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【OBインタビュー】佐藤蒼馬「同朋での経験がなかったらサッカーを仕事にしていなかった」

同朋高校サッカー部出身の佐藤蒼馬は高校卒業後、大学サッカーを経て単身ドイツに渡りプレー。その後ひざのケガの影響で選手としてプレーすることはなくなったが、今では自ら開いたGKスクールで子どもたちに指導している。

中学時代は全国大会常連校をはじめ様々な強豪校からオファーが来る中、同朋高校を選択した佐藤。なぜ同朋でのプレーを選び、そこで何を得たのだろうか。

指導者になった今、高校3年間で学んだ姿勢が教える上でベースになっているとも言うがどんな時間を過ごしたのか。

高校生活を振り返ってもらうとともに指導者としての今を聞いた。

森岡監督だけが人間的な部分を評価してくれた

──卒業してから現在はどんな仕事をされていますか?

今はサッカーのコーチをしています。高校を卒業して大学2年生のときにドイツへ3カ月くらい行きました。帰ってきて大学のサッカー部を辞めて、1年社会人でプレーしてドイツに行って帰ってきて、日本のチームで練習参加していました。今はケガもあって選手を引退してコーチをしています。前々からいつか指導者をやるんだろうなと思っていましたし、ドイツで教えてもらったことを還元したいという気持ちがあったので。それで中学生の時に在籍していたチーム(FCディバイン)に「やりたいです」と連絡して今に至っています。

──海外へ行ってみようと思ったのはなぜですか?

海外サッカーを見るのが好きで、中学生くらいのときから海外に行きたいとは思っていました。高校もそういう考えを持った人の多く、その影響を受けて「行かずに終わるのは嫌だな」と思ったからです。日本ではGKコーチは少ないですし、海外のGKは「なんで止められるんだろう」というセーブをする選手が多い。そういったのを肌で感じたかったからです。

──同朋高校への進学をしようとした理由はなんでしょう。

同朋高校以外に全国大会に何度も出場するような強豪校から特待の話をもらっていて、他の高校からもいくつか誘われて練習会にも参加していました。同朋高校の練習会にも参加して、そのときに森岡(優介)監督と喋ったのですが僕の人間的なことを評価してくれた監督が森岡さんだけだったのでそれがすごく印象に残っていました。

──どんなことを言われましたか?

もちろんプレーのことも言われていましたけど、人間的なところで「ちゃんとしてるな」ということを言ってくれました。その後に同朋からも特待の話をもらって、最終的に強豪校か同朋で迷っていました。「強豪校に行って選手権には出たいけれど、そこでサッカーと向き合って自分が楽しめるかという悩みがあります」ということを森岡さんに話したときに「人間としていいものを持っているし、ベースはある。ここも通過点。選手権に行くことも大事だけど、どう成長するかが一番大事じゃないか?」という話をしたのが最後の決め手だったのかなと思います。

──実際に同朋高校サッカー部に入部してどんなことがありましたか?

同朋に行って良かったなと思うくらい自分がすごく変わりました。選手の育成をやっている今だからこそ、それはなおさら思います。たしかに選手権の常連高のような強豪でプレーしたい気持ちはありましたけど、人生的に見たら全く後悔はしていない。そもそも入部してすぐから1年半は膝の手術をしたので、ほとんどプレーはできていませんでした。

手術も予定より長引くくらいひどい状態で、病院の先生にも「次、またケガしたらもうサッカーはできないと思った方がいい。半年から8カ月で復帰する選手がほとんどだけど、この感じだとリハビリも含めて1年はかかる」と言われて、もう二度とサッカーはできないなと思いました。中学のときは所属クラブの練習が厳しくていかにうまくサボるかを考えていました。ですがいざ本当にプレーできなくなったときに「やりたいのにできなくなるのは嫌だな」と。

──相当気の遠くなるような話ですね……。

そうですね。痛みがひどくなって練習から離れて最初の1カ月はサボっていたりもしていました。ですが手術をしてからは時間がないことに気づかされて、そこから変わっていったと思います。チームを外から見ていてわかることもありました。中にはサボりたくて一時的にリハビリに混ざってくる選手が何人もいて一緒に筋トレをしていました。本当にケガをしている人もいましたけど中学のときの自分のように「練習きついからちょっと休もう」という感じだったと思います。スタートの時点で1年遅れているわけで、自分としては焦りしかなかった。そのときに「自分を変えなきゃな」と思って、筋トレをめちゃくちゃしました(笑)。

今の考え方のベースになっているのは、森岡さんに言われたこととケガをしてものの見え方が変わったこと。人を見て自分ってこういうふうだったんだなと感じました。それこそ森岡さんが言っていたように、本当に好きなら死んでもいいと思えるくらい一生懸命やってなかったなと思いました。「そんなふうで誰が自分の言うこと聞いてくれるんだ。あのままでは誰も信用してくれないな」ということも感じました。

──高校1年生でそういったことはなかなか気づけないと思います。

だからこそ行って良かったなと思いましたね。いつサッカーができなくなるかわからない状態だったので「明日からサッカーができなくなっても後悔しないようにしよう」と今できることを全力でしようとしていました。筋トレのやり方とかは間違っていたかもしれないですけど、自分でいろいろ考えることのベースにもなっています。あとは復帰したときにゲーム感を失わないために、ゴール裏で筋トレしながら何が必要かを自分なりに見ていたこともありました。とにかく失った時間を取り戻したかった。ケガはつらかったですけど、ある意味自分のものにできたと思います。

──3年間で印象深かった出来事は何かありますか?

