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HELLO WE ARE "DOKKA vivid" !

こんにちは!
株式会社DOKKA代表兼アップサイクルデザイナーの夏明豊です。
服飾学校在学中に幼なじみの菅内のど佳とブランドを立ち上げ、現在は東京を拠点に活動している23歳です。
コロナをきっかけに本格的に活動スタートし始めてから2年半、野生の勘で突き進んできた道を振り返ってみたら、なんだか面白いことになっていて。
こちらにブランドの裏話も交えた文章にまとめてみました。
これを読んだらもうあなたはDOKKAマスターです。
この物語は今もまだ続いていて、そこに求めている正解や答えはないかもしれません。この2年半分のぶつかった壁と、私たちなりの乗り越え方を書いた挑戦記録。
失敗も成功も、面白がってください!
何かのヒントに、勇気に変換して、読んでくれたあなたの心にスパイスよ、届け!!

Instagram: https://www.instagram.com/dokkavivid/


サステナブルをクリエイティブに爆発する

DOKKA vividの起ち上げ

マスをとるか、クリエイティブをとるか。
ブランドをスタートする当初から向き合い続けた2つの選択。
私たちが運営するDOKKA vividは、ファッションブランドと呼ぶには、少し特殊な立ち位置にある。
2020年4月、コロナ禍にDOKKA vividはマスクブランドとして販売をスタートした。
当時はまだ20歳の学生で、緊急事態宣言の真っ只中。授業も全て中断され、学校に限らず世の中の時間がすべて止まったような感覚があった。
メディアから流れてくる情報の中で、消費とサステナブルの2つの言葉がやたらと脳内にこびりつき、先の見えない不安からどんよりした空気が充満していたのをよく覚えている。
そんな中、私たちはブランドのスタートをきる。
あの特殊な状況は何もない私たちにとって希望のカケラだった。
すべてが止まってしまっている状況だったからこそ、何かやるなら今しかないと覚悟を決めることができたのかもしれない。まだ何も得ておらず、失うものもない。
世界の全てがフラットに見えた。

初めからファッションをやりたい気持ちはあったが、当時はおしゃれな服をきてワクワクしながらお出かけをする状況でもなかったので、ファッションブランドとしてのスタートは一旦諦め、一番需要があったマスクを作ることにした。
今思うと本能的にマーケットを意識した選択だったんじゃないかと思う。
何かするなら一番最初にすることが大事だと思い、1週間で商品企画からEC販売までこじつけた。自分たち2人の合意さえあればすぐに進められる。小さい規模だからこそできたスピード感だった。生地屋さんも工場もしまっていたが、服飾学校に通っていたので生産に必要な機材は家に揃っている。
自宅にあったハギレや着れなくなった古着など、生地に使えそうなものはなんでも使った。
この時にはじめて物を生み出す人間として、自分の周りの消費や物の価値などサステナブルの文脈を意識し始めたと思う。
物を作る側の責任のようなものを実感し、その先の消費について考え始めた。

(自粛期間でモデルが呼べなかったので、自分たちがモデルになってEC販売用の写真を実家の屋上で撮影した)

アップサイクルとサステナブルとNYコレクション

マスクの売れ行きは好調だった。
要らなくなってしまったものからでも価値を作ることができる。
自分たちの派手な私服に合うように、口紅の代わりに口元に彩を与えるというテーマで、アクセサリーのような感覚で付けられる派手でカラフルなマスクをリリースした。
暗い世の中にスパイスを与える存在でありたいという思いから、”Spice for your life.”というブランドコンセプトもこの時に誕生する。
ブランド運営に関する勉強も始め、1日に4〜5時間サブスクで動画を見て、気づいたことや大事だと感じたことをノートにまとめた。
使えそうだと感じた内容はすぐに実践し改善点を探して、また学ぶことを繰り返す。

マスクの生地は基本的にハギレだったので、その生地がなくなってしまえば同じものは作れない。
代わりに数量限定によるスペシャル感を強みに、夏は爽やかな限定色を使ったり、素材を薄めの生地に変えたり、季節に合わせた新作マスクを積極的に増やした。
売り切れてしまったものを含め、マスクのデザインは30種類にものぼった。
たった1つのマスクという商品の見せ方を突き詰め、ECサイトや百貨店でのPOPUPによって販売ルートを構築した。
ひたすらマスクを作り続けた1年だった。

