見出し画像

土居豊のエッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】 演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代 〈その1 朝比奈隆と大阪フィルの実演〉 (1)朝比奈隆指揮・大阪フィル「マーラー 交響曲第9番」1983年定期演奏会

土居豊のエッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】


演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代


〈その1 朝比奈隆と大阪フィルの実演〉


(1)朝比奈隆指揮・大阪フィル「マーラー 交響曲第9番」1983年定期演奏会


演奏会データ

大阪フィルハーモニー交響楽団
第190回定期演奏会
指揮:朝比奈隆
演奏:大阪フィルハーモニー交響楽団

曲目
マーラー
交響曲第9番ニ長調

1983年2月16日
大阪 フェスティバルホール


IMG_4048のコピー


※CD情報

https://www.hmv.co.jp/artist_マーラー(1860-1911)_000000000019272/item_交響曲第9番-朝比奈隆&大阪フィル(1983)(2CD)_3879876

《朝比奈隆/マーラー:交響曲第9番(2CD)
第190回定期演奏会のライヴ。朝比奈にとって同曲3回目の演奏でしたが、同じ年の4月14日に行った東京交響楽団との演奏が最後となったため、大阪フィルとはこれが最後の演奏となりました。作為性のない無骨な表現ながら、朝比奈だけが表現できる独自の世界があり、唯一無二の境地を示した演奏です。

第190回定期演奏会の模様を収録。同曲3回目の演奏となるが、同年4月14日に行なった東京響との演奏が最後となったため、大阪フィルとはこれが最後の演奏となった。分厚い低弦をうねらせる、朝比奈だけが表現できる独自の世界観がここに。(CDジャーナル データベースより)》

【収録情報】
マーラー:交響曲第9番ニ長調
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
録音時期:1983年2月15日
録音場所:大阪、フェスティヴァルホール
録音方式:デジタル(ライヴ)


IMG_4051のコピー



上記の演奏会のレビューをまとめる前に、まずは同時演奏会を収録したというこのライブレコーディングのCDについて、問題点を指摘しておこう。
驚いたことに、録音の日程が違うのだ。このCDが、朝比奈隆指揮の大阪フィル定期演奏会の収録だとすると、本当は16日(水)のはずだ。しかしCDの記載では15日で、しかもライブ録音とある。
ライブ録音なら、なぜ録音の日程が実際と違っているのか?
ちなみに大阪フィルの200回記念と、300回記念の際の定期演奏会記録を参照しても、この演奏会の日付は2月16日である。オーケストラ発行の記録にある演奏会の日程に、間違いはないはずだ。
考えるに、このCDは演奏会のライブ収録と記されているが、実際は前日の15日、ゲネプロか練習を収録したものではなかろうか?
あるいは、ゲネプロと本番の録音をミックスしたものだろうか?
それというのも、一つには、筆者は2月16日の当日この演奏会を聴きに行っているのだが、本番の舞台上に収録用のマイクが立っていた覚えがないのだ。
これは何しろ30年以上も昔のことだから、筆者の記憶違いかもしれない。実のところ、筆者が大阪のフェスティバルホールに本格的なプロ・オケを聴きに行ったのは、この日が最初だった。会場の隅から隅までもの珍しくて、お上りさんのように見物したことを覚えている。だからフェスティバルホールの舞台のあの広さや、反響板にドアがつけてあってそこが開いて指揮者が登場することなど、細かいことを記憶している。だから当日、ステージ上にレコーディング用のマイクが林立していたとすれば、それも覚えていそうなものなのだ。
あるいは、ホールの天井付近にある記録マイクでの録音だったのだろうか?
だがCDで聴くと、演奏者の椅子の軋みや、弦楽器奏者が楽譜のページをめくる音までが入っていたりするので、この録音は天井マイクではないだろう。録音の各楽器のバランスも、明らかに管楽器の音が大きく入っているので、天井の集音マイクによる記録録音ではないと考えられる。
一方で、咳の音なども頻繁に入っているので、やはり演奏会当日の録音なのかもしれない。
ちなみに全曲の終わりには、盛大な拍手も入っている。しかしこれは、楽曲の最後の1音が消えてから、あとで拍手の音を合成したとも考えられる。
何れにしても、CDの収録日と実際の演奏会の日時が違っているのは、CDの発売元のキングレコードのミスではないかと思われる。この点、キングレコード、あるいは元のレコード製造元のファイアバードの見解を知りたい。




