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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」   第5回 シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 来日公演 1985年


エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」     第5回

《シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 来日公演1985年》


⒈  シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 来日公演1985年



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招聘 梶本音楽事務所
(ケベック州の文化省及び外務省の財政援助により財源の一部を確保でき、実現に至りました)

公演日程 

1985年

2月2日 日立市民会館  プログラムA

3日 厚木市文化会館  B

4日 昭和女子大学人見記念講堂  C

5日 東京文化会館  D

7日 ザ・シンフォニーホール  A


公演曲目
プログラムA  ラヴェル ラ・ヴァルス
        シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調
       (ヴァイオリン 堀米ゆず子)
        ベルリオーズ 幻想交響曲

B  フランソワ・モレル  エトワール・ノアール
   イベール フルート協奏曲
  (フルート ティモシー・ハッチンズ)
   ラヴェル ボレロ
   ベルリオーズ 幻想交響曲

C  ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲
   シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調
  (ヴァイオリン 堀米ゆず子)
   ドビュッシー 交響詩「海」
   ラヴェル 「ダフニスとクローエ」第2組曲

D  シューマン 交響曲第1番変ロ長調「春」
   マーラー 交響曲第1番ニ長調「巨人」


※当時、筆者が買った席は、大阪公演のザ・シンフォニーホールC席6000円(3階RRB-8)だった

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デュトワといえば、NHK交響楽団の指揮者になってからのちは、日本でおなじみとなった。しかし、1985年の段階では、知る人ぞ知る、マニア好みの中堅指揮者だった。それも、その音楽よりも当時、飛ぶ鳥をおとす勢いだった人気ピアニスト、マルタ・アルゲリッチの夫として来日し、公演前に夫婦喧嘩してアルゲリッチが帰国してしまい公演中止になった、という有名なスキャンダルで、一躍名を馳せてしまった。


【以下、加筆】

《デュトワは、現状、セクハラ事件の悪しきイメージから回復できていない。上記のアルゲリッチとのスキャンダルといい、何かと女性関係の話題で盛り上がってしまうのが、デュトワという人の宿命なのかもしれない。それというのも、以下の写真は85年の公演パンフレットだが、インタビューで自分の当時の妻について、長々と惚気ている。筆者は、当時、このインタビュー後半の奥さん自慢を読んで、ちょっと首をひねった。なんだって指揮者が自分の妻の自慢話を(つまりは自分の男性としての自慢、ともいえる)、得々と喋るのだろう?と。良くも悪くも、そういう人物なのだ、と今から振り返っても思ってしまう。》

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もっとも、それだけでなく、デュトワといえば手兵のモントリオール交響楽団を優れたオーケストラに鍛え上げた手腕と、「フランス以上にフランス的」のキャッチフレーズで、当時のデッカレーベルに次々と録音していたCDが、クラシックファンに話題となっていた。その演奏の洗練された美しさと、デッカの録音の音質の良さがあいまって、「これは録音のマジックか? それとも実力か?」が議論のネタになっていたほどだ。筆者は、この当時、音楽批評を愛読していた宇野功芳氏が、デュトワをべた褒めしていたので、これは聴いておかなければ、と待ち遠しく思っていたものだ。


※公演パンフレットにも、宇野功芳の推薦文がでかでかと載っていた

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この来日公演でいよいよその真価を生演奏で聴くことができる、というので85年の来日は音楽雑誌などでも話題になっていた。
とはいえ、筆者にとっては、この時はまだ、デュトワのCDを聴いたことはなく、実演で最初に聴いたのだった。だから、先入観抜きで聴けたはず、なのだが、残念ながら、その音の美しさを、本当にわかっていたかどうか、おそらくはよくわからないまま聴いたのだろう。
それというのも、この時、初めてザ・シンフォニーホールで海外のオケを聴いたのだ。
それまで聴いていた海外オケは、いずれもフェスティバルホールで、そこでは大阪フィルを何度も聴いていたので、当時の日本のオケと海外有名オケとのレベルの隔絶ぶりを直接比較できた。だが、シンフォニーホールで聴くと、同じオケでも全く響きの美しさが別次元になってしまう。何しろ、大阪に日本初のクラシック専用ホールとして出来たこのホールは、唯一無二の音響を誇っていたのだ。だからこのホールで比較しないと、他のホールでの演奏と比べたのでは公平さを欠くというものだ。
そのシンフォニーホールで初めて聴いた海外オケが、モントリオール交響楽団だったので、果たしてどの程度、音が美しかったのか? CDと比較してどうだったのか? いずれも筆者には比べようがなかった。
それよりも、この時、印象的だったのは、カナダのこのオケが開演前に、メンバーの多くがステージで音鳴らしをしていたことだった。
その頃の日本のオケは、習慣なのだろうか、開演前にステージで音鳴らしをするようなことはなかった。けれど、モントリオール交響楽団は、多くの奏者がステージで気楽に音鳴らしをしていた。自分も楽器をやっている人には、これがとても嬉しいことだというのは、わかっていただけるだろうか。何しろ、世界の有名オケの奏者が、目の前でウォーミングアップのやり方を披露してくれているのだ。なるほどああいう風にスケールを吹いているのか、あんな風に試し吹きするのか、といった実例をみて、とても参考になった。こちらはバルコニー席からのぞきこむように眺めていたので、ホルン奏者の若い金髪の兄ちゃんと目が合って、向こうから会釈してくれたのも、印象的だった。
日本のプロのオケが、その当時、なぜ音鳴らしをステージでやっていなかったのか、今でもわからない。ギリギリまでステージに出ない、というのがプロらしいと思われていたのだろうか? 聴衆にとっては、奏者が身近に音を鳴らしてくれている方が、よほど嬉しいのだが。

そんなわけで、この時の印象の第一は、演奏そのものよりも、カナダのオケの明るい音色と、音量の大きさ、響きの抜けのよさだった。
その演奏会自体だが、音色ばかり気をとられて、結局、音楽づくりについてはあまり記憶に残っていない。よくいえば、美音に酔っていた、ということだ。
しかし、仰天したのは、幻想交響曲の後、アンコールに応えてデュトワがなんと、ボレロをやったことだ。
アンコールでボレロ!
そんな大サービスに出くわしたのは、後にも先にも、この時の演奏会だけだ。そもそも、幻想交響曲の快演の後、まだボレロをやるなんて、このオケ、どれだけスタミナあるのだ? 
そんなわけで、必然的に、この演奏会の印象は、アンコールのボレロの名人芸に全て持っていかれてしまって、本来のプログラムの方はそれこそ、印象が薄れてしまっている。
もっとも、ボレロがそれだけの名演だったのだから、演奏会の最後、大満足で帰路についたということで、演奏会としても成功だったと言えるだろう。




⒉  デュトワ&モントリオール交響楽団の実力のほどは?


ところで、この当時のモントリオール交響楽団の実力のほどは、自分の耳でとくと確かめたのだが、大絶賛されていたCDの方は、のちになって聴いてみたものの、果たしてそれほどの名盤なのかどうか、わからないものもあった。
特に、レスピーギのローマ3部作と、サン・サーンスの交響曲第3番オルガン付きについては、疑問がある。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/