安倍政治とは何だったのか

一周忌を迎え、日本文化チャンネル桜にて以上のテーマで討論がなされた。意外と未だ冷静に語られる事のないテーマだと思った。安倍さんが行った個別の具体的諸政策について、主観性をなるだけ排除しようと努めた客観的評価を僕は政治的言論人からまだ聞いた事が殆どないような気がする。聴衆が実際納得するかは別として納得するような理由が添えられていた事は尚更無かったように思う。何か知的に喋っているようでいてよくよく蓋を開けてみると実は思い思いにそれぞれが好き勝手言っているだけだ。それだから右から左まで行って帰って来るほど意見に差があるのだろう。彼等の頭には共通理解を得ようなんて高尚な考えは存在しない。これは真面目ではない上、粘り強さもない大きな証拠となろう。言葉を変えれば猿同然と言えようか。だから僕は政治的言論人が嫌いなのだ。
彼等は兎に角分かりやすく発言しないと聴衆の支持を取り付ける事は出来ないと考えているのだろうか。若しくはただ頭の中が単純なだけだからか僕にはよく分からない。
彼等が本当の意味で冷静に議論した事は一度もない。議論というのは意見の修整、より高い次元における事実認識を目的とした意見の応酬を意味する。彼等がやっている事は…繰り返すが意見の“表明”に過ぎない。
だから結局のところ、日本の庶民は本当のところが何時までも分からないままだし(僕だって自信ない)、やれる事と言ったら手を合わせるだけである。
人間には感情が存在する。客観的なんて事は実は何一つ存在していなくて、全部主観的なのであって、だとしたら自分の方が間違えているのかもしれない。共通理解とは大人にだって難しい概念であると十分言えそうだ。どの口で子供に「喧嘩は良くないよ」と言えようか。安倍さんを語るつもりが全然入口の部分でストップしてしまった。でも本当はこれで良いのである。何にも認識の無い所で意見を積み上げてもそれは結局砂上の楼閣だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?