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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第30回 フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1992年 (クラウス・テンシュテットの病気キャンセルのため)

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第30回
フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1992年
(クラウス・テンシュテットの病気キャンセルのため)


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招聘・提供:梶本音楽事務所
後援:英国大使館 ブリティッシュ・カウンシル
協力:東芝EMI株式会社
提供協力:コロンビア・アーティスツ・マネジメント社
パイオニア株式会社は、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を年間を通じて応援しています

【加筆】

この演奏会も提供協力という形でかんでいたコロンビア・アーティスツ・マネジメント(CAMI)が、昨年、2020年8月末に経営破綻していたという。
20世紀のクラシック音楽界を牛耳った「指揮者を指揮する男」、ロナルド・ウィルフォードのマネジメント会社だが、21世紀のクラシック音楽退潮と、コロナパンデミックには抗しきれなかったのだろう。
20世紀のクラシック音楽で育ってきた筆者には、あまりに感慨深い。
日本の20世紀を代表する指揮者・小澤征爾も、CAMIのウィルフォードなくしてはその成功はありえなかった。

次々回、この連載の最終回で、小澤征爾を改めて聴きなおしてみたい。


※参考記事
https://mcsya.org/cami-closes-its-doors/

【業界激震】コロンビア・アーティスツ(アメリカ)が明日倒産(2020年8月30日)
《業界に激震が走る巨大ニュース。かつて世界最強の音楽事務所と恐れられたコロンビア・アーティスツ(Columbia Artists Management, Inc.。略称はCAMIです。業界的には「カミ」と読みます)が明日、倒産します。あのコロンビアが!!!ちなみに最近分裂して出来たCAMI Musicという会社もありますが、今回のお話は本家のほうです。》


https://m-festival.biz/14657

ニューヨーク発 〓 音楽マネージメント大手コロンビア・アーティスツが経営破綻(2020/09/01)
《かつて世界最強の音楽事務所と知られたコロンビア・アーティスツ(Columbia Artists Management, Inc.)が31日付で経営破綻した。コロナ禍の直撃を受けた格好。負債総額などは明らかにされていない。
通称「CAMI」の創設は1930年。カーネギーホールのすぐ近くに事務所を構え、2015年に亡くなったロナルド・ウイルフォードが1970年代からオーケストラの音楽監督を斡旋する路線を採用して急成長、ウィルフォードは「指揮者を指揮する男」とまで呼ばれた。》



⒈  フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1992年


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公演スケジュール

1992年
3月
2日、3日、4日 東京

6日
大阪
ザ・シンフォニーホール
ベートーヴェン 交響曲第6番へ長調「田園」、交響曲第5番ハ短調「運命」
指揮:フランツ・ウェルザー=メスト
(クラウス・テンシュテットの病気キャンセルのため)

7日 東京
8日 日立
9日 東京


※前回のテンシュテット来日時のエッセイ
第17回 クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1988年


https://note.mu/doiyutaka/n/na1b08d72ca4b


前回1988年の来日時には、無事に姿を見、演奏を聴くことができたテンシュテットは、その後、懸念された病状がますます悪化したようで、今回の92年の来日は、ついに日本の聴衆の前に姿を現すことはなかった。
すでにロンドン・フィルの指揮者を新進気鋭のフランツ・ウェルザー=メストに譲っていたため、代役の指揮といっても不安はなかっただろう。それでも、テンシュテットをもう一度見たい、聴きたい、と願って集まった聴衆の失望はどうしようもなかった。かくいう筆者も、テンシュテットが聴きたい一心で行ったので、正直、がっかりしてしまった。
そんなわけで、当時、頭角を現していたウェルザー=メストの指揮ぶりは、ほとんど記憶にない。何しろ、曲目がベートーヴェンの第5、第6なのだ。テンシュテットのベートーヴェンはいかなる演奏なのか、と期待した身としては、いくら俊英とはいえ、そんな若造の振るベートーヴェンなんか聴きたくなかった、といってもいい。
そのウェルザー=メストも、押しも押されもせぬベテラン指揮者に成長した。ロンドン・フィルの後、クリーブランド管弦楽団、そしてウィーン国立歌劇場へ、クラシック音楽界のピラミッドを着々と登りつめたといえよう。時の流れを実感する。


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こういうパターンは、以前にもあった。レニングラード管弦楽団をムラヴィンスキーの指揮で聴ける、と期待したら病気キャンセルで、新進気鋭のマリス・ヤンソンスが代役だったことを思い出す。あの時も、ムラヴィンスキーみたさで聴きに行った身として、ヤンソンスの指揮は何も覚えていなかった。そのヤンソンスが巨匠指揮者となり、すでに故人になっているのだ。
思うに、後年大成する指揮者というのは、ビッグネームの代役で大舞台をふむことが多いのだろう。かつて、多くの指揮者がそうやってデビューを飾り、飛躍のチャンスをつかんだという。
そう考えると、このテンシュテットの時も、がっかりしてばかりいないで、ウェルザー=メストの若々しいベートーヴェンをしっかり聴きこむべきだった。
そうわかってはいるのだが、やはり、どうしてもテンシュテットを最後にもう一度、聴いておきたかったのだ。それほどに、テンシュテットの実演に接するのは、稀有な体験だった。

