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花畑お悩み相談所 第一話 


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悠人からのメール (1) 赤いスカーフの女


 紅子べにこはカゴを抱えて歩きます。小さな頃は重かったものが、もうすぐ十三になろうという今は、片手で持ってスキップでもできそうでした。
 けれどもそんなことはしません。中には、おばあさんに届けるケーキとワインが入っているから、揺らさないよう、石につまづいたりしないように気を配りながら山道を行きます。
 真っ赤なスカーフで顔を巻き、真っ赤なコートをひるがえしながら、青い木の中を歩いていると、まるでリンゴが転がっていくみたいだ、と紅子は思います。おばあさんのところへおつかいにいく時は、決まってこれを身につけました。紅子に良く似合うからだと、お母さんは言いました。そしてこうも言いました。 「おばあさんは、これしか召し上がるものがないのだから、絶対に欲しがらないこと。わかった?」と。
 雲のようなふわふわのクリームがのったケーキ。森に茂る紫色のベリーを煮たジャムを添えて。そして真紅のワインが一本。
 お母さんの言いつけを寸分違わず聞くことが紅子にとっての生きるすべで、空想は唯一の遊び道具でした。ケーキは空想の中で食べました。
 紅子が行くと、おばあさんはいつだって大層喜んでくれます。カゴを受け取るといろんな道具の並んだ台所に置き、クッキーとミルクを出してくれる。するとちょっと楽しくなって家路につく。その繰り返しでした。
「こんにちは、お嬢さん」
 狼につけられていたのには驚きました。
「こんにちは、狼さん」
「そのカゴは何?」
「これは、おばあさんに届けるケーキとワインで」
「俺にも分けてくれないか」
「駄目、おばあさんの大切なものだから」
 狼の差し出してきた手の先には、光るものがぶら下がっています。遠くでシジュウカラが、キラキラピカピカ、と鳴くので我慢できなくなり、紅子は手を伸ばしました。
「気に入った? お嬢さんに良く似合うと思うけど」
 首にかけると近くの川まで駆けていきます。水面にペンダントと自分を映してみると、頬が上気してきて、空想の中で紅子はペンダントを煌めかせながら踊っていました。
 はっと正気にかえると、カゴは開けられ、ケーキは二つに割られ、ワインの栓は抜かれていて。
「なんてこと……」
 紅子は、おばあさんがどんなに悲しむか、そして、お母さんがどんなに怒るかと考えると身がすくみました。すうっと血の気がひいて、あたりが真っ白になった、と思いながら意識を失いました。

 狼は、ケーキとワインの匂いを慎重に嗅ぎます。
 やがて、スカーフとコートをめくります。
「……これは、なかなかだ」

「おばあさん、あたしよ」
「紅子かい? 声がおかしいね」
「ちょっと風邪をひいたの。ケーキとワイン、持ってきたよ」
「おはいり」
 カチっと鍵の外れる音。
 狼が、割れたケーキと栓の空いたワイン、そして赤いスカーフとコートを突きつけると、おばあさんは全てを察したのか、その場に崩れ落ちてしまったのでした。

「おばあさん、私よ」
「待っていたよ」
「おばあさん、声がおかしいわ」
「ちょっと風邪をひいたみたいだよ。いいから、おはいり」
 お母さんがベッドに近づいてくる気配がします。
「あらおばあさん、そんなにお布団に潜って」
「寒気がひどいんだよ」
 お母さんがテーブルの上に置かれたカゴを開ける音がします。
「あの娘、ちゃんと届けに来たんですね。どこへ寄り道しているのやら、まだ帰ってこないんですよ」
 狼は一気に布団を押しのけて飛びかかろうとしたのですが。
 ダン! 
 銃声とともに床に伸びてしまいました。血があたりに広がり、少しずつ意識が遠のいていく中で、お母さんがベッドの奥から赤いスカーフとコートを引きずり出して悲鳴をあげ、やおらタンスの引き出しを開けたり閉めたり、何やら取り出したりと忙しく動き回っているのを見ました。
 しまいにはお母さんは大きなハサミを手に、こちらへ近づいてきます。もはやこれまでと観念していると、お腹にひどい痛みを感じて、そのまま気絶しました。

 狼は生きていました。お腹は石を詰め込まれたように重く、頭の右側がひどく疼きます。血まみれの身体で家から這い出し、川べりまでやっとの思いでたどりつきました。
 右耳が吹っ飛んでいることにはじめて気づきます。あと少しずれていたら、命がなかったことでしょう。
「おばあさんは?」
 声をかけられて振り向くと、あの娘が真っ赤なスカーフとコートを身につけて立っています。
「仲間が連行した」
「どういうこと?」
 狼は身を屈めてお腹にできた縫い目の糸を、牙でぷちんぷちんと切ります。転がり出た石は全部で七つ。そのうちの一つを、赤ずきんちゃんに渡します。
「開けてみな」
 それは石に見せかけた精巧なプラスチックで、捻ると蓋が開き中から現れたのは白い粉。
「ケーキやジャム、ワインに仕込むとは、考えたものだな。ここでばあさんが、取り出して精製してたんだろう。お嬢さんは知っていたのか」
「お嬢さんじゃない、紅子よ」
 それきり俯いて黙りこくってしまった紅子を、狼は辛抱強く待ちます。
「おばあさんには叩かれたことないの。優しくしてあげてね」
 やがて顔を上げた紅子は、そう言って笑いました。そして、
「ねえ、見つけた『石』は六つだったことにしてくれない?」
「やるなあ、あんた。でもそうは問屋がおろさな、わっ」
 紅子は『石』を一つ握ったまま、狼のお腹の傷を蹴りあげたのです。狼が悶絶している間に、かけだしていって姿が見えなくなりました。
 母親を追っていったのだろう、と狼は思います。おばあさんは、と尋ねたのに、お母さんは、とは聞きませんでしたから。いざとなったらどこに逃げるか、あらかじめ打ち合わせてあるのでしょう。
 コートに隠されていた赤やら青やらたくさんのアザを思い出すと、ちぎれた右耳の付け根に、今まで感じたことのない痛みが走ります。それはそのまま胸の奥まで走り抜けてきて、狼は思わずうめき声をあげたのでした。

<続く>


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