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土居豊の音楽エッセイ 【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞】第2回 エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団来日公演1995年 マーラー交響曲第5番〜ロマン派演奏の極北を体験すること(途中から有料記事)

土居豊のエッセイ【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞 〜 平成日本の音楽リスニング黄金時代】

第2回
エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団
来日公演1995年
マーラー交響曲第5番 〜ロマン派演奏の極北を体験すること



⒈  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団1995年 マーラー交響曲第5番


1995年11月5日
大阪 ザ ・シンフォニーホール
曲目
シューマン 交響曲第4番
マーラー 交響曲第5番

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不思議なことに、最近、インバル指揮のフランクフルト放送交響楽団によるマーラー交響曲全集を聴き直すと、ひどくロマンティックな演奏に聞こえるのだ。80年代、インバルの演奏をリアルタイムで聴いていたときには、むしろ、そのマーラー演奏がとてもすっきりと見通しのいい、かなりドライでクリアな演奏に思えたものだった。これは比較の問題で、当時、よく聴いていたのがバーンスタインの再録音のマーラー全集や、アバド、レヴァイン、メータといった歌心豊かな演奏だったからだ。80年代のマーラー演奏は、なんといっても後期ロマン派の代表格としての歌心中心の演奏がよく聴かれていた。その対極にあったのが、ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏で、筆者はこの頃はショルティの剛腕うなるような強烈なマーラー演奏がとても嫌いだった。同じシカゴ響を指揮しても、アバドの場合はしたたるような歌が奏でられる。一方でバーンスタインの再録音は、それこそ小節線が消えてしまって、延々と歌が無限に続くようなロマン派的演奏だった。そういう演奏を好んで聴いていた耳には、インバルのマーラーは、とてもクリアで、むしろ見通しが良すぎて面白くない、と感じさせられるものだった。
それが、21世紀に入った現在では、インバルの80年代の全集録音がいかにも後期ロマン派の歌心あふれる演奏に感じられるのだ。
一つには、当時、リアルタイムでCDやFMラジオのエアチェックで聴いていたのが、オリジナルのDENONレーベルの録音盤で、話題をさらっていたワンポイントマイクによる特殊な録音であるのも、影響していたかもしれない。現在、手元にあって聴いている全集盤は、リマスタリングされており、各楽器の音がより生々しく解像度良く聴き取れる。このバージョンでは、80年代のインバルのマーラーがまるで霧の向こうから響いてくるような感じだったのと比べ、より一層、それぞれの声部が明確に聴き分けられ、弦楽器群がしっとりとロマンティックに歌っているのもはっきりわかる。管楽器のソロの、ちょっと危うい音の揺らぎまでわかって、非常に臨場感が高められている。


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そんなわけで、80年代〜90年代に実際にホールで生演奏で聴いたインバルのマーラーが、CDで聴く印象より圧倒的に熱く、情熱的な演奏ぶりだったことの理由が、明らかになった。実はセッション録音でも、インバルはマーラーを熱く、情熱的に演奏していたのだ。それが当時のワンポイントマイク録音の効果で、クリアに見通しのいい音像にまとまってしまって、ホールで体感する印象とずいぶんかけ離れた演奏であるような感じに聞こえていたのだろう。
だが、それだけではないようにも思える。
80年代に聴いていたインバルの演奏と、21世紀の現在、改めてきくインバルの音はそう大して違わないのだが、聴いている筆者の耳の方が変化してしまったのではなかろうか。
80年代、当たり前のようにロマン派的な歌主導の演奏を録音でも実演でも聞きなれていた耳が、その後の30年で、新古典派的な、あるいはピリオド的な、より鋭角的で見通しのいい、リズム中心の演奏の音に徐々に慣れてしまったのだろうか。80年代に顕著だったロマン派的な和声中心、メロディーライン重視の演奏を古いように感じる耳へ、気づかないうちに変わっていったのかもしれない。
当時はクリアでちょっとドライな演奏に思えていたインバルのマーラーが、21世紀的な極めて透明度の高い、リズムの鋭角的な音作りに慣れた現在の耳で聞くと、非常にロマンティックな音に聴こえてしまうということだ。
これは、音楽演奏の響きの変化という観点から考えて、ありがちな現象だといえるかもしれない。特に、録音再生機器の進化、変貌によって、音楽の音像は完全に別物といっていいぐらい、変わってしまう。80年代に筆者が慣れていたLPレコードのアナログ録音の音、FM放送の雑音混じりの音、初期のCDの乾いた響き、カセットに録音した不安定な音像などは、現在のデジタル再生の音とは根本的に異なるはずだ。
だが、実演なら、80年代当時も、21世紀のいまも、大差ないはず、と考えたくなるかもしれない。だが、それもまた、聴く側の錯覚が大きいのだ。
実演であっても、80年代に行われていたオケの演奏法と、現在の、ピリオド奏法の洗礼を受けた後の演奏では、やはり弦楽器を中心に響きが全く異なるといえるだろう。また、ホールの響きも、同じザ ・シンフォニーホールで聴いていたとしても、ホール完成後数年間の当時の響きは、まだ建物が落ち着いていない段階の、ちょっと乾いた響きだったかもしれない。現在、時間の経過で熟成された古いホールの響きを体感できるシンフォニーホールで聴くインバルのマーラーは、おそらくは80年代当時よりも、もっとしっとりと深い響きになっているはずだ。




