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「経営者に求めることはなんですか?」

ある経営者の方と雑談している時に「古谷さんが従業員だとして経営者に求めることは何ですか?」と質問されました。

私は「私が求めることと一般的に求められるであろうことの二つが思い浮かんでいます」とお答えしました。

「ではまず一般的に求められるであろうことからお聞きしたいですね」ということで話は進んでいきました。

一般的に求められるであろうこと

恐らく一般的に経営者に求めるであろうことは「自分を適切に『評価』して欲しい」ということだと思うのです。この「評価」をどう定義するのかにもよりますが「自分を認めてもらいたい」と言い換えることもできるかもしれません。

ある人は「頑張っているね」「いつもありがとう」という労いの言葉を「評価」とするかもしれません。またある人は「昇給」や「昇進」といった具体的なものを「評価」とするかもしれません。いずれにしても「自分を適切に評価してほしい」という想いは多くの人が経営者に求めていることなのではないかと思うのです。

私が求めること

「では、古谷さん個人が経営者に求めることは『適切な評価』ではないと?」
「はい、私個人としては適切に評価されなくとも認めて貰えなくとも労いの言葉がなくとも構わないと思っています」
「……では何を求めますか?」
「私が求めることは『常に誠実であること』です」

私も昇進だってしたいし昇給だってして欲しいし「いつもありがとう」「信頼してるよ」の言葉が欲しくないと言ったらそれは嘘になります。ただ、例えそういった反応が経営者から得られなかったとしても、その経営者に落胆するかといえばそんなことはないと思います。

私が落胆するとすれば、それは「顧客」「従業員」「ビジネスモデル」「自分自身」に対して「誠実であること」を欠いていることだろうと思うのです。

経営者から自分の望むような評価が得られなかったとしても、それが経営者が誠実に向き合って出してくれた答えなら辛くても受け入れることができます。

経営者から自分の成果に対して望む昇給が得られなかったとしても、経営者が誠実に評価した結果なら悔しくても受け入れることができます。

どのような経営者だって自分の従業員で頑張ってくれている人間は評価してあげたい筈です。でも全員にそれをやっていたら、それは経営ではありません。評価してあげたい気持ちはありながらも、客観的に複合的に数字を見てジャッジしていくことが経営です。そのため、必ずしも従業員と誠実に向き合ったからと言って適切に評価してあげられることばかりではないと思うのです。
だから私は経営者に対しては「評価」という「結果」ではなく「誠実であること」という「プロセス」を求めたい、そう思うのです。

常に誠実であるということ

「なるほど誠実であることですね。今ね、それを古谷さんから聞いてあらためて自分が間違えてなかったんだと思いました。これまで私は常に自分自身にも顧客にも従業員にも誠実でありたいと思ってやってきました。でも本当はそれでは経営者としてはダメなんじゃないかとも思うんですけど、自分はそうありたいと思ってますね」

もちろん私は経営者ではないですし、経営のいろはも分かっていないのに好き勝手言うなと言われてしまえばそれまでです。でもそんな身勝手な「雇われる側」の意見にも耳を傾けて、どんな想いで従業員が働くのかを知りたいと思ってくれる。そんな誠実な経営者の元で働く方々はきっととても幸せなんだろうな、そんな風に思ったある夜の雑談でした。


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