翌年の2021年、私たちはファッションブランドとしてNYコレクションへの参加が決定する。
アジアの新人デザイナー発掘を目的としたコンテストに参加し、グランプリを獲得したからだ。

コロナ禍でずっと目に触れていた「サステナブル」がキーワードとなった。
実際にマスクなどの必需品が買えなくなって、ものは有限なのだと実感した経験と、メディアを通してファッションが産業廃棄物第2位であると知ったことも重なり、これからファッション業界を担うデザイナーの卵として、どのようにファッションに向き合うべきかを考えさせられた。

サステナブルファッションについていろいろ調べて見たものの、アースカラーで地味。可愛くて買いたい!と思うようなものはなかった。
好きを我慢して、環境に優しいものを買うのはなんだか違うなぁと感じた。
でも自分たちの作りたいものを、ただただ作ることに対しては罪悪感のようなものがあり、このままでいいのかを問い続けていた。
ものを生み出すのは悪なのか。
ファッションは私が私であるための一部で、鎧で、魔法だ。
ファッションが私にパワーを与えてくれた事実を無くしたくなかった。
サステナブルというとどうしても制限があるし、堅苦しいイメージがつきまとう。
自分たちが好きで可愛いと思う世界観を諦めたくない。だから、罪悪感なく自分たちも世界もHAPPYになるような、可愛くてカラフルで派手な新しいサステナブルファッションを2人で創り上げると決めた。

マスク製作の経験から、要らなくなったものからでも価値のあるものを作れるとわかったので、それをファッションに昇華しようと考えた。
要らなくなったものに新たに価値を与えて生まれ変わらせる、アップサイクルへの挑戦だ。
服1着1着を分解し見極め、何と合わせて構築するか。デザイン画も型紙もなく、全てその場の直感でデザインし形にしていく。
ライブ感覚のような一発勝負の製作は私たちの性分にとても合っていた。
それまで学んでいた服作りの手法とは全く違う形ではあるが、自分たちの魅力や楽しさがダイレクトに伝わる方法だと感じた。

私たちの、可愛いの先に地球に優しいものを作る挑戦は成功。サステナブルをファッション表現として、オリジナルの世界観に落とし込んだ点が評価され、2022年2月NYコレクションデビューを果たした。

(NYコレクションで発表したアップサイクルコレクション。古着を分解し、再構築して現代的にアップデートしたスタイルを提案した。)


循環型ブランドの誕生

消費との直面、生産販売の限界

学校を卒業しブランド運営をするにあたって、私たちはある問題に直面する。
消費者に向けた生産販売である。

NYで発表したアップサイクルコレクションは、すべて古着からできているので、同じものは作れない。
唯一無二の一点物の作品だ。
古着を分解し、再構築するという手法もかなり特殊であるため、量産する際に必要な型紙もなければ、古着に使われている60年前の生地も存在しない。
コレクションを完全再現したレプリカを作るためには、生地データを一から作成し、テキスタイルをつくるところから始めなければならない。
通常のアパレル生産ラインには乗せれないため、準備は困難を極めた。
また販売するにあたって、必ずついてまわる原価計算にも苦しめられた。
ビジネスパーソンにとっては当たり前の作業かもしれないが、ファスナー1本の値段も全て加味し、数字が羅列しているシートと数時間見つめ合う作業は苦痛でしかなかった。
脳みそが利益に支配され、クリエイティブする上での楽しさや直感が失われていくような感覚。
そして同時に疑問が湧いた。
「自分たちがしたかったことは本当にこれなのか?」
消費の先を考えていたはずが、結局消費されていくものをつくっている。
結果的に洋服のレプリカは形になったが、小ロット生産によるコスト問題や生産管理、人材面でのキャパシティなど様々な課題が残った。
コスト回収するために必死にマス向けに売れる物を考えようとすればするほど、自分たちの中にあるクリエイティブや世界観が薄れていった。
たとえ全国のお店に服が置かれ、大量に売れたとしてもそれを素直に喜ぶことはできるのだろうか。
物を作り、消費され終わっていく。
これを繰り返した先に未来は見えなかった。