⒉   90年代のインバルとDENONレーベル


そういうあれこれを考えながら、今回取り上げた1995年の来日公演におけるインバルのマーラー演奏がどうだったか、記憶を探って行くのだが、これが残念ながらよく思い出せない。
この時の演奏は、インバルがまだ若く、勢いのある演奏を繰り広げていた時期だったはずだ。だから80年代後半に聴いた同楽団とのマーラー演奏と、そう大差なかったと考えても間違いはないだろう。それでも、80年代に聴いた演奏の方が印象が強かったのは、おそらく筆者の耳が悪い意味で慣れてしまって、インバルのマーラー演奏を新鮮に感じなくなっていたせいだと思う。つまりは、筆者がこの頃、マーラーの実演にいささか飽きていたということなのだ。

95年ごろ、日本で聴くオケ演奏はどんなものだったか? 来日オケを聴きに行く回数は、筆者が働くようになって以来、激減していたが、それでも機会を作っては地元・大阪のオケを聴きに行くようにしていた。それも朝比奈隆指揮の大阪フィルの演奏が多かったので、このころの筆者は、オケの響きにちょっとマンネリ感を感じていたかもしれない。そんな折にインバルとフランクフルト放送響を聴いたなら、もっと感銘を受けていてもおかしくないのだが、どうも印象が薄いのだ。
前半に聴いたシューマンの交響曲第4番はどうだったか? これも、もう一つ、はっきりした印象がない。この日の筆者は、生演奏を聴くコンディションが悪かった、ということなのだろう。

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フランクフルト放送響といえば、首席ソロ・ホルンにかつては腕利きのマリー=ルイーズ・ノイネッカーがいたのだが、この95年には、すでに退団してソロ奏者として活躍中だ。このノイネッカーのホルン・ソロを、マーラーの5番の3楽章で聴けなかったのは、残念だった。

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この当時、筆者はインバルの録音を熱心に聴かなくなっていたのも確かだ。インバルが90年代に入って、ますます録音を増やし、ベルリオーズ、ラヴェル、とフランスものをまとめて録音していたせいもあった。インバル のラヴェルなど、正直わざわざ聴く気はしなかったのだ。
シューマンなら、インバルの真価が発揮されたことだろう。だが筆者の方は、まだこの頃、シューマンの交響曲が今ひとつ、よくわからない段階だった。そんなわけで、筆者にとってインバルの真価が体感できたのは、もう少し後になって、改めて録音を聴き直してからになる。
ところで、前述のように、オーケストラ演奏は90年代半ばのこの時期、過渡期に差し掛かっていた。インバル のようなロマン派的演奏は80年代までの主流だったのだが、90年代以降、ピリオド演奏の影響が欧米の有名オケにもじわじわと浸透しつつあった。世界的な指揮者たちの中にも、ピリオド演奏の解釈、演奏法を取り入れようとする試みが始まっていた。その中でも、当時最も世間に物議を醸し、同時にその後の世界のオーケストラ演奏に大きな影響を残したのが、この次に特集するアバド&ベルリン・フィルの革命的なベートーヴェン第九の新録音だった。だが、その話は次回とする。


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⒊  インバル のショスタコーヴィチは「ポスト・マーラー」の代表格


90年代のインバルは、ウィーン響とショスタコーヴィッチ交響曲全集を録音して、気を吐いていた。ソ連崩壊後の最初のショスタコ全集、という位置付けだった。
特に、1990年録音の交響曲第5番は、まだソ連崩壊前の時期だとはいえ、例のソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』が日本でも読めるようになって以後の、ショスタコ5番の演奏解釈として注目された。『音楽現代』誌のインタビューで、インバル自身による解説が掲載されたこともあいまって、聴くものに衝撃を与えたものだ。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/