「俺らこういうエネルギーあるよね」と感じたのは新人戦の名電(愛工大名電高校)戦ですね。選手それぞれの良さが出たと思います。勢いが良かったのは、チームの雰囲気が良かったからだと思います。一発勝負で大事なのは勢いです。「俺らならやれる!」と思えたのはそれこそ森岡さんが「お前らならいけるぞ」と言ってくれたからですし、その言葉にも説得力がありました。

──同朋だからこそ変われたと思う部分は何かありますか?

これは後から思ったことですが、自分たちの代は人数も多くて一人の人間として客観的に見たときにいろいろな人間がいました。「この選手のこういうところはすごく良いな。こういうところはまだ未熟だな」ということを見ることができた。いろいろな選手と関わることでいろいろな人とも仲良くなれました。客観的に見て自分ごととして考えて、自分はどうしたらいいかを思えるようになりましたね。大人になったわけではないですけど、高校で人間的に変われました。それまでは前に出て喋るタイプでもありませんでしたし、ふざけるようなタイプではなかった。明るくなったなと思います。考え方がすごく変わりましたし、自分が好きになった。自分に対しても考える機会は多かったと思います。


海外に行って変なプライドはなくなった

──海外での経験もお伺いしたいです。キーパーは指示を出さなければいけないポジションですし、言葉の通じない海外で苦労することはありましたか?

海外ではクラブと契約して1年以上シーズンを戦ったわけではないですが、喋れないから苦労した部分はありました(苦笑)。ですがコーチングはパターン化されているところもあるので、まずはその言葉を覚えようとしました。あと、差別はありましたね。

──差別ですか。

でもそこは実力で証明しました。チームにいたもう一人のGKはハンガリーのアンダーカテゴリーの代表にも選ばれていた選手で、当然めちゃくちゃうまかったのですが、すごく差別的な態度だった。それでもその選手の調子が悪いときに、僕はシュートを何本も止めて評価を上げていきました。とはいえ、人に嫌われるとかそういうのは気にならなくなりました。

──いい意味で取り繕わなくなった。

そうですね。元々そういう性格でしたが変なプライドは無くなりました。

──今、指導者としてはどんなことを目指していますか?

クラブとしてはいかに個を育てるか。日本代表にも選ばれるような選手を育てていきたいですね。あとは、うまくなってほしいのもそうですけど、サッカーをずっと続けてほしい。「やめたいな」ということは思ってほしくないです。自分の中でのいい指導者の条件はそこだと思っています。自分のもとでサッカーをした選手がサッカーを嫌いにならずにその先もずっと続けることが大事だと思います。全員やめてしまったらそこで止まってしまいますけど、続けていたら例えば自分が教えた子がまた違う子に教えて、その子がまた違う子に教えてと自分が死んでしまったとしても想いはずっと伝わっていく。そういうのはすごくいい仕事だなと思います。自分にしかない経験は絶対にあるので、それを伝えてあげたいです。

──そういう意味でも同朋高校を選択してよかったと。

ケガやつらい思いもしましたけど、そこで自分に矢印を向けてどれだけ考えられるかというところとか、自分を主張したりとか自分を出していくことは子どもにとってもすごく大事な部分。指導者は教育者だと思ってるので、そこで自分が人間としてよくなれたという意味では、同朋のサッカー部に入って本当によかった。逆に、同朋での経験がなかったらサッカーを仕事にしていなかったと思います。

子どもたちにも「サッカーが上手い選手なんていくらでもいる」ということは言ってます。「Jリーガーになれても、その後(社会に出て)それで何ができるの?」と。サッカーをどう生かしてどう生活していくのかということを言っています。キーパースクールのホームページにもそういうことは書いています。サッカーをずっとプレーしてほしいとまでは言いませんが、サッカーに関わる仕事にしたり、そこで培った経験を生かしてほしいですね。

──なるほど。

ただ、楽しいと思えるためにはうまくならないといけないですし、うまくなるためには楽しくないといけない。そこをどう気づかせてあげるかが大事です。そういうベースを自分のクラブで作りたいなと思っています。

リフティングでも最初は数回しかできなくても100回、200回できるようになればその努力は報われる。やった分だけできるようになることに気づけるのはすごく大事だと思います。ある程度本気にさせないといけないですけど、練習を強制させるようなことはしたくないです。回数よりも努力しているかどうかが大事で、努力が結果に結びつくことを気づかせてあげたいです。

──その中でも指導者として一番伝えたいことは何がありますか?

「失敗と向き合え」とはよく言ってます。失敗から目を背けていては成長しません。仕事でもそうですが自分の失敗を見るのは嫌だと思いますけど、そことどう向き合うか。練習では必ずミスは起きます。ミスの起きないように、ただ自分のできる範囲で練習していたらそれは練習ではない。練習の中でいかに現象をこして動きにリアリティを持すかを考えているので、ミスは必ず起きる。そういう練習でなければ意味がないですし、その中でなぜ失敗したかどういうことができていないかを細かく教えています。失敗に目を背けず、自分に向き合って成長したいという思いを持って取り組んでほしいと言ってます。

もう一つ、ドイツでの話になりますが、外国人選手は「自分にはこれができないけれど、こういういいところがあるから試合に出られている」か自身の長所を子供のころからすごく理解している。ですが逆に日本では「こういうところがいいところだよ。こういうことができるからもっとこういうふうにしてもいいんじゃないか」ということを言ってくれる人が森岡さんしかいなかった。長所や努力を認めて口にしてくれる人は大事だなと思います。自分も、そういうことを見つけては言うようにしていますね。

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ディバイン 岐阜ゴールキーパースクール


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