(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第19回 ダニエル・バレンボイム指揮パリ管弦楽団 来日公演1989年
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第19回
ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団 来日公演 1989年
⒈ ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団 来日公演 1989年
公演スケジュール
1989年
3月
4日 大阪
5日
大阪
フェスティバルホール
モーツアルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調
ピアノ:ダニエル・バレンボイム
R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
7日 名古屋
8日 9日 10日 東京
※筆者の買ったチケット
バレンボイムについて最初に意識したのは、当時人気を博していた音楽評論家・宇野功芳氏の批評で、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りを絶賛していたことだった。ちょうど映画『アマデウス』でモーツァルト自身がピアノを弾き振りしている場面を観て、とても印象的だったこともあり、ピアノ協奏曲の弾き振りを聴きたくなった。
CDで聴いてみたところ、弾き振りであるか否かは実はどうでもよく、バレンボイムのピアノが実に生き生きして素晴らしい演奏だった。
だいたい、ピアノ協奏曲の弾き振りというのは、近現代のオーケストラの場合には珍しい例で、バレンボイム以前にはバーンスタインがやっていた程度だろう。バレンボイムは、優秀なピアニストであり指揮者でもある利点を生かして、モーツァルトのみならず、ベートーヴェンのピアノ協奏曲でも弾き振りをCD録音した。それに対抗してか、のちにアシュケナージもピアニスト兼指揮者としてベートーヴェンを弾き振りしていた。
あれこれ聴き比べると、結局のところモーツァルトやベートーヴェンであっても、ピアノ協奏曲というものはやはり、指揮者とソリストの駆け引きやコラボレーションを聴くのが楽しいのだ、ということがわかった。
※参考CD
《WARNER CLASSICS
モーツァルト:ピアノ協奏曲全集
バレンボイム&イギリス室内管弦楽団
若き日のバレンボイムがEMIに録音した有名な演奏。収録曲は第1,2,3,4,5,6,8,9,11-27番と、シフや内田光子、ブレンデル盤よりも多い曲数となっています。古典派作品としてはロマン的に美しすぎるほどのスタイルですが、その情感豊かでレンジの広い表現には独特の魅力があります。セッション録音ながらけっこう自由なアプローチも、感興重視のバレンボイムならでは。録音から約40年を経てもいまだに人気の高い全集が復活です。(HMV)》
そんなわけで、パリ管弦楽団とバレンボイムが来日するのを聴こうと思ったのだが、どうしてもピアノの弾き振りを実演でみたいと思って、モーツアルトの協奏曲を含んだ演目の日を選んだ。
会場は大阪フェスティバルホールで、例によって大阪国際フェスティバルの学生券を買った。そのため席は2階席の上の方でとても音響が悪く、バレンボイムのピアノは正直、音色がよくわからなかった。肝心の弾き振りの様子も、豆粒のような小ささでしか見えない席なので、よくわからなかった。
後半のR.シュトラウス『英雄の生涯』は、パリ管の音色がさすがに素晴らしいとは思ったが、アンサンブルは正直イマイチだった。当時のパリ管のアンサンブルの限界だったのか、あるいはバレンボイムの指揮が悪かったのか、その両方なのか? とにかくオーケストラの実力自体は、これまで聴いていた海外オケの生演奏の中では、意外に大したことないような印象だった。
というのもこの当時、バレンボイムは飛ぶ鳥を落とす勢いでCDもどんどん出ていたし、以下の記述のように、パリ・オペラ座の新しい劇場の音楽監督になる予定で、音楽ファンの期待が高まっている時期だった。
※公演パンフレットより引用
(中村秀雄による解説)
《このバスチーユ新オペラ座の音楽監督に就任したのが、バレンボイムであった。
(中略)
ところが、今年1月13日、突如バレンボイムの音楽・芸術監督更迭が発表され、フランス国内のみならず、国際的にも大きな波紋を巻き起こすこととなる。
(中略)
バレンボイムはこの決定を不服として政府を相手どって提訴すると語り、ピエール・ブーレーズもオペラ座協会副総裁を辞任、演出家のパトリス・シェローをはじめ、多くのアーティストがオペラ座ボイコットに同調する動きがあるという。
