自分の価値観を押し付けてはいけない
中学生の頃、柳美里さん『命』を読み、「死」を口に出来る人は決して生きることを軽視しているのではなくその逆なんだ、そう思ったことを今でもよく覚えています。生きることを真剣に見つめるからこそ、死を語ることに恐れや迷いがないのだ、と。
生と死の話をしたい訳ではないのですが、これは色々なことに対して同じことが言えるのではないだろうか、ふとそんな風に思ったのです。
「疲れた」と正直に言える人は誰よりもその仕事を継続させようとしている、「嫌いだ」と口にできるのは絶対に嫌いになんてなれないと分かっている、「あなたは間違えている」と単刀直入に言える人は、誰よりもあなたのことを考えている……そういう想いって皆少なからずないでしょうか。
「自分の発言に責任を持て」
私には手痛い失敗の経験があります。それは、その時の上司、つまりは経営者に「自分の発言に責任を持て」と言われてしまったのです。
私はそれまで部下やチームのメンバーなど、自分が率いて行かないといけない人間には、その全員が不安になるような弱気な発言というのは一切していませんでした。それはそうやってメンバーのモチベーションを管理している部分もあれば、自分自身を鼓舞している意味合いもあったと思います。
ただ、経営者に対しては「正直これでは継続が難しい」「この体制には無理があっていつか崩壊してしまう」ということを正直に、実直に表現していました。それは皆の生活が懸かっている事業を必ず継続しないといけないという私自身の責任感からの行動でもありました。
また、私自身もあらゆる不満をため込んで急に限界値を迎えて早々にプロジェクトから離脱せざるを得なくなってしまうという事態を避けるため、細かく状況をホウ・レン・ソウしている危機回避の意図もありました。
そのような私の言動について経営者は「自分の発言に責任を持て」と言ったのです。それは私にとっては天変地異でした。そして同時に腹立たしかったし、これ以上どうやって私に責任を持てと言うんだ!私のこれ以上の責任の取り方は切腹くらいしかないぞ!と思ったほどでした。
また、自分の利益のために言っていた訳ではなかったことが理解されない絶望もありました。上記のような責任を負わず、誰がいつ辞めようが事業が転ぼうが火を噴こうが関係ないスタンスなら、経営者のいうことにイエスマンでいればいいだけです。そして実際にそういう人も在籍していました。
私だって何の責任も負わずに経営者のご機嫌だけ取って仕事になるのならそれが良いですが、ただそれでは会社の、経営者のためにならない。確実にバットエンドになってしまうと思い戦ってきたのにも関わらず、全て意味の無いことだったのだな。そう感じてしまったのです。
決裂
その後、どうなったかと言えば表面的には和解して仕事を継続したのですが、私は経営者に対して発言するのが怖くなってしまいました。
自分の善意が、悪意として相手に伝わってしまう怖さ。
そこに自分のプライベートなどの犠牲も厭わずにやってきていた「貢献度」の想いもプラスされ、その怖さは倍増してしまいました。
恐らく経営者も私に沈黙して欲しかったわけではなかったのだろうと思います。些細なボタンの掛け違いにより、私がどんな意図でアラートを実直に上げ続けていたのか、その真意をお互いに伝える・理解する努力が足りなかったのだと今なら分かります。
ただ一度ぷつんと切れた糸はなかなか縒り合わせることができませんでした。もちろんその一件だけが原因ではなく、複合的に色々な要因が重なってのことですが、結果として、私はその経営者の元を去ることとなりました。
学んだこと
冒頭の柳美里さんの話から感じた「死を語ることが出来る人は生きることを真剣に見つめるからこそ、死を語ることに恐れや迷いがない」ということ。つまり「あなたは間違えている」と単刀直入に言える人は、誰よりもあなたの利益やプラスを考えているのだということ。私の場合には、それは相手に伝わらなかったことになります。
その大きな理由は「私が自分の価値観を押し付けてしまった」ということだと反省しています。
私はあなたのことを考えているからこそ、あなたのバットエンドになることを私は見過ごせない。それは「私の価値観」なのです。あなたのことを考えているからこそ、あなたが不快になるようなことはしない。これも一つの価値観なのです。
もし「私のことを考えるのなら私が不快になるようなことはしないで欲しい」と願う人に対して「私はあなたのことを考えているからこそ、あなたのバットエンドになることを見過ごせない」と言って、相手の改善点などを羅列し始めたとしたら、それはもう惨劇です。そして、つまり、私がやっていたことはそういうことなのです。
もちろんそこに細かいコミュニケーションなどが介在することで、お互いの価値観の違いを埋めて行くことは可能です。ただ、この時の価値観の違いは非常に大きくもっと積極的にコミュニケーションを取らないといけなかったと反省しています。例えるなら、お城のお堀を一杯一杯手で砂をすくって埋めようとしているくらい、「溝」と「その溝を埋めるための努力」が追い付いていなかったと思っています。
また、事業が上手く行っていない状態が長く続くと、良質なコミュニケーションが取り難くなりがちであることにもあらためて気が付きました。そういう意味でも価値観の「溝」と「その溝を埋めるための努力」が圧倒的に足りていなかったと反省しています。
自分の価値観を押し付けてはいけない
「自分の価値観を押し付けてはいけない」そんなことは誰でも知っているのです。でも、ビジネスの場となるととても事情は複雑です。
自分だけでなく人の生活や人生にも関わる決断や判断となれば、自分の意見を押し通してでもそれらを守らないといけない場面もあります。そういう状況の中でも、自分の価値観を押し付けず良好なコミュニケーションを取り続けること。これは実はとても難しいと今でも思っています。
もし今同じ環境に身を置いたとしたら、失敗を繰り返さずに溝を埋められる人間に成長していたい。そう日々あの時の失敗を想い返しては考えています。
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