今でもよく覚えている光景がある。
服飾学生時代目の当たりにした、某ハイブランドのファミリーセール。
そこにはネットで見ていたような、キラキラしてパリコレを歩いている洋服の姿などどこにもなく、ハンガーにもかけられず乱雑に散らばっている売れなかった洋服たち。
まるでゴミの山にしか見えなくて、すごくショックを受けたのを覚えている。
消費ってなんなんだろう。たくさんの人に売るってなんなんだろう。
ブランドの価値ってなんなんだろう。
「過剰供給」の現場を後にした私の頭の中には、たくさんのはてなマークが浮かんでいた。
クリエイティブが消耗されていく姿、あの光景を当たり前にはしたくなかった。
なんのために。誰のために。
数字の大きさが正義なのか。
もう一度「消費」と「価値」について考えなければならないと強く思った。

「売る」から「貸す」への転換

そこでマス、マーケット、業界の常識を一度無視してみることにした。
私たちのブランドには2つの背景があった。
「売る」と「貸す」である。
疑問を抱きながらも必死に生産販売の準備をしていた一方で、広告媒体への洋服の貸し出しを並行して行っていた。
私たちのブランドの世界観を日常着として着れる人はごく少数だが、強く鮮烈なインパクトを必要とするクリエイティブ業界で歓迎されている。
唯一無二の一点物である点や、独自のクリエイティブを評価された。
1人に消費され終わっていく洋服ではなく、誰かのスパイスとして渡り歩き、返ってくる。
世界でたった1着しかない洋服に価値が累積し、また循環していくという事実が何よりも心地良かった。
オリジナリティを突き詰め、自分たちの創りたい世界観を凝縮したクリエイティブ。
マーケットもユーザーも二の次と割り切ったら、進むべき道が見えた。

「消費されるブランドではなく、新しい価値を創り循環し続けるブランドであること。」
NYでの発表から半年後、私たちがたどり着いた生存戦略である。

ブランドの想いと世界観を最優先事項として、マーケットもターゲットも設定しない。全力でクリエイティブに振り切る。
部屋の一角に製作した約200着の洋服を全て置き、気づけばDOKKA vividは1年で70名を超えるスタイリストとやりとりをしていた。
製作した洋服を実際に見ることができたり、デザイナーとスタイリストがリアルで直接コミュニケーションできたりする環境は珍しい。
私たちの思いや服作りに対する考えを共有できて、服のクオリティーを実感してもらえたという体験。業界にいるプロたちの「あなたたちにしか作れないものがここにある」という声が背中を押してくれた。
コロナによって様々な媒体がオンラインへ移行したが、フィジカルでのやり取りでしか得られない直感的なコミュニケーションの価値を改めて感じた。

非消費という新しい可能性

「貸す」という着地点はファッションブランドや消費モデルの観点において新しい糸口を掴んだように思う。
私たちが経験したように、個人規模のブランド活動ではコスト・人材・人脈など様々な面で課題が付き纏うため、どんなにクリエイティブで才能あるデザイナーでも、卒業後に自身でブランド運営するという壁は分厚い。
手元にあるもので利益を循環できる貸し出しモデルは、クリエイティブな世界観を守りつつ、ブランド活動を両立するという1つの仮説が形になった結果だ。才能あるクリエイターが作る一点物の洋服と、常に新しいデザインやブランドを探しているスタイリスト。
このサイクルを自分たちだけでなく、他の新人ブランドともシェアしていくことで、ファッション業界やクリエイティブ業界、新人ブランド、そしてこれからブランドを始めたいと思っている次世代のクリエイターにとって、1つの希望になるのではないかと考えた。
DOKKA vividで偶発的に起こった貸し出しモデルの実証実験がひとつの形になっていく。

デザイナーとしては前代未聞かもしれないが、私たちは才能ある新人デザイナーズブランドを集結させたプレスルーム事業「SPICE ROOM powerd by OIF」をスタートする。
コンセプトは”尖った作品しか置かないプレスルーム”。10畳の小さな部屋にアトリエと併設して、合計7つのファッションブランドが集う。クリエイターとスタイリストを繋ぐ新たな拠点ができた。

