わたなべ

このままじゃ何者にもなれないと思って大学を中退したけど、結局特別なイベントなんて何も起きなくて、このままじゃ何者にもなれないと思って焦っていた。
高校卒業後に浪人生活を1年経ていた僕は、同じような努力しない夢想家の山岡と共に「何か」を模索した末に、芸能プロダクションの新人育成オーディションを受ける事にした。このオーディションは当時人気だったアイドルグループも通過したらしい"ちゃんとした"もので、優勝するとスクールの値段が無料になり、1年間芸能人としてのスキルを磨く事ができる。

本当は、僕と山岡は特に何かになりたいわけじゃなかった。19年間かけて東京大学という狭き門を目指した知恵比べに負け、違う土俵に行きたかっただけなのだ。大学受験がコンプレックスのきっかけになりやすいのは、自分が数年間積み上げてきた唯一無二の武器で敗戦したからだ。でもこんなに鍛えた武器を今更捨てる事なんてできない。オーディションを受けた理由は、全員が同じ初期装備の大会で勝つ事で「才能があるかもしれない」レッテルを貼りつけたかったからだ。二人とも「天才」に飢えていた。

もう7年近く前の話だ。オーディションは確か赤羽とか、その辺でやったと思う。前日まで山岡とLINEで世間への恨み言を投げ合っていたが、当日になって彼は来なかった。寝坊かもしれない。元々そんなに熱意はなかったし、僕も行けたら行くくらいの気概だった。たまたま僕だけが間に合ったにすぎない。

1人でオーディションを受けるのは恥ずかしかったが、ここまで来て受けない事で本当の落伍者になってしまう気がしたので、会場に入る。

中には10人くらいの男女がいた。てっきり美男美女揃いかと思っていたが、筋骨隆々の30代なんかもいる。参加者は女性を含めて皆僕より背が高く、人間のコミュニティに迷い込んだドワーフみたいな気持ちになった。
オーディションの流れは自己紹介、特技披露、2人1組での演劇の3つから行われる。今回は宮島というマネージャーの人が1人でこのオーディションを仕切るらしい。
オーディションでは「アゴアシ」などの業界用語 (僕はこれしか覚えていない。交通費と飯代の両方をセットでこう言うらしい) の説明から、秘密にすべき事、芸能界での渡り歩き方を1時間ほど聞いた。真剣ではなかったのでこの1時間が5時間ほどに感じた。ここにいる人間のうちほとんどが「普通の人」として家に帰る事になるし、オーディションに合格した人間にだけ説明すればいいじゃないかと思った。

まず自己紹介タイム。女子大生やフリーターが多かったが、現役の消防士の声が大きすぎて驚いた。もはや特技披露なのではないか。僕は
「このオーディションのために農家から出てきました」
と言い、自己紹介の最後に嘘をついているのが申し訳なくなり
「今までの全部嘘です。フリーターです。すいません」
と締めくくって席に座った。本気の人には殺意すら向けられていたかもしれない。来なきゃ良かった、とも思ったが、他の参加者があまりにもガチガチに緊張していたので、これでよかったな、とも思った。僕はみんなの100%のパフォーマンスが見たかった。こんなに違う畑に来るのもそうそう無い。

特技披露では歌を歌う人が多かった。ステージのある部屋でイコライザを全く触っていないマイクを使ってやらされたせいか、何だか素人の歌を聴いているみたいで恥ずかしくなった。生音声も考えものだ。ミュージックステーションはライブであって生ではないんだな。
僕は何も準備していなかったので、

「東北弁でデートする男女のモノマネをします」

と言い、日本語に書き起こせない方言で「イオンのゲーセンの中にあるプリクラに初めて入るカップル」の真似をした。これは他の参加者にもウケていた。
男性参加者にはイケメンが多く、僕だけ異様に浮いていたので、特技披露で完全に立ち位置が決まったようだ。終わった後もなんとなく話しかけられたりしていた。どうやらモデルの枠や声優の枠、タレントの枠などの中で自分と重ならないと思ってくれたらしい。僕自身としては何の枠で合格したとしてもいいので潜在的には全員ライバルだったが、流石に怒られるのを知っていたので言わなかった。