さて、実際の演奏の話に移ろう。
とは言ったものの、演奏会の当日の記憶として、どんな演奏だったのか実のところはっきりしない。何しろ、初めて本格的なコンサートホールで生のオケの実演を聴いたのだ。上手いとか下手とかそういうこと以前に、生オケの音の大きさや響きの豊かさに、すっかり魅了されていた。
もう一つ、考慮しておかなければならないのは、聴いた席が高校生優待券(当時、500円)であり、あの巨大な客席の最前列から2番目という最悪のポジションだった。それというのも、あのホールの最前列は客席がステージの平面より下にあり、オケの全体像などほとんど見ることができない。見上げても、弦楽器奏者の靴ばかりが見える位置だった。そのかわりステージに近い、ともいえるのだが、指揮者の朝比奈隆を見るにしても斜め下から見上げる形になり、指揮しながら大きな唸り声をあげる声がやたら耳につくのだった。
そういう位置で聴いたためもあって、楽器群のバランスも何もあったものではない。ただひたすら、マーラーの楽曲の複雑さと、90分という長さに圧倒されているばかりだった。
ちなみにマーラーの交響曲第9番を聴いたのも、その時が最初だった。予習でレコードを聴いたりラジオで聴いたりしていなかったのだ。
ただ、ここで一つ言い訳しておくと、マーラーの交響曲第1番の4楽章を、当時入っていた高校の吹奏楽部の演奏会で、吹奏楽アレンジ版で演奏したことがあった。だからマーラーの1番シンフォニーだけは、全曲をレコードやラジオで何度か聴いたことがあった。
その先入観から、第9番も賑やかな楽曲だろうと思っていたのだが、曲の内容が予想とずいぶん違う印象だったことを覚えている。終楽章の徐々に消えていく終わり方は、1番シンフォニーの終楽章のような終わり方と全く違うので、完全に意表を突かれた。聴き終わって、こういう交響曲があるのだなあという驚きが先に立ち、正直、その演奏の質まではよくわからなかったというわけだ。



今回、改めて30年前の演奏会の録音(あるいはゲネプロの)をCDとして聴いてみた。
そこで、どうしても思ってしまうのは、否定したくても否定できない「下手だなあ」という感想だ。
83年当時の大阪フィルの演奏水準は、現在の日本オケの技術レベルとは全く比較にならない。演奏会を聴いた30年前は大して気にならなかったのだが、現在の耳で聞き直すと、本当にこれでプロ?というぐらい演奏技術は下手っぴだ。これは大阪フィルだけが下手だったのではなく、当時の日本のオーケストラ技術の平均がこのぐらいだったのだろうと考えられる。録音のバランスが悪いのも、下手に聞こえる原因であろう。この録音から数年後に収録された、同じ朝比奈隆と大阪フィルの演奏によるベートーヴェンの交響曲のCDは、はるかに聴きやすい水準の演奏技術に思えるからだ。こちらは、録音会場が新しく完成したザ・シンフォニーホールだということも原因かと思われる。
したがって、当時の大阪フィルの演奏技術がひどいというより、フェスティバルホールでのこのマーラー9番の録音がよほどひどいコンディションだったのではないか、という点も割り引いて考える必要がある。
だが、それはそうとしても、あの当時、こういういわばいい加減なライブ録音?でも、そのままレコード発売されていたというのが、現在から考えると非常に興味深い。つまり、現在なら録音コンディションがひどいような録音を、そのまま公式のCDで発売するなどあり得ないはずだからだ。当時は、そんな音源であっても買い手があり、レコード音楽がたくさん聴かれていたという一つの証拠ではなかろうか。