ところで、今回の公演パンフレットに、解説を書いている音楽評論家の面々も、いよいよ90年代、という感じだ。今となっては常連の名前だが、80年代までの音楽評論家の名前から、これらの名前にちょうど入れ替わる時期だったのだろう。


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⒉  テンシュテット讃


試しに、懐かしいテンシュテット&ロンドン・フィルのマーラー・チクルスのCDを聴いてみよう。


※参考CD
http://www.hmv.co.jp/artist_マーラー(1860-1911)_000000000019272/item_交響曲全集%E3%80%80クラウス・テンシュテット-ロンドン・フィル-セッション-ライヴ-16CD_4035133

《マーラー交響曲全集&ライヴ録音集
テンシュテット&ロンドン・フィル
【テンシュテット&LPOの代表作】
「交響曲全集」は1977年から1986年にかけてセッション・レコーディングされたもので、これに1988年から1993年にかけておこなわれたライヴ・レコーディングが加わることで、テンシュテットの指揮者人生の絶頂期を彩ったロンドン・フィルとの16年間をマーラー演奏の数々によってカバーできることになりました。
【バーンスタインと並び称される独特の解釈】
マーラー作品の深部・暗部をのぞかせることにかけては第1級の手腕を持つテンシュテットによる見事な演奏の数々は、これまでにも高い評価を受けてきました。そのスタイルは、バーンスタインと同じくデフォルメも辞さず作品解釈の極限に迫るものですが、ヒューマンな感動を志向する熱く開放的なバーンスタインに対し、テンシュテットの場合はより求心的で緊張感が強く、ひとりの人間の葛藤と相克、そして救済といった印象を与えるのが大きな違いでしょうか。
【テンシュテットと癌】
テンシュテットは1985年、アメリカ演奏旅行中に喉に違和感を訴え、病院で診察を受けると喉頭癌であることが判明、その後、放射線治療を続けながら指揮する道を選び、1993年の春までの7年半も活動を継続しました。テンシュテットは数々のコンサートで多くの人々に感動を与え続けましたが、1993年後半から病状が悪化し、その後は治療に専念するものの、5年後の1998年1月12日、北ドイツのキールの自宅で静かに世を去ることとなります。

交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』

エリザベス・コネル(ソプラノI:罪深き女)
イーディス・ウィーンズ(ソプラノII:贖罪の女のひとり)
フェリシティ・ロット(ソプラノIII:栄光の聖母)
トゥルーデリーゼ・シュミット(コントラルトI:サマリアの女)
ナディーヌ・ドゥニーズ(コントラルトII:エジプトのマリア)
リチャード・ヴァーサル(テナー:マリアを讃える博士)
ヨルマ・ヒュニネン(バリトン:法悦の神父)
ハンス・ゾーティン(バス:瞑想の神父)
デイヴィッド・ヒル(オルガン)
ティフィン・スクール少年合唱団
ロンドン・フィルハーモニー合唱団
録音時期:1986年4月20-24日、1986年10月8-10日
録音場所:ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ウェストミンスター大聖堂
録音方式:デジタル(セッション)》


現在の時点から聴き直すと、このマーラー演奏は、19世紀ロマン派の最後の輝きが見事に燃焼している。つまり、20世紀末の時点でマーラーを演奏する指揮者は大勢いたが、これほどに楽曲のロマンティックな側面をあぶり出し、まさに身も世もなく感情を投入して音楽を嫋嫋と鳴らした指揮者はいなかった。
もちろん、テンシュテットの前に、バーンスタインのマーラー再録音があった。だが、バーンスタインの場合、マーラーのロマン派的側面ばかりを拡大したわけではない。あの超ロマン的な拡大解釈の演奏は、ロマン派音楽の脱構築、というべきだ。バーンスタインの肥大化した自我の表出をマーラー演奏でやってみせることは、80年代のロマン派モダン的解釈の流行を逆手にとったといえる。ロマンティックな音楽を最大限に拡大解釈することにより、過去にあり得たロマン派ではなく現代でしか存在しえない最大限の自我の表出を、ポスト・モダン的なアバウトさでやりきってしまった。そうふうに、筆者はバーンスタインを聴いている。
しかし、そういう複雑なマーラー演奏ではなく、テンシュテットのマーラーはあくまで抒情的だ。特に初期の1〜4番において、その傾向は真っ直ぐプラスに働いている。
ロンドン・フィルとのセッション録音ではなく、シカゴ交響楽団とのライブ・レコーディングとその映像を見ても、印象は変わらない。テンシュテットの病状がさらに進んだせいかどうか、身体の衰えに抗うような精神の激しい高揚、感情の爆発が楽曲の直情的性格にマッチして、見事にロマンティックな抒情と情熱の燃焼を表している。まさに一期一会のライブであり、この演奏がキャンセルとなった今回の来日演奏の前年だったこともあって、本当に貴重な映像・録音だと思えるのだ。



