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正しさはさほど重要ではない

先日、1日に2つセミナーをさせていただきました。

1つが、制作の方への依頼の仕方。
もう1つが、キレイな画像というだけではOKにはならない理由。

参加のみんさんからフィードバックもいただいて、ふむふむと読ませていただきました。

お伝えしたかったことが10だとすると、1伝わったのか20伝わったのか、8伝わったのか、確認をしたいのでフィードバックはとてもありがたいです^^


そんなフィードバックをもらった私の感想は

正しさはさほど重要ではない

ということです。


正しさ、ってなんでしょうね?

既に答が用意されていて、その答に合わせることができたら「正しい」ですよね。
学校では常に「正しさ」を勉強してきたのかな、と思います。


で、私自身も数年前までは「正しいこと」が大好きでした。

正しいって、キレイだし。汚れないし。美しいし。怒られないし。みっともなくならないし。馬鹿にされないし。

あぁ、正しいって気持ちがいいな、正しいところ好きー!私も正しくするー!という。笑


冷静に文章にしたら、きしょく悪い。笑


けど、よく考えたら、私自身ちっとも「正しい」生き方なんて出来ていません。

日付とか曜日間違うし、「あ!良い忘れてた!」みたいなことしょっちゅうあるし。
ただしいセオリーに沿って仕事しているわけでもないし、一般的に「これがいい」ということをするなんて、一番苦手。
すぐアレンジしたくなるし。そもそも3日坊主ばっかりだし。

自分が正しいことできてないのに、正しい場所に居たいとか、正しく生きようってしてると、めちゃくちゃしんどいです。

つらいし、しんどいし、変なところに力が入ってるし。


正しさって、自分の中には無くて、外にあるものなんですよね。
外にあるものを追い求めても自分の幸せは無いです。

で、「正しいことって、意味なかったわ」ということを、セミナーづくりをサポートしてもらった方に話をしたら

「正しいじゃなくて、美しいがいいね」

という話になりました。


自分の中の美学ですね。


美学〜いいですねぇ。(たまたま美学で意見が一致しましたが、美学じゃなくてもいいですからね。)

自分の思う美しさ。

自分の思う美しさは、誰かに評価されなくてもいい。


自分で自分の美しさを選び取って、決めて、進んでいきたいな。と思ったのでした^^

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