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僕と「僕とカミンスキー」

初めに。とある社会人講座の独語演習で、Daniel Kehlmannの”Ich und Kaminski”を2年かけて読破した。その記念として、感想文をここに残す。

マチスの弟子にして最後のシュルレアリスト、そして何よりも盲目の画家として有名だった、カミンスキーは今ではすっかり世間から忘れ去られている。また、彼は高齢故に「死」も近いだろう。いくら無名になったとは言え、死後しばらくはブームになるだろうし、その時、彼の自伝はベストセラーになるだろう。自伝の著者になれば、一時的にでも有名にもなれるだろうし、芸術評論の世界でキャリアアップもできるかも知れない。このように邪な考えを抱いたツェルナー君は、カミンスキーの自伝を書く事を思い立ち、入手できる限りの資料に当たり、関係者全員に取材したりする。最後にはアルプス山中のカミンスキーの隠遁先まで押しかけ、家政婦を丸め込んで(実際は丸め込まれて)、後見人の娘ミリアムが留守中のカミンスキー邸の家探しまで決行する。不法侵入で逮捕されてもおかしくない。


テレーゼが彼の創作の鍵を握っているのではないかとヒントを得、それを探る為カミンスキーの娘の車を無断借用して、北海沿岸に住んでいるテレーゼ宅を目指して、カミンスキーと珍道中を始める。
ここから俄然この小説はロードムービー化する。途中その風体に不釣り合いなくらい教養の高いヒッチハイカー(何せ彼の台詞にファウストの引用まである)に車を盗まれ、出版社から前借りした取材費も底をつき、キャッシュカードも止められ、ほぼ一文無しになったので、不義理がたたり、電話でふられたばかりのエルケ宅にカミンスキー共々転がり込む。それも彼女の不在中にだ。不法侵入で逮捕されてもおかしくない。また、エルケと暮らしたこの街は、「ブレードランナー」のロスアンジェルスの様に雨ばかり降っている不吉な街だ。


その晩知り合いのポップアートの作家の内覧があることを知り、「いいね!」欲しさに、カミンスキーをそこへ連れていく。皆、もう死んだと思われていた老人を歓待したが、誰一人彼の作品のタイトルを挙げることができなかった。美術展で実際の絵画よりも熱心に解説のプレートに熱心に見入る多くの人々と同様だ。カミンスキーは此の事に酷く落胆する。が目的はテレーゼに会う事だ。今度はエルケの車を無断借用して北帰行を続ける。が、テレーゼはまだらボケか、その体を装っているだけなのか、核心部分の話は全て避ける。カミンスキーと暮らしたのも若気の過ちの一言(ロシュフコーの引用)で片づけてしまう。


これは良くある物語のパターンだ。高い建物の上から自分に手を振った美女を求めてやっとの思いで最上階にたどり着いてみたら、美女から「そんな事知らない」と言われるブランショの「アミナダム」(ちなみにこの小説はカフカの城のパロディ)、とあるカフェで自分に微笑んだ美女を求めてストラスブールの街中を彷徨い、やっと会えたと思ったら「何か勘違いしてるんじゃないの」と一喝される、映像が妙に小津っぽいスペイン映画「シルビアのいる街で」も同様だ。
退屈な日常をただただ生きるテレーゼとホルム。それに対して退屈な日常の彼方に何か素晴らしいものがあるのではないかと模索しているカミンスキーとツェルナー。言い換えれば、堕落した現存在を否定して、存在へと志向する後者のコンビを、前者のコンビは「一緒にミリオネンシュピールを見ましょうよ。」というセリフで撃沈する。この台詞、「寝仲間に汝も入れよ春の山」と、一茶の俳句をもじって言い換えることも可能だろう。ナチス、連合赤軍、オウム、イスラム国、これらは皆後者の典型だろう。この箇所は、いささか乱暴な言い方をすれば、ソフトな形而上学批判かもしれない。カミンスキーとツェルナーは一緒にテレビを見ればよかったのに。


と言う訳で、ツェルナー君の「カミンスキー伝-無垢なる魂の彷徨」もいよいよ出版が怪しくなってくる。この計画の頓挫を予感させる記述・描写はクレッシェンド的に反芻されるが(執筆作業が滞っている旨をエルケに告白する場面、内覧の帰り車を運転しながら、もうどうでもいいやと投げやりになっていく場面等)、止めはミリアムから、その件については、天敵ハンス・バーリングと既に契約を結んでいるとの一言。これで吹っ切れたツェルナー君はカミンスキーと北海を見に行き、取材記録を全て捨て、住む家も、金も何もない無一物となる。


