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作ったシステムが使われない理由

ふと気づくと一番使っているシステムは、
「勤怠入力」だった。




ちょっとイライラする話をしたい。


仕事上のなにかの課題や問題の対応として
「デジタル化したい」
「データの見える化をしたい」
「自働化したい(あいまい)」
という声があって、
僕らエンジニアは何かしらのアプリやシステムを作成することがあります。

それが外注で請けるときも、内製で作ることもある。

しかし、ルーチンワークになっていない、
もしくは、ルーチンワークにできなかった場合、
そのシステムはあまり使われない状態になって、
特定の誰かしか使わない物になったり、
「作った!」という報告会以降は使われないものになりがち。


作るのが目的ではなく、
もはや「作った」と言いたいだけという状態ってありませんか。

この場合、問題の解決手順を踏まずに
誰かの鶴の一声(でその誰かの頭の中だけで問題解決風の結論を出す)
によって作業がきまってしまって、
言われるがままにシステムを作らされる。

作るって報告してあるんだから、作らないとまずい」
みたいなことを言う。

そして作らせた側は、「使えばいいじゃないか」みたいなことを言う。


システム開発の基本中の基本だけども、
開発するのが目的ではなく、
開発したアプリや仕組みをつかってお客様の仕事がバージョンアップする
ような企画・計画・提案が必要。

じゃないと使われなくなるシステムを仲間に作らせることになってしまう
これってものづくりとして一番やってはいけない仕事の依頼だ。

使われていないのに、「そのシステムを辞める」は誰も判断しないので、
そのリソースや仕組みの維持・保守・作業工数は増えるばかり
これってもう在庫というか負債なのですよね。

頭の中で「報告のための問題解決ごっこ」はほんとよくない。
これが続くと「システム」への信頼が落ちて
それにかけるコストが出せなくなり、外注がどんどん減って内製ばっかりになる。
そして使われないアプリが大量に生産させ
それを作らされるエンジニアが麻痺していく。

逆に、毎日使うものという落とし込みができれば
もちろん無いと困るし、止まると困る。
そういうものにはお金がでる。

稼ぐには必要なものを出せる、必要な人になる必要がある。
それがお客様への貢献になるから。


本当に望んでいるものは当事者がわかっていないということが多い。
「思ってたんと違う」
というけれど、本当は何も考えてなかっただけ。
それを正解に近づけるための当事者意識が必要。
自分たちがやりたい、(何かを)解決したい、解決したと言いたいみたいなのは危険信号。


困りごとはありませんか?
と聞いてくる人がいたら要注意だ。



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