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もう一つ、テンシュテットでなければ成し得なかった超名演がある。それがこのマーラー・チクルスCDの中の白眉、交響曲第8番だ。
この録音はライブ収録ではなくセッション録音だが、数多いこの曲の録音の中で、間違いなくベスト3に入ると言える。

※参考記事
(加筆修正・追加記事)
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第16回
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 来日公演 1988年

https://note.com/doiyutaka/n/n5a604f6549cf


それというのも、この曲は異様なまでの大編成と複雑な楽曲構造、多すぎるほどの重複声部のせいで、セッションといえども納得のいく録音は難しいからだ。
もちろん、楽曲分析を精密にやって、見通しのいい聴きやすい演奏に仕上げた録音は数多くある。だが、それらの演奏は聴いても納得がいくわけではなく、スコアの音を忠実に再現した記録にすぎないように感じる。
一方、この曲のライブ録音にも名演はあるが、それらの演奏は、実演ゆえの条件の制約によってどうしても細部の音の再現は難しく、曲の大枠をわしづかみにしたような荒っぽさは否めない。
また、この曲の実演を何度か聴いたことがあるが、ホールで直接この曲を生演奏できく時には、聴く位置によっても、その演奏団体のコンディションにも大きく左右される。指揮者がいくら頑張っても、あまりに膨大な演奏者のそれぞれが最良のコンディションでいるわけもなく、多数のソリストにもどうしても差が生じる。だからこの曲の場合、実演が一番とは言い切れないのだ。
そんな難しい曲だが、ロンドン・フィルとの録音セッションでのテンシュテットは、奇跡のような指揮で、多数の演奏者をロマンティックな楽曲世界に巻き込み、およそ可能な限りの音像の明確さを保ちながら、曲の求める最大限の燃焼度で演奏を構築した。そのもっとも素晴らしい場面は、第1部の再現部、冒頭のテーマが再び戻ってくる箇所だ。「accende lumen」の歌詞から始まる長大かつ複雑な二重フーガが、「veni」の一つのテーマに再び回収される時のおそるべき音圧、感情の爆発ぶりは、この楽曲が最高度に再現された実例だといえる。



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※テンシュテットによるマーラー8番の録音セッション

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こういう演奏を成し得るテンシュテットだからこそ、実演でのベートーヴェンに大いに期待したのだ。彼のベートーヴェン演奏は録音も多くなく、実演に接する機会も少なかったので、92年の来日で極め付きの2曲、第5、第6を演奏するはずだったのは、本当に期待が高かったのだ。


※参考CD
http://www.hmv.co.jp/artist_ベートーヴェン(1770-1827)_000000000034571/item_交響曲第3番『英雄』-テンシュテット&ロンドン・フィル(ライヴ)_1075413

《ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』
クラウス・テンシュテット指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991-9&10(ライヴ)
内容詳細
大病から一時的に再起したテンシュテットが残した晩年の「英雄」。スケール感はあるが、少しも威圧的ではなく、人間的な温かさと包み込むような寛容さが全編に満ちあふれている。聴いているうちに、感動がじんわりと心の奥底まで染み入ってくるような名演盤。(CDジャーナル データベースより)》


ちなみに、マーラーに関していえば、難曲中の難曲、交響曲第7番でも、テンシュテットの録音で聴くと、その意味するところがよくわかるのだ。 


※参考記事

土居豊のエッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】
演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代
〈その6 大阪フィルと若杉弘の奇跡のマーラー〉





⒊  90年代前半のクラシック音楽界


ところで、この92年の頃、ロンドン・フィルを招聘した梶本音楽事務所は、その公演パンフレットに載せた広告のように、ますます景気良く世界の名演奏家を招聘していた。
その中でも、デュトワ&モントリール響、ブロムシュテット&サンフランシスコ響は、当時の通好みというべき指揮者とオケの組み合わせで、こういう渋いコンビを呼ぶのも、梶本の肥えた目利きというべきだろう。デュトワは、その後、N響の常任指揮者で日本の聴衆におなじみの顔となった。ブロムシュテットも、21世紀に生きている最後の長老指揮者、という立場で、日本に再三来日し、公演のたびに賛辞が溢れる。だが、90年代初めには、ブロムシュテットは本当に地味な指揮者の扱いだったのだ。それをこうして手兵サンフランシスコ響ともども招聘する梶本は、本当に先見の明があった。


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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/