見出し画像

(加筆修正・掲載順序入れ替え)第27回ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団来日公演 1990 & 91年 マーラー・チクルス第1 & 第3


(加筆修正・掲載順序入れ替え)
第27回 ガリー・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団 来日公演 1990& 91年 マーラー・チクルス 第1 & 第3


画像5
画像1


⒈  ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団来日公演1990年「マーラー交響曲全曲演奏 第1チクルス」


公演スケジュール


1990年
11月
20日、21日、23日、24日、25日 東京

27日
大阪
フェスティバルホール
マーラー 交響曲第2番「復活」

28日 大阪
29日、30日 東京

※筆者の買ったチケット

画像6



ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団の来日公演は、マーラーの全交響曲演奏の第1チクルスである。このような企画が実現するのは、まさしくバブル期最盛期の日本ならではだといえる。
そもそも、日本のオーケストラがマーラーの全交響曲をシリーズとしてまとめて演奏する壮大な試みは、この前年に若杉弘の指揮で東京都交響楽団のチクルスが始まったばかりだった。


※参考CD

https://tower.jp/article/feature_item/2020/08/21/1110

《若杉弘による大偉業にして貴重なる遺産が、“フォンテック"より奇跡の復活再BOX化!
若杉弘&東京都交響楽団
マーラー:交響曲全集(サントリーホール・マーラー・シリーズ)
1988-91年ライヴ

先頃リリースされた若杉弘のブルックナー:交響曲全集(1996-98)に続き、同じく若杉の日本における偉大なツィクルスであり代表録音の一つでもある、あの《マーラー:交響曲全曲》をこの機会に再々BOX化を行います。若杉氏のサントリー音楽賞受賞を記念しサントリーホール・マーラー・シリーズ(全9回)として、1988年10月22日の「第5番」を皮切りに、1991年10月18日の「第10番アダージョ」「大地の歌」まで全10曲(CD16枚)が収録された、日本を代表するマーラー録音です。邦人演奏家だけによる初の全曲録音として、第1番は「花の章」を付けた1893年改訂版を、そして第2番では、通常の第1楽章をその原形となる「葬礼」に変更して演奏するなど、意欲的なシリーズとしてファンの注目を集めました。亡くなってすぐの2009年にタワー限定で再プレス化したBOXの外箱仕様を変更し、今回あらためて全曲をセットで再販売します。今回も完全限定数となりますので、お早めにお求めください。尚、各盤は最初にリリースされたそのままの形態での再プレスとなります。再マスタリング等含め、リニューアルを行わない仕様・音源となりますことをご了承ください。
(タワーレコード)》


※公演パンフレットに付属の、マーラー交響曲の歌詞対訳冊子は、なんと、若杉弘&東京都響のマーラー・チクルスのものだった

画像13




この点からしても、80年代から90年代にかけての、世界的なマーラー・ブームについて、日本国内では残念ながら、バブル期経済がもたらした来日オケ・ラッシュが主導的に牽引したのだ。といわざるを得ない。日本国内のオーケストラと指揮者の企画では、世界の80年代マーラー・ブームにかなり立ち遅れていたことは、来日オケによるマーラー交響曲チクルスの実現と比較すると、明らかなのだ。
この時のベルティーニ&ケルン放送響のマーラー・チクルスは、なんと、来日公演が録音され、のちにCD発売されて、同コンビによるマーラー交響曲全集の中に収録されている。


※参考CD

https://www.hmv.co.jp/artist_マーラー(1860-1911)_000000000019272/item_交響曲全集-ベルティーニ&ケルン放送響(11HQCD)_3813775

《ベルティーニ/マーラー:交響曲全集(11HQCD)
マーラー生誕150年記念企画!
ベルティーニによる美しきマーラー交響曲全集、高音質HQCD仕様で国内盤再発売!ベルティーニの名前を飛躍的に高めたケルン放送交響楽団とのマーラー・レコーディングは、当初ドイツ・ハルモニア・ムンディで1980年代半ばからスタートし、その後EMIへと引き継がれ、最後の数曲は、同コンビ来日時のマーラー・ツィクルスがライヴ収録されて完結したものです。
11曲の演奏は、どれもベルティーニの審美眼が作品の細部に行き届いた名演揃い。全集録音初期の第3番は、その出来栄えの見事さで当時絶賛を浴びたものですし、第2番『復活』は許光俊氏をうならせた高精度演奏、第1番『巨人』は、日本における“マーラー・ルネッサンス”最高の成果とうたわれた一連の来日公演のライヴと、マーラー・ファン注目の内容となっています。》