※当時の演奏会プログラムにも、大阪フィルのレコードがベストセラー、との文言が見える

IMG_4054のコピー


それでは、今回このCDを聴き直した上での、朝比奈&大阪フィルのマーラー9番について、少し感想を述べたい。

第1楽章から、トランペットのフォルテ時の崩れっぷり、ビブラートのヘタなかけ方が目立つ。トロンボーンのアタックの汚さもえぐい。
フェスティバルホールの音響自体は思ったほどデッドではなく、むしろ残響がよくとらえられている。1楽章第1主題のトゥッティによる最強音の後、聞こえている残響は、このホールが決して音響の悪いホールではなかった証拠だ。それとも、まさか、録音編集段階で残響を追加したのだろうか?
それというのも、打楽器の音が異様なほど響いていないのが、奇妙に感じられるからだ。ティンパニーなど、まるで安物のタムタムみたいな音がしている。当時の大阪フィルの打楽器がよほど悪い楽器だったのか? だがシンバルや、ハープまでもがひどくデッドな音に聞こえるのは、これはマイクの位置の問題か、ステージ上のセッティングのせいなのかもしれない。1楽章終結部近くの鐘の音も、全く響かない音になってしまっている。
そういう録音上の問題点を抜きにして考えても、演奏技術のレベルとして聞くと、弦楽器の音程のズレが悲惨なほどに気になる。これは、マーラーのオーケストレーションが、当時の大阪フィルには難しすぎたということなのだろうか。管楽器の方も、アーティキュレーションがおかしいと感じる箇所が多々ある。同じマーラーの9番を、同じ80年代の欧米楽団の演奏録音と聴き比べたとき、これはまたえらく違うなあと感じる節回し、フレーズの取り方が目立つ。はたして指揮者の朝比奈の解釈のせいなのか? それとも、技術的に本来あるべき節回しを実現できない奏者の側の問題なのか?
しかしながら、この演奏で驚かされるのは、そういう難点ばかりではない。楽器の技術的問題だけでは計り知れない、音楽演奏の不思議さを味合わせてくれる演奏なのだ。それというのも、1楽章の終結部に近づくと、それまでのドタバタした混乱が収まり、奏者が確信を取り戻して演奏しているように聞こえてくるのだ。もちろん個々の音の汚さは変わらないのだが、不思議に演奏が急にしっかり立て直された感じがする。非常に難しいソロ・フルートとホルンの掛け合いもフレージングに確かな見通しがあり、楽章前半とは別人のように着実な演奏ぶりだ。まさか、この録音はどこかで収録日の異なるものを継ぎ合わせているのだろうか?などとあらぬ疑いをかけたくなるほど、1楽章の後半、演奏が持ち直している。とはいえ、コーダの音程の悪さはいかんともしがたい。
以下、全曲の感想を急ぎ足で述べると、2楽章のホルンの音程の悪さ、音の外しっぷりはひどい。木管群のアンサンブルの悪さも目立つ。3楽章、金管群は持ち直してしっかり発音できている。だがマイクの位置のせいか、管楽器の中でのバランスがひどく悪い。また、まさかのクラリネットが音を間違えたのには仰天した。
朝比奈隆のマーラー、という点で聴くと、終始一貫して荒々しいスケルツォ楽章が、まるでブルックナーを思わせるところに面白みがある。
さて、いよいよ4楽章だが、ここにきて弦楽器群の音程とアンサンブルのズレが致命的になる。この弦楽中心のアダージョ楽章は、やはりどうしても弦楽器の音色と合奏の質が問われるからだ。ヴァイオリンのアンサンブルが崩れ、低弦の音程の悪さも目立つ。チェロのアーティキュレーションがどうにもギクシャクしている。
掛け合いで入るソロ・ホルンの発音も、まるでフレンチホルンではなくトロンボーンのように聞こえるのは、録音のせいばかりとはいえないだろう。ホルンらしい響きになっていないのだ。
この日の演奏について、のちに朝比奈が「もっと良くできたはず」とインタビューで述べているのも、むべなるかなである。想像するに、おそらくは大阪フィルとしても万全のスケジュールではなく、マーラーの難曲をやるには準備不足だったに違いない。


※朝比奈隆のインタビュー引用
(『朝比奈隆 交響楽の世界』朝比奈隆・金子健志 著 早稲田出版)
《あとは〈9番〉ですかね、マーラーの場合は。僕の〈9番〉はあまり感心しないレコードが出てるものですからね、やり直したいんですが…。
あれも演奏会のライブ・レコーディングだったのです。いや、もちろん、ライブといったって、演奏さえ良けりゃいいんですがね。ちょっと、能力的に…フィナーレなんか、もっと上手くやれたはずなんだ。やっぱりあの頃、東京でやったときは、うまく行ったんですけどね、あのフィナーレがね。非常にテンポが遅いものですからね、あのフィナーレは。遅いテンポで最後までやらなきゃいけない。それが、途中で速くなってしまった…。いや、速くなったんじゃなく、速くしちゃったんですな。やっぱり、不安なんですね、ひどく、お終いの方が…。特にスコアの最後の1ページが問題なのです。
(中略)
まあ(あのレコードは)欠点が多くて申し訳ないんですけどね。そのうちに再録音しようと考えてます…。》



