぼくと付き合う女の子は心を消耗していってしまうもんね。仕方ないよ。ぼくが変わらなきゃ。

 私は心の中でそう思いながら、今日も変わらずTinderでスワイプする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?