(中略)
バスティーユ・オペラ座のスキャンダルをうまく乗り越えることができるかどうか、世界中の音楽ファンが固唾を飲んで見守っているところである。》
⒉ パリ管弦楽団の音色
バレンボイムとパリ管の実演を聴いていまひとつだったのは、筆者だけの印象だったのかもしれない。要するに、バレンボイムの演奏が筆者の好みに合わなかったのだ。それはともかく、この時の演奏会で特に注目していたのは、バレンボイム自身もさることながら、パリ管の音色だった。これまで実演で聴いた海外オケは、ドイツやロンドン、アメリカなどで、フランスのオケを聴くのは初めてだったからだ。
ホルンを学生時代に吹いていた筆者としては、フランスの本場の音に大いに期待していた。フランス式の管楽器はドイツ系のものとはずいぶん音色が違う、という評判だったからだ。
この時の来日時は、以下の公演パンフレット引用で紹介されている、有名な首席ホルン奏者マイロン・ブルームは退団していて、名手ジョルジョ・バルボトゥが活躍していた。
※公演パンフレットより
(諸石幸生による解説)
《「フルートは、まったく昔と変わりません。オーボエは、他の国のオーケストラに較べればずいぶん変わった音色だと思われるでしょう。しかし、これは楽器の違いというよりもリードによるところが大きいのです。アメリカのオーケストラでは、より深く、豊かなサウンドが要求されます。しかしフランスでは、より細く、クリアーで、しかも鼻にかかったような音色なのです。この他では、バスーンはジャーマン・タイプ、クラリネットはフレンチ・タイプという構成です。
(中略)
首席ホルン奏者は、クリーブランド管弦楽団からの名手です(マイロン・ブルームのこと)。いずれにしてもフランス式ではありません。」(1978年のバレンボイムへのインタビューより)
(中略)
1982年から翌年にかけてバレンボイムは「ワーグナー管弦楽曲集」を録音、さらに1983年には「ニーベルングの指環 管弦楽名曲集」をレコーディングして、フランスのオーケストラによるワーグナー演奏の本当の醍醐味を世界の音楽ファンに知らしめた。
(中略)
ブーレーズのワーグナーとも、もちろんドイツの演奏家によるワーグナーとも異なる、明晰でしかも深く熱い呼吸感に貫かれたワーグナーで、この演奏の素晴らしさにより、両者のコンビがまさに世界のトップにランクされることを証明したのであった。》
この時の公演で聴いたパリ管の管楽器の響きが、はたしてフランス式の響きだったのか、あるいは、バレンボイムのいうようにドイツ式の楽器に切り替わっていたのか、正直、よくわからなかった。それはおそらく、会場の音響条件のせいだった。この記事には、筆者は大阪のザ・シンフォニーホールの音響を聴き慣れていて、昔ながらの大阪フェスティバルホールの音響は、どうしてもドライでデッドな響きに感じてしまう。しかも、学生券の2階席後方では、この巨大なホールの空調が天井で稼働していて、そのノイズが音を邪魔するのだ。そんなわけで、パリ管の管楽器の音色がどうとかいうのは、聴き分けられなかった。
⒊ バレンボイムのワーグナー、バイロイト公演
ところで、公演パンフレットの解説にあるように、当時、バレンボイムがワーグナーの管弦楽曲を録音していたのは知っていたが、バイロイト音楽祭のワーグナー演奏で大活躍するまでになろうとは想像もしなかった。
筆者が初めてワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』を全曲、FMで聴いたのは、バレンボイム指揮、クップファー演出のもので、それをエアチェックして繰り返し聴いた。そのせいで『指環』に関しては、バレンボイムの指揮がしっくり感じられるようになってしまった。その後、CDで『指環』の他の演奏を聴き比べるようになると、バレンボイムの演奏はいささかロマンティックに過ぎ、テンポ感もゆるやかすぎて、物足りなくなった。これはおそらく、バレンボイムのワーグナー解釈が、公言しているようにフルトヴェングラーの解釈から学んでいるせいなのかもしれない。
バレンボイム&クップファーのこのバイロイト音楽祭での『指環』は、当初、演出にものすごいブーイングがあった。FMで聴いていても、曲の終わりに拍手と重なって激しいブーイングが響いていた。これには仰天した。欧米のクラシック演奏での、客席からの「ブー」の物凄さを初めて聴いて驚いた。
※参考CD
《ワーグナー:管弦楽名曲集
バレンボイム&パリ管弦楽団
2001年、タブーを破ってイスラエルで初めてワーグナーを演奏し、問題を提起したバレンボイムにとって、この作曲家のレパートリーはその中核をなす重要な作品です。パリ管弦楽団を振った2枚のLPからのベスト・セレクション。(Universal Music)》