(母校である大阪文化服装学院との共同事業としてスタート。ハイクオリティな作品を在学中から業界のプロの目に触れる機会を創出する。)

実はこの「SPICE ROOM」の事業化計画の途中、裏側ではまたもや問題が起こっていた。
業務オペレーションや人材面において限界を感じていたのだ。
というのも、マスクのD2Cからスタートした私たちはInstagramを活動のベースとしていて、2人体制で70人のスタイリストとDMを使ってやりとりしていたのだが、その対応がついに追いつかなくなっていた。Instagramの性質上、更新順に投稿が表示されるため過去の洋服は遡らないと見えない。また、トップスやボトムスなどのアイテム別での検索ができないため、探すのも非常に手間がかかる。
他の洋服と組み合わせた投稿も多かったので、どの洋服がDOKKA vividのものかがわからないといった問題や、認識の相違から貸りたい衣装が届いていないなどのトラブルが発生することもあった。

これらの課題は人材を補うことで解決されるものでもないと感じ、人材を補う代わりに業務オペレーションをDX化することで解決できないかを考えてみることにした。
スタイリストとのやりとりでは、正確かつスピード感ある対応が重視される。誰が・どの服を・いくらで・いつ貸りて・いつ返却するか。これらを一斉に把握するための顧客管理システムとプラットフォームが必要であった。
私たちにレンタルサービスがやっているような予約システムや一般的なアパレルサイトのようなアイテム検索ページはないし、業者に依頼しシステムページを開発するウン百万のお金なんてなかった。リスクとコストを最小限にしなければいけないという現実の壁が目の前に立ちはだかる。
私はシステムエンジニアでもないし、UX/UIのデザインなんてやったこともない。
DX化なんてもってのほかだ。
学んできたのはあくまでファッションデザインであるが、スタートアップにはこういう、とにかくやるしかないという場面が当たり前のように付き纏う。
ITなんてまるでわからない私の、DXという未知の領域に対しての挑戦が始まった。


未踏分野への挑戦

偶発的なMVP開発

人を雇わない。コストをかけない。外部委託はしない。
ECサイトや Webページに関して有識のある方に相談していく中で、既存の無料サービスを活用して、試運転から始めてみるといいというアドバイスを頂いた。
デジタルネイティブの時代に生まれた私たちにとって、なにもないところから無料で自分のウェブサイトを立ち上げるのは当たり前にできることで、SNSとデジタルの恩恵によって、創意工夫次第で専門知識がなくともやれることはたくさんあると改めて気づかされた。

私たちが直面していた課題は2つ。
来店予約システムをつくることと、アイテム情報をデータで管理すること。
初めの方はGoogleのスプレッドシートやフォーム、カレンダーを使ってどうにかできないかを模索していたのだが、アイテム画像が見えにくかったり、顧客情報の入力がスムーズにいかなかったり。とにかく服の動きと人の動きを紐付けるのに手間取った。
2つの課題を一気に片付けるのは、少しわがままだったのかもしれない。
そこでまずはアイテム情報の管理にフォーカスして取り組むことにした。

Instagram投稿ではカバーしきれない、アイテム情報を1つの場所にまとめるプラットフォームとカテゴリー分けに注力して進めることにした。
問題は画像のストックが得意で、検索機能があり、カテゴリー分けが可能で、無料で使えるシステムを備えたアプリがあるのか。
そしてできればファッション業界、クリエイティブ業界の方達にとって馴染みのあるものがいい。
そんな都合良いものがあるんだろうかと頭を数日間悩ませていたある日、ふと自分のスマホ画面の中にあったPinterestのアプリが目に入った。
無料で好みの画像・動画を集めてカテゴリー別に保存することができるPinterest。
クリエイティブに携わっている人の利用率が高いのが特徴で、学生中に設立したSNSマーケティングゼミの講師が、次はPinterestがくるから活用した方がいいと言っていたのを思い出した。
当時は画像収集し自分のインスピレーションストックとして活用する以外、あまり他での活用が思いつかなかったのだが、すぐにこれだ!と直感した。

