妄想する男8

僕の頭の中に今、ある具体的なYouTuberの姿が思い浮かんでいる。それは家族で出演する人達であった。具体的には父、長女、次女の構成であって、配信内容はある主張の伴うものであったとだけ言っておこう。
まず僕はその家族構成に言及した訳だが、以前であったら見過ごしていたポイントであった。それを見過ごさなくなった点に僕の成長が見受けられる。
この家族は皆んな同じ方向を向いていた。というのは、家族揃って同じ様な主張をしていたという事である。そもそも僕だったら決して親とはYouTubeなんかに出演しないのであるが、実際今の時代に有り得ていたのだから驚きだ。それが幾ら正論であろうとも自分は恥ずかしくって出来ない。出来ないが、冷やかそうとするのであればそれはあまりにひねくれていると指摘されても仕方がないと思う。これが嘗ての日本的家族の結束力だったのだ。
別にどっちの姿勢が正しいとか言及するつもりは全くない。天と地ほど、世間に対する向き合い方が違うと思って驚いている内心をお伝えしたかったのだ。
僕がこのYouTuber連を話題に上げようと思ったのには前振りがプライベートに存在した。ある人…この際性別を明らかにするのは避けよう。別に他意はない。先入観なしで聞いて欲しいからそうするだけだ。この人は、眠れないからという理由で母親に深夜電話をかけて長時間話をするとの告白をやってのけたのである。僕を信じての告白であったのに、それをここで暴露するのは反則であろうか?いやそんな事はないだろう。全てが仄めかしに過ぎないし、当の本人は絶対にこの日記を読まないだろうからだ。そもそも、「自分の事が書かれた」と言って怒るからには後ろめたい理由が存在するからではないか。僕がこの様な前置きをするのは、幾ら匿名とは言え良心の呵責を覚えているからであろう。「だったら辞めろよ」と思うかもしれないが、これが物書きの端くれによる抑えられない欲求なのだ。薄っぺらな理屈を説明しただけでは詰まらない。なまの現実を曝してみたいのである。
現実と言ってみたのには我ながら笑ってしまう。僕の認識が現実だとお前は胸を張って言えるのか。そうと信じて貰えていないからこそ、最近読者離れが加速しているのではないか。ここで考えてもみて欲しい。少なくともこの時点で、僕と読者による2通りの現実認識が発生しているのである。当たり前だが、読者は一人の筈がなくて、人数分だけの現実認識が存在しているのだ。僕の意見が正しいとここで豪語する積りは別にない。ただ、この様な差異に対する危うさ脆さに注意を向けて発言している男の言葉は、多少なりとも他の人よりかは色を付けて見てくれても損はしないのでないかと感じるのである。僕をあの手この手で持ち上げ喜ばせようとするキャバクラ嬢の真意を、“目”の雰囲気を通じてなんとか覗き込んでやりたいとする“悪意”が僕には少なくとも存在するのだ。当然、これが人間のあるべき姿と言えないのは間違いないのだが…。
例の女性YouTuberも、僕がプライベートで出会った人も自分の親をその様な目で見ていたのかどうかは定かでない。結果として親と意見を同じくした事だけは確かであると思っているのだが、これは僕の妄想に過ぎないのだろうか…。というのも、身近なその人の言葉がその人の口を通じて出て来ているのは確かなんだが、前述した依存関係を垣間見た背景があって、どうしてもその人の親の(少なくとも身近な誰かの)意見や助言を聞かされている気がして仕方がないのである。だから僕からすると聞くに耐えない滑稽な、取るに足りないちっぽけな思想に基づくものであっても反論のしようがない。従って僕はただただ唖然としながら立ちすくむのである。コイツに言っても仕方がない、判断出来ないだろうと思いながら、全く見えない敵、問題はもう既にその人の親ですらなく、“思想”という名の病原菌なんだと言ったら言い過ぎであろうか。
そう、女性YouTuberやその人にも“思想”のベースが存在したからこそ、親の意見に納得したかもしれないのである(この危険は僕にとっても例外と言えない)。もういい歳なんだから、幾ら勉強不足とは言えども当の発言者本人に全くのお咎めなしとは言えないだろう。言えないだろうが、これが「赤信号皆んなで渡れば怖くない」の発想であって、なんなら、大多数の“良識ある”大人(実際は自身と親)が行き着いた意見だからこそこれが正義だと信じている節さえ感じるのである。でも大元の原因は近頃世間一般によく見受けられる流行り病に過ぎないのではないか。
ここまで僕が言うのは、YouTuber親子の主張に途中ついていけなくなった過去があったからで、何故変わってしまったのだろうかと思っていたからである。結局は、ある人達からお金を貰ってしまったのかなと勝手に思っている。始めから金目当てで家族出演がなされていた可能性も捨て切れないが、父は娘に「主張を続けるにもまずはお金が必要だ」とか何とか尤もらしく語って言い包めてしまったのではないか。
“悪意”によって“悪意”を排撃する。和を以て貴しとなす日本人には到底真似出来ない事ではあるのだが、流行り病的がん細胞を撃退する為には、家族的な田舎的な日本的な善良な細胞が多少死滅しようともと、考えるほどの頭はなかろうがセンスでもって対処しようとした男が居たって別に不思議な話ではない。

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