当時、ベルティーニはマーラーのスペシャリストとして日本のクラシックファンの間で人気が高かった。だからこのような録音企画が成り立ったのかもしれない。その後、バブル崩壊後の日本ではマーラー演奏も様々に変遷を重ね、現在ではベルティーニ盤はあまり聴かれていないようだ。今にして振り返ると、この時のベルティーニ&ケルン放送響のマーラー・チクルスは、バブル期日本人が熱に浮かされて流行に盛り上がったとはいえ、極めて貴重な演奏記録を、莫大な財力を費やして実現させてしまったのだ、といえよう。


※公演パンフレットより引用

三枝成章
《ここで私自身の好みをすこし述べさせていただくと、実はマーラーはあまり私の好きな作曲家ではない。彼の音楽の持つ、あまり言葉は適切でないかも知れないが、ある種の下品さがどうも私の耳にはひっかかるのだ。》


画像7



黒田恭一
「今、風向きはマーラー」
《1960年代の日本にあって、マーラーの交響曲は、音響的に楽しまれることでとどまることが多く、かならずしもマーラーの音楽を支え、マーラーの音楽を特徴づけているものがききてによって充分に吟味されていたとはいいがたかった。
(中略)
時代の空気は、翳りを濃くし、湿りけをまして、マーラーの音楽が共感されやすいものにかわりつつあった。
(中略)
無意識のうちに自分の愛する音楽を捜してきた、と考えたがるききては、彼の背後にあって彼の背中を静かに押し、マーラーの音楽へとみちびいていった力に気づかなかった。》

画像8


⒉  日本におけるマーラー・チクルス


このベルティーニによるチクルスも含め、バブル期に実現した来日オケによるマーラー演奏の蓄積が、その後、日本のオーケストラによるマーラー・チクルスへの引き金を引いたといえる。

もちろん、日本人指揮者と日本のオケによるマーラー全集、という意味では若杉弘&東京都響盤が嚆矢となった。だが、その後次々と日本人指揮者が日本のオケを振ってマーラー・チクルスをやるようになったことも、バブル期の一つの遺産だといえる。また、欧米の場合と違って日本のオケでは、ブルックナー・チクルスよりもマーラー・チクルスの方が明らかに多い、という一見奇妙な現象も、きっかけがそもそも来日オケのマーラー・チクルスの饗宴だったと考えれば、納得がいく。

当時のマーラー・ブームのある種の浮ついた感じは、チクルスの曲目紹介に如実に現れている。公演パンフレットでは、交響曲第3番に「夏の詩」、4番に「大いなる歓びの讃歌」といった表題が、あえて付けられている。今ではほとんどお目にかからないこれらのタイトルは、作曲者のマーラー自身が削除したにもかかわらず、日本人のタイトル好きのせいで堂々と公演パンフレットに表記されるような有様だったのだ。

マーラーといえば表題付きの交響曲、という妙な印象は、おそらく日本人が音楽を聴く際に、具体的なイメージを求める傾向を反映しているのだろう。
第1番も「巨人」というタイトルはマーラー自身が削除したが、今でも日本人は「巨人」と呼んでいるし、「千人の交響曲」にいたっては、マーラー本人が嫌悪したあだ名で、公演プロモーターが客寄せのために勝手につけたコピーなのだ。

ところで、ケルン放響というのは、日本人に馴染み深いオケで、若杉弘が常任指揮者になり、オーボエのトップに宮本文昭がいる、コンマスに四方恭子がいる、ということで、日本びいきのオケだと思われている。


画像10


画像9


実際、そうだったのかも知れないし、だからこそ、想像を絶するリスクをものともせず、来日公演でのマーラー・チクルス、それも3回に分けての来日という離れ業を、オケの側もやり遂げてくれたのだろう。


さすがにこの公演は、マーラー・チクルスの一つであるということで、公演パンフレットにも、ベルティーニのマーラーのCD広告しか載っていない。次年度以降の招聘アーティストの宣伝、というようなページもない。最初から最後までマーラー・チクルスのパンフレットになっているのは、徹底していると言える。