まずはじめにPinterestプラットフォーム上にアイテムの画像データを取り込むところからスタートした。
DOKKA vividの洋服点数はすでに200点を超えていたため、1つ1つのアイテム撮影に3日間かかった。撮影後、オンライン上でユーザーが見やすいように背景の透過処理を施す。
カテゴリー別にトップス、パンツ、ワンピース...のようにフォルダ別に分けることで、アイテムをカテゴリー別に見れるデジタルルックブックが完成した。

(アイテム別にカテゴリー分けをし、アイテムごとにリース料金を表示。リンク共有でいつでもどこでも見れる。URL:https://www.pinterest.jp/SPICEROOM415/

PinterestをこのようなSNSとWebページの中間のようなスタイルで活用しているブランドは見たことなかった。
オープン前の試運転として、リース対応する現場での仮導入や、身近なスタイリストさんに使用感をヒアリングし実証実験を行い、細かい部分の修正を行った。
その結果、課題としてあったアイテム情報の共有とカテゴリー分の解決はもちろん、お問い合わせを頂いてから生じた膨大なやりとりを、リンク1つに集約したことでタスク量が大いに軽減された。またユーザー側も運営側も同じように服の動きを把握できるようになったおかげで、運営側で生じていたダブルチェックや、貸し出し期間のダブりなどのトラブルも解決された。
副次的な効果として、Pinterestの画像にはリンク添付機能があるため、Instagramの投稿やプロフィールを紐付けることでSNSの認知流入口が2つになったことも新しい発見であった。

後から知ったのだが、どうやらここまでの一連の流れは「MVP開発」というらしい。
なにもないところから泥臭く試行錯誤しながらなんとか形にしたものは、偶然にもソフトウェア開発などで使われる開発工程の一部だった。自分のやっていたことに名前が付いていて不思議な気持ちになったと同時に、これは前例のない挑戦をする時、実験上手になる考え方の1つとして、とても有意義だと感じた。
初めてのことは誰だって怖い。
一生懸命かっこいい形にしたり、環境を整えることはもちろん大事なことではあるが、最初の一歩なんて、もっと軽くてもいいのだ。

クリエイティブ価値の循環という未来に向けて

こうして2023年5月SPICE ROOMは無事にオープンの日を迎えることができた。新人デザイナーズブランドと業界人を繋ぐ場所として稼働しはじめて早2ヶ月。
繋がりはさらに増えていき、やりとりをしているスタイリストは140名を超えた。
またさらに面白いのはスタイリストだけでなく、クリエイター同士のHUBスポットにもなりつつあるという点。
SNSが普及し、クリエイターが集まるリアルなコミュニティは減少方向にあると思うのだが、SPICE ROOMにはとにかく尖っていて面白いクリエイターが集まってくる。そしてその中で新たな挑戦がうまれたり、仕事の案件、コラボレーションが舞い込んでくる。
個人のコンセプトがブランドになる時代。若手クリエイターが集まるリアルなカルチャースポットのような形で、これからさらに加速していく予感がしている。

DOKKA vividは設立当初から世界観が強すぎるが故にマスウケしないと言われてきた。
マスウケとはなんなのだろう。
学生時代繰り返し教えられた「オリジナルを磨け」という言葉は間違いだったのだろうか。
自分を曝け出した作品は世の中と本当に相容れないのだろうか。
販売方法、業界の常識、こういうものだからという見えないルールに沿って、無意識にこうしなきゃいけないと思い込む必要はないと感じる。
作り出すものがオリジナルなのであれば、消費のあり方も市場も、オリジナルで創り出してしまえばいい。
SPICE ROOMのレンタルモデルは、「服を作って買ってそこで終わり」というファッション消費の違和感からスタートした。
思いのこもった1つの作品が、旅に出て戻ってきてまた次の旅にでる。
つながって、輪っかになって渦巻のように価値と歴史が連なり、重なって循環していく。この心地よい循環が令和時代というの新しい資本主義の形なのかもしれない。
物づくりに限らず、ビジネスだってクリエイティブだ。

感じた違和感を素直に受け止め、今ある当たり前を疑い、更新していくために先頭を切って挑戦する。
そんなスパイスのような存在になるために、私たちはゼロイチを創り続けていく。

Spice for your life.

DOKKA Inc. Founder & Upcycle Designer
AKIHO KA / 夏 明豊


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