このインタビューで朝比奈が語っているのは、主にマーラー9番終楽章の最後のテンポを思っていたより速くしてしまった点だ。
けれど言外には、もっと「能力的に」良い演奏ができたはず、というニュアンスをにじませている。しかも、東京での9番はうまく行った、と語っているのが意味深だ。東京での演奏とは、上記CD解説にもある東京交響楽団との演奏のことだろう。そちらの方が、オーケストラの技術的にも上だったのかもしれない。
ちなみに、朝比奈のマーラーで後期のものは9番、8番、『大地の歌』以外、CDであまり聴く機会がない。せっかくご本人が5、6、7番をやりたいと語っていたのに、晩年再録音の機会がなかったのは残念だ。80年代後半から90年代にかけて、朝比奈&大阪フィルでマーラーの、それもオーケストレーションの極致といえる5、6、7番、9番をもっと聴きたかったと、今になって思う。
朝比奈ご本人も5、6、7番に再チャレンジしたかったのではないか、と以下のインタビューを読んでいても思わせられる。筆者としては、朝比奈のマーラーはライブ収録よりも、きちんとセッション録音したものを聴いてみたかったと思う。


※朝比奈隆のインタビュー引用
(『朝比奈隆 交響楽の世界』朝比奈隆・金子健志 著 早稲田出版)
《僕は(マーラーでは)〈1番〉はやる気がしません。〈5番〉、〈6番〉、〈7番〉は最も創作意欲に満ちた頃の作品で、特に〈6番〉、〈7番〉というのは、あのへんはスコアの書き方がクライマックスですよ。》


※参考
朝比奈隆のマーラー6番、7番音源

7番
https://tower.jp/item/1651293/第20回-東京定期演奏会-(7-28-1981:東京文化会館):マーラー:交響曲第7番-(+BT:リスト:交響詩「前奏曲」):朝比奈隆指揮-大阪フィルハーモニー交響楽団

6番
https://tower.jp/item/1749066/マーラー:交響曲第6番:朝比奈隆指揮-大阪フィルハーモニー交響楽団-(2-18-1992:第262回定期演奏会)



※付録

筆者による過去レビューのアーカイブ
⒈ 朝比奈隆 編
1)
『朝比奈隆の快演で気分爽快(2000.10.20.)』
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750785.html
2)
朝比奈隆という奇跡 (2001.7.8)
https://ameblo.jp/takashihara/entry-12556750826.html

※期間限定、無料公開中!

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第24回
朝比奈隆指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 1990年

ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団 来日公演 1990年

https://note.com/doiyutaka/n/nc1e1e7182de6


(注)朝比奈隆指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 1990年は、当初、指揮する予定のオットマール・スウィトナーが病気でキャンセルとなり、代役にアルド・チェッカートが指揮した。ところが、さらに朝比奈隆も病気でキャンセルとなり、朝比奈の指揮予定の公演日もチェッカートの指揮となった。


※当時の大阪フィルハーモニー交響楽団(演奏会プログラムより)

IMG_4053のコピー



さて、先に書いたように、大阪フィル定期演奏会でのマーラーの9番を、筆者は本格的なオケ演奏の最初のものとして聴いたのだが、その後の数年間で、最初に聴いた朝比奈&大阪フィルのマーラーはいかにも技術不足で生硬な演奏だったのだ、と後知恵ながら思い知らされる。それというのも、当時盛んに来日していた有名オケと有名指揮者の生演奏を聴く機会が増えたからだ。特にマーラーについては、アバド&ロンドン交響楽団によるマーラーの交響曲第1番という極め付けの快演の後では、朝比奈&大阪フィルの演奏には物足りなさが大きく、オケの力量の差を肌身に感じた。
最初の83年の9番の後、筆者は朝比奈&大阪フィルの84年の第204回定期演奏会において、マーラーの交響曲第5番を聴いている。上記の音源の他にこの時のマーラー5番もどこかに録音原盤があるはずなのだが、これまで発売されたことはないようだ。
この84年の5番の印象も、9番の時と同様、金管群の不安定さに不満を感じて、演奏そのものに没入できなかった記憶がある。


ここから先は

2,789字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100

土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/