この場面はいわばポリフォニックだ。少なくとも3つのレイヤーが重なっている。                             (1)達磨とその弟子のレイヤー。カミンスキーとツェルナーの関係を、達磨とその弟子の関係に重ね合わせている。弟子曰く、「あなた(達磨)の進言に従い全てを捨て去ってもう何もないにもかかわらず、何故弟子にしてくれないのか。」それに答えて尊師曰く、「お前はまだ無を持っている。」ツェルナー君が取材記録を全て捨てて自伝執筆を放棄する。このラストシーンには達磨とその弟子の上記のエピソードが埋め込まれている。また、ツェルナー君が塩鉱を彷徨い歩いたのは、結果として、カミンスキーの足跡をトレースする為だったのかが、達磨とその弟子の関係を参照すると良く分る。
(2)カミンスキーには「海辺の死」という作品があった。砂浜をリードをつけた犬が彷徨っている。そのそばで腰を下ろした老人が自らの死期を悟ったかのように虚ろに鈍色の海を見つめている。という絵だ。その絵と同じく迷い犬が砂浜に腰を下ろしたカミンスキーの側にやってくる。このように、「海辺の死」とこのラストシーンを重ね合わせている。そう、彼の「死」は近いのだ。
(3)「波が私の足跡を消していった」という、この小説を終えるフレーズは印象的だ。「足跡」にはツェルナー君の足跡というリテラルな意味と、カミンスキー自叙伝出版の為、奔走したツェルナー君の足跡という意味も含まれているだろう。もしそうなら、これ程的確に物語を総括、清算した終わり方はない。見事だ。エリック・ロメールの「緑の光線」のラストシーン、主人公の発する多義的な”Oui (Ja)”と同様の仕掛けだ。(緑の光線のラストシーンのOuiには、(1)緑の光線を見つけた、(2)恋人を見つけた、(3)ヌーベル・バーグ万歳、という3つの意味が重なっている。)

未熟な主人公が苦労に苦労を重ねて、ひとかどの人間に成長するというのが教養小説の典型だが、この小説はそのパロディ、真逆だ。肉体的、精神的に苦労を重ねても、ツェルナー君は全く成長しない。否、成長を拒否しているのかもしれない。多分、何故失敗したかも考えないだろう。
女の失敗はドラマになるが、男の失敗は悲劇にすらならないと言うこのテーマは、フローベルの「感情教育」と同じものだ。もっとも21世紀では女の失敗も何の意味もなくなりつつある。                  ところで、今の日本だったらこの挫折のテーマをどう扱うだろう。「今朝、北海沿岸で幻の画家マヌエル・カミンスキー氏の溺死体が発見されました。カミンスキー氏は何故かナイトガウンを羽織っていました。」というテレビニュースで始まり、「殺すつもりはなかったんだ。ただ、バーリングと自伝出版の契約をもうすでに交わしていると、何故初めに教えてくれなかったんだ。」と言いながら泣きじゃくるツェルナー君の顔のアップで終わる、紋切型のサスペンスドラマだろうか。それとも、桟橋から北海にカミンスキーも含め何もかも投げ捨て、最後は自死する「生き難さ」にフォーカスした妙に重たい純文学風小説だろうか。今の日本ではフィクションの分野でも、娯楽を含むかどうかで、両者の混淆が不可能になる程に断絶・分断が進行しているように思える。
しかし、この小説では「僕の失敗」という重くなりがち題材を扱いながら、時に奇妙に軽妙だ。スラプスティック的ですらある。ルビッチゆずりのコメディーだ。終盤で「何故こんな軽やかな気分なんだろう。」とツェルナー君にリスタートのスウィッチを押させさえする。ここにドイツの精神風土の健全さを感ずる。大丈夫か、日本。


先ほど、ツェルナー君は何もかも失ったと言った。しかし一つだけ獲得したものもある。カミンスキーとの友情だ。イーグルスの「ならず者」に「誰かが君の事思っているよ、だからそう自暴自棄になりなさんな。」という歌詞がある。この「誰か」に、その死は近いがカミンスキーがなったのだ。それ故、見事な失敗にも関わらず気分は晴れやかなのかもしれない。これからのツェルナー君の人生、ちょっと変わるかもしれない。少なくとも、インタビュー後に皿を投げつけられるような、不躾な言動は止めるだろう。


小説の黄金期、19世紀の小説かと見まがうばかりの自然・情景描写の巧さ、原文を音読するとわかるその韻律の美しさ、登場させた人物・事物は全て小説内で蕩尽しきるその手腕、つまり伏線回収の見事さなどは、全編を覆うユーモアも含めて見事なものだ。現代小説に必須な「妙な軽み」も充填している。とても、残念だったのは、海に取材メモを捨て去る場面で、ボイスレコーダー、カメラだけでなく電気カミソリも登場させて欲しかった、その一点のみだ。
かくして、ツェルナー君はカミンスキーの自伝の出版にものの見事に失敗する。が、読者はこの小説-この小説はカミンスキーのバイオグラフのメイキングでもある―を最後まで読み通す事によって、カミンスキーの全キャリアを熟知してしまう。カミンスキーの自伝は、はからずもここに完成する。ここに、この小説最大のパラドクサルな仕掛けがあるのかもしれない。見事なメタフィクションだ。

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