画像11




⒊  エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第26回
ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団 来日公演 1991年(マーラー・チクルス第3回)


画像15


公演情報

第3チクルス
1)
交響曲第8番「千人の交響曲」

1991年11月12、13、14日 サントリーホール

ユリア・ヴァラディ(ソプラノ)
マリアンネ・へガンダー(ソプラノ)
マリア・ベヌーティ(ソプラノ)
フローレンス・クイヴァー(アルト)
アン・ハウルズ(アルト)
ポール・フライ(テノール)
アラン・タイトス(バリトン)
ジークフリート・フォーゲル(バス)

ケルン放送合唱団
南ドイツ放送合唱団
プラハ・フィルハーモニー合唱団
東京少年少女合唱団

ケルン放送交響楽団
ガリー・ベルティーニ 指揮

2)
交響曲第10番〜アダージョ
交響曲「大地の歌」

11月16、17日 サントリーホール
18日 大阪フェスティバルホール

ベン・ヘプナー(テノール)
マリアナ・リポヴィシェック(アルト)

ケルン放送交響楽団
ガリー・ベルティーニ 指揮

3)
交響曲第4番
交響曲第1番「巨人」

11月21、23日 サントリーホール
22日 オーチャードホール
20日 大阪フェスティバルホール

白井光子(ソプラノ)

ケルン放送交響楽団
ガリー・ベルティーニ 指揮

※筆者は、11月18日大阪公演を聴いた


画像2


80年代から90年代にかけてのいわゆるマーラー・ブームは、特に日本で大いに盛り上がった。それも、大きなきっかけがサントリーのテレビCMだったというのも、いかにも日本らしい、バブル期らしい話だ。

※公演パンフレットより

画像3


あのCMでは、マーラー以外にも、フランスの詩人ランボーが出てくるバージョンもあった。もちろん、サントリーはサントリーホールで社を挙げて音楽文化に寄与していたのだから、CMぐらい、させてあげていいだろう。
サントリーに限らず、セゾンも文化メッセで芸術を大いに振興しようとしていた。あのバブル期の日本がもう少し続いていたら、あるいは、もう少し継続的なビジョンで音楽・芸術文化の振興を進めていたら、今頃は日本のクラシック音楽や芸術の風土は、もっと成熟したものになっていたのかもしれない。

それはともかく、バブル期のマーラー・ブームの真打といった位置付けになるのが、1990〜91年のガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団来日・マーラー・チクルスだ。
それも、3回に分けての連続来日、というのだから、これはこれ以前にも、以後にもありえなかった壮大なプロジェクトだった。
シノーポリ&フィルハーモニア管が来日公演でマーラーの交響曲第8番をやった際も、さすがに大規模な合唱は日本のコーラス団の合同チームだった。かくいう筆者も、そのコーラスの中に混じって歌った経験から、来日公演でマーラー8番をやるというのがいかに大変か、身をもって知っている。


※シノーポリ来日公演についての回

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第16回
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 来日公演 1988年

https://note.com/doiyutaka/n/n5a604f6549cf



この時のマーラー8番に筆者はコーラスの一員で出演した。シノーポリ来日時のマーラーは一つのエポックだった。それが、今回はなんと合唱団まで帯同しての来日公演だ。
少年合唱のみは日本人のコーラスだが、ソリストがまたすごい面々だ。
筆者の聴いたのは、「大地の歌」だが、そのアルトとテノールもすごい歌手たちだった。


画像4



これほどのメンバーが勢ぞろいするチクルスというのは、バブル期の当時でさえこの後、2度となかったように思う。このときのマーラー・チクルスは、60年代から脈々と進められてきた欧米楽壇のマーラー・ルネッサンスの最終地点だった感が強い。


⒋  日本のマーラー受容の歴史 〜近衛秀麿からベルティーニまで〜


アメリカから始まり、ナチス時代の影を振り払って欧州にマーラー・チクルスが広がり、やがてアジアで唯一、マーラーの連続演奏の受容が可能だった日本で、それも東京だけでなく大阪でも公演を振り分けて開催された。
この当時、マーラーの演奏が聴衆に熱狂的に受け入れられる素地があったアジアの国は、日本しかなかったといって過言ではないだろう。日本人はなぜかマーラーが昔から好きだった。それというのも、欧米でも最も早い時期に、近衛秀麿がマーラーを録音しているのだ。

ここから先は

5,496字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/