⒋ バレンボイムとジャクリーヌ・デュ・プレ
バレンボイムはこの来日後も活躍を広げていき、筆者はCDや、シカゴ交響楽団との実演も聴いた。
特に妻であるチェリストのジャクリーヌ・デュ・プレとのコンチェルトをCDで聴いて、そのおしどり夫婦ぶりを書いた記事も読んで、この夫婦の演奏を愛聴していた。また、ジャクリーヌが不治の病に倒れた話も読み、バレンボイムの献身的な夫ぶりにまた感動させられた。
ところが、この夫婦の裏話が、家族によるノンフィクションで出版され、それが映画化されたものもみて、ショックを受けた。
ジャクリーヌが、実は義理の兄と不貞関係にあって、夫のバレンボイムとの愛も冷め切っていた、という話だ。果たしてどこまで真実なのかわからないが、このノンフィクションがジャクリーヌの実の姉と弟の手によるものということで、ある程度まで信じざるえを得ない気がした。
この赤裸々なスキャンダルを知ってからは、バレンボイムの演奏を聴くのもなんだか嫌になってしまった。
この印象の変化は、のちに、レヴァインやデュトワのセクハラ事件を聞いて、その後、彼らの演奏をあえて聴きたくなくなった感情の動きと同じだ。音楽家を贔屓にしてその人の演奏を聴く、ということの中には、その人の演奏だけでなく、人間性の魅力も大きな要素だからだ。人間的に冷たかったり、問題ありの人の演奏を、あえてお金を出して聞こうとまでは思わない。
※参考ディスク
https://www.amazon.co.jp/ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ-デラックス版-DVD-エミリー・ワトソン/dp/B00005FXO1
《28歳の若さで不治の病に冒され、第一線を退いた伝説の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯を描いた感動ドラマ。主演は『奇跡の海』のエミリー・ワトソン。内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)》
※参考書籍
https://www.amazon.co.jp/風のジャクリーヌ〜ある真実の物語〜-ヒラリー-デュ・プレ/dp/4883641325
⒌ パリ管弦楽団合唱団のラテン語の発音について
もう一つ、バレンボイムについては、興味深い経験がある。バレンボイムの指揮したモーツァルト『レクイエム』のCDを聴いて、歌詞のラテン語の発音が他の録音の合唱団とは全く違うことに驚いたのだ。
このCDはパリ管と創設されたばかりのパリ管合唱団、ソリストにキャスリーン・バトル他、という豪華な演奏だった。
モーツァルトの『レクイエム』は、筆者自身、何度かステージでコーラスを歌ったことがあり、歌詞のラテン語の発音に四苦八苦した思い出がある。
そのとき参考に聞いていたCDは、どれもドイツ系のオケと合唱団のものだった。他の国の合唱団のラテン語発音を聞いてことがなかったので、ドイツ系のそういう発音が正しいのだと思っていた。
ところが、バレンボイムのCDで聴いたモーツァルト『レクイエム』の、フランス人コーラスの発音は同じラテン語歌詞とは思えないほど違っていた。具体的には、母音が妙に強調されて聞こえるのだ。日本人の我々がラテン語歌詞を歌うときには、日本語のくせで母音をついつい強く発声してしまって、指揮者に注意されるのだが、パリ管合唱団も。我々と同じように母音がはっきり大きく歌われている。
中でも、特にラテン語で「e」の発音が、そのままローマ字読みの「e」で歌われているのが、日本人の我々の歌い方によく似ているのだ。
ドイツ系のコーラスで聴くと、ラテン語の歌詞の「e」は、「i」が混じったような発音で歌われているので、両者の発音の違いは明らかだ。
国によってラテン語の発音が違うとすれば、実に興味深い。あるいは、当時創設されて間もなかったパリ管合唱団のレベルが低くて、ラテン語の発音が下手だったということだろうか? 今でも気になっている。
バレンボイムの指揮したモーツァルト『レクイエム』は、演奏としては実にロマンティックな解釈で、ヴェルディの『レクイエム』に近いような印象だった。モーツァルトの宗教曲としてはいささかダイナミクスとテンポの変化が激しくて、クレッシェンド、デクレッシェンドのつけ方も、宗教曲というよりはオペラのように聴こえる。そこにもバレンボイムの解釈の特徴がはっきり表れていた。バレンボイムは良くも悪くも、19世紀的、ロマン派的な音楽を得意とする指揮者なのだと思う。
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/