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【美術館・博物館の訪問記録】中野美術館、大和文華館

奈良県にある美術館に行ってきたので、振り返りを兼ねての記録になります。知らない方も多いかと思うので(というか、私自身調べるまで全然知らなかったので)イメージが多少なりとも湧くように、基本的なことも書かせていただきました。


【どこにある?】

2つとも奈良県にある美術館で、最寄り駅は近鉄奈良線の「学園前駅」となります。

関西圏以外の方にはイメージが湧きづらいと思うので、少し補足をすると大阪の繁華街の一つである難波駅から約30分くらいのところにあります。

この「学園」というのは帝塚山学園のことを指しています。帝塚山学園というのは、関東の学校で言うなら成城学園が一番イメージが近いと思っています。学力がずば抜けて高いということはないが、お金持ちが通う学校、といえばわかりやすいでしょうか。

帝塚山学園

駅の真ん前にドーンとあります


両美術館へは、学園前駅から徒歩圏内なので歩いていったのですが、道中は豪邸も多かったですし、外車も散見されました。静かな高級住宅地という感じです。

2つの美術館は蛙股池(かえるまたいけ。一説には日本最古のダムとも呼ばれているそうです。日本書記の菅原池がこの池という説があるとか)を挟んで反対側にあるため、両方一気に回ることが出来ました。

【中野美術館】

閉館時間が16時と早めのため、先にこちらに伺いました。

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こじんまりした美術館(入口すぐ横に洋画の部屋が1つ、階段を下りた先に日本画の部屋が1つ)ですが、個人的に凄く好きな美術館でした。

中野皖司という方が家業の林業をしながら約25年間にわたって収集したコレクションを寄贈したもの(地元の大富豪的な方だったんだろうな、と推測しています)だそうです。階段途中の踊り場は大きなガラス窓になっていて、蛙股池と木々が見え、作品も数としては多くなかったものの、好きなものが多かったです。

中野美術館 踊り場からの風景

踊り場からの風景

「日本近代美術館」という枠組みなので、作品は明治以降のものが中心だったと記憶しています。著名な画家で言えば、藤田嗣治、横山大観などがありました。

個人的に特に好きだったのは、以下2つです。

「遠寺晩鐘(えんじばんしょう)」

横山大観 遠寺晩鐘

横山大観の絵です。横山大観は作品数が滅茶苦茶多い印象があり、美術館のみならず、百貨店でも売っているのを見たことがあります(値段は5,000万円くらいでした)

ただ、私自身は今まで大観の作品で印象に残ったものがありませんでした。自分とは相性があまりよくないのかと思っていましたが、この絵は滅茶苦茶好きでした。絵の中央にある黒い点々は、汚れではなく、鳥なのですが、これのおかげ?か動きを感じられる絵でした。

「ぶどう棚」

ぶどう棚

もう一つが入江波光の「ぶどう棚」という作品です。決して目立つ絵ではなかったのですが、全体的に穏やかな雰囲気が伝わってきました。

少し調べたところ、「京都画壇の日本画家」であり、大正から昭和にかけて活躍された画家だそうです。どうやら作品のほとんどは関西の美術館にあるようで関東在住の私には見るためのハードルが高そうであったこと、著者に関する情報もWikipedia以上の情報がなさそうでしたので、中野美術館で売っていた「入江波光展」のパンフレットを画集代わりに購入しました。

パンフレット冒頭に著者の簡単な紹介があるのですが、特に下記の一節が印象でした。

”大正11年(1992)4月、波光は中井宗太郎夫妻、菊池契月、吹田草牧たちとヨーロッパに出発した。そして34歳の波光は特に草牧と行動を共にしながら、ヨーロッパ各地を巡歴した。
 多くの画家は熱烈にヨーロッパに憧れながらも、いざ現地に着くと、少なからず戸惑いと自信喪失に陥ってしまう。また、彼の地で調子よく制作した人も、帰国後は深刻なスランプに陥ることが多い。そして、ほとんどの人が伝統回帰を試みるのである。
 ところが、不思議にも波光にはそれが見られない。(中略)波光の視線と心が、いかに環境に左右されない確固たるものであり、しかも豊かなものであったかが想像できる。”

40代初めで画壇を離れたあとは、京都市絵画専門学校の先生として教える傍ら、古画の模写、墨画、仏画を描いていたとのことです。法隆寺金堂6号壁画の模写の最中に60歳で胃がんのためお亡くなりになりました。

画家の方は破天荒な方が多いイメージですが、こういう実直な、職人気質の方もいらっしゃるんだなぁと思いました。自分が死んだ暁には、是非黄泉の国でお会いしたいですね。

【大和文華館】

まずこの写真を見てください。

大和文華館 入口


こちらは美術館の「入口」になります。

初めて見たとき、自分は地図を間違えたのかと思ったくらいです。小山みたいになっており、本館は山の上にあります。

大和文華館 道中

登っていく途中

大和文華館

本館

東洋美術を専門としており、私が訪れたときは「酒の美術」という面白いコンセプトで展示会が行われていました。

酒に関する美術ということで、展示品の9割は陶器でした。また、所蔵先も開示されていたのですが、本美術館所蔵のものというより、各美術館から取り寄せたものが大半という印象です。美術館一つ一つと交渉されたのだろうな、と思うと、頭が下がります。

欲を言えば、「日本の美術館が所蔵している中国の陶磁器」に加えて、「中国の美術館が所属している中国の陶磁器」が見たかった気はします。陶磁器は中国が圧倒的な先進国だった時代が長く、この展示会においても中国由来のものが多かったのですが、折角であれば本場のものをより多く見たかったなと。交渉が滅茶苦茶大変そうですが。

「鍍金銀製狩猟文六花形杯盃(ときんぎんせいしゅりょうもんろっかがたはい)」

鍍金銀製狩猟文六花形杯盃


陶器で一番気になったのは、白鳩美術館蔵の「鍍金銀製狩猟文六花形杯盃」中国の唐の時代のものらしいですが、装飾が見事でした。

(私の写真だと、良さがあまり伝わってきませんが・・・)

「墨蹟弌盃酒(ぼくせきいっぱいのさけ)」

墨蹟(ぼくせき)弌盃酒(いっぱいのさけ)

あとは、これです。「墨蹟(ぼくせき)弌盃酒(いっぱいのさけ)」

書いたのは、風外慧薫(ふうがいえくん)という江戸時代の曹洞宗の画僧だそうです。これは、解説の以下の文章が好きでした。

”この書は酒の注がれた盃を前に、ただ一杯の酒で足ることを示したのか、ただ一杯の酒が人の心を狂わすと戒めたのか。観る者によっても解釈が生まれるだろう。”


2つの美術館はどちらも素晴らしかったですが、個人的に一番好きだったのは奈良の雰囲気でした。関西に住んでいたころはほとんど訪れる機会が無かったのですが、もっと行けばよかったなと思いました。すごく自然豊か、かつ穏やかな街で、住みたいなと思わせてくれた街でした。

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