特技披露はみんな普通だった。あまり印象に残っていない。消防士が筋トレをしていたかな。

ステージから会議室のようなところに戻り、演劇の準備に入る。僕は二松学舎大学の女生徒とチームを組んだ。顔を合わせるのもドキドキするくらい美人で、正対すると視線が鼻の位置にあった。緊張するのもダサいと思い、目は合わせないようにしよう。
自己紹介をしたが、彼女の名前は覚えていない。ステージ上での立ち回りの話をした。タレント志望という割には台詞合わせが棒読みだったのを覚えている。僕は器用貧乏だから、演劇とかアドリブなんかはそこそこできるつもりだった。

題目は劇団ひとりの「陰日向に咲く」。この頃ドラマか映画になっていたらしく、そのワンシーンを演じる事になっていた。

花火大会を見ながら幼なじみの男女が近況報告をする。男が打ち上がる花火に自分を重ねながら「あの花火のように光り輝く」みたいな事を言う。

当時もこのくらいの理解度であとはアドリブで済ませようと思っていた。コツコツするのが苦手な僕らしいと思う。急場でしのいだ器用な部分ばかり評価されて、実際にレースで走らせると戦えない。勉強で困った事がない子供はこうなることが多い。

自分の演技を見られるのは恥ずかしかった。適当に来たとはいえ、さすがに順番を待ってる時は緊張して手汗が止まらなかった。二松学舎の女の子は椅子に座る姿勢が良かった。

順番が来る。二松学舎の女の子も場慣れしているらしく、多分お互いちょっとずつアドリブで進めていた。他の組はセリフが飛んで止まる人が多く、途中で台本を持ちながらやっても良いというルールに変わっていたが、アドリブで始めてしまっていたので、僕らは右手に丸めて持ったまま一度も見なかった。

感想は特に言われず、合格者にはメールするから待っててくれと言われ解散した。


1週間後。

合格したのは僕だった。メールで同じ場所に呼び出されていた。2人か3人いるのかなと思っていたが、僕1人しかいなかった。
宮島、(のような名前の人)は、しばらく仮のマネージャーとして僕につくらしい。

「これから芸能界に入るにあたって、この業界を1番優先することができるか」
「住んでいる場所を変えるならお金はある程度貸せる」
「タレントで育てていこうと思うが、それでいいか」

心構えについて矢継ぎ早に説明される。こんな大ごとになってしまうとは…
美男美女が1人も合格せず、ふざけ倒した僕が合格したのは、度胸と対応力が評価されたらしい。オーディションの中では圧倒的だったそうだ。

度胸も対応力もあるに決まっている。僕はこのオーディションに本気で臨んでいない。人生も乗せてないし、積み上げたものも無いんだから緊張だってしない。この評価は間違っているのかもしれない。

説明を受けているうちに芸能界に縛られるのが嫌だな、と生意気なことを考えていた。

「1週間以内に連絡をくれ」

と言われて会場を後にする。何かになりたいと思っていたが、こんな形で実現するとは。

だが、時間が経つにつれて実力と才能の世界で僕がヘラヘラやっていくことへの不安が大きくなっていった。芸能界に入るということは、木の棒を1年だけ鍛えて「芸能で戦う」ということだ。

2週間後

僕は部屋でアニメを見ていた。宮島のメールや電話を全部無視し、日常に戻っていた。
何かになりたかった僕は、「何かになるために他のものを捨てること」ができずに何でもないパチスロニートに戻っていた。

繰り上がりで誰かが合格したのだろうか。そもそもオーディション自体偽物だったのかもしれない。たくさん自分に言い訳をしながら、新台入替を待つ生活を選んだ。


僕は26年間でたくさんのチャンスを逃している。自由や堕落、色んな"楽"があるが、何かになるには捨てなければならない。ポケットに一口分の自由を入れて、辛くなったら取り出して逃げる。そんな事では何者にもなれないし、競争にも勝てない。覚悟を持つとはそういうことなのだろう。

芸能界に入った僕はどんなだったろうか。中途半端にウケて、中途半端にファンがついて、中途半端に生活をしていただろう。バイト先で

「芸能事務所に入っているんですよ」

と言ってちょっとモテたかもしれない。
だが、きっとそれで終わりだ。本気でやらずにいられる世界なんて、その程度のものだ。

何かになりたかったら本気でやるしかない。汗をかかずに跳べる跳び箱は誰にでも跳べる。僕は本気のみんなが振り返ったずっと後ろで待っている。もう戻ってこないことを願いながら。

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