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下書き保存されていたnote

他人の素晴らしいnoteを見て、そういや自分も鹿児島に暮らしていた頃たまーに書いてたなと思い、読み返す。小っ恥ずかしいものも沢山あるなか、3年前ぐらいに書いたものの下書き保存したまま公開していないnoteを発見。

読んでみたら、個人的には嫌いじゃない内容。
またこの存在を忘れてしまいそうだから、結末まで書かれてないけど、当時の自分の大事な心境だと思って、ひっそり公開。

人それぞれに生き方があるように死生観というのもそれぞれに帰属するから難しい話しだとは思う。
心に留めておくべきことなんじゃないか、そう思ってはいるのだが、最近妙に思い出すから別に誰に見せるつもりもないけど、ちょっとだけ書いてみようと思う。

親父が癌で亡くなって彼此3年半ぐらいの月日が経つ。
容態が変わってすぐにタクシーで病院に駆けつけたが、連日病院に付き添っていたお袋と自分はあと少し間に合わなかった。頭も心も言葉にまとめきれない気持ちがいっぱいでその日が何月何日だったのか今でも思い出せない。

自分には妹が2人いる。年後と5歳下。時代は時代といえど、兄妹揃って私立に進学し、お袋は専業主婦だし、都内に家も持っていた親父はよく働いていたと思う。
仕事付き合いでしょっちゅうゴルフに行っていたから自分が始めて間も無い頃に一緒にラウンドしたら、上手すぎてどんだけゴルフに金をつぎ込んでるのかと思った。

自分が小・中学生の頃、いたずらばかりして他人に迷惑ばかりをかけていたので、叱られて殴られたり、玄関で正座をした記憶は山ほどある。(それらは自分が悪いが、)親父は恐かった。

そして自分は親父が嫌いだった。
言い分が通らないときに暴力をふるう。シラフの時は静かだが、酒を飲むと暴れる。
もう自分も今の体つきになった年頃に、酔っ払って馬乗りになってきた時に、手をあげるわけにもいかないから巴投げで投げ飛ばしたら、顔面に蹴りをいれられて鼻血が吹き出した。

意見を物申すと「生意気言うな」と怒鳴り散らす。
部屋でゲームをしていると「ゲームばかりやって、お前みたいな人間が非行に走るんだ」とか物凄いひねくれてるしセンス無いことを言う無神経なクソジジイだと軽蔑した。
大学生になっても「2日に1回は家に帰ってこい」とか言われて、「通学に2時間かかるし、男なんだからいいだろ!」とか言い返して怒られたことを書いていたら思い出した。

そんな親父もいるし、家中に響き渡る大笑いをしながらテレビを見ていたり、ノックもせずに年頃の男子の部屋に入り込んでくるやかましいお袋や妹たちもいるしで、社会人2年間のうち半分くらいは終電帰りで働き、家でぐらいはゆっくり過ごしたいと思っていた自分にとって実家は心地悪すぎた。
ノックしないから、一番下の妹に当時の彼女の裸見られたもんな。「あっ」と気づいてすぐにドアを閉めたあと、なぜか妹はもう1度ドアを開けて二度見してきたから「早くあっち行け!!」って言った。笑

だから、社会人3年目になったときに実家を出て一人暮らしを始めた。
その時も親父は「方角が良くないからお祓いに行かなければ一人暮らしは許さない」とか面倒臭いことを言ってきて、江ノ島方面の神社までわざわざお祓いに行かされた。



ただ、なんだかこれだけの時間が経ってみると、親父が嫌いだなんて思っていたことがどうでも良くなってきた。
お祓いにわざわざ行かされた話しとか書き出してみると案外面白い話しだなぁ、と感じたり。書きながら笑顔になっていた自分に気づいた。

ようやくそんな風に感じ取れるようになってきた。
思い返すと親父が好きな瞬間もあった。

小さい頃はたまに近所の公園で一緒にサッカーをして、小学校低学年の自分と大人のキック力を比較していたのも馬鹿馬鹿しいが、親父のようなキックでボールが蹴れたらいいなと思ったりした。

大学生の時に加わったNPOでベトナム、ミャンマーに行くと伝えた時も、「そんな途上国に行って大丈夫なのか」とか言いながらも渡航費を支援してくれて、なんやかんや応援を受け取った。

墓参りを大切にすることも親父から教わった。

初めて親父を腕相撲で負かしたとき、親父は3度も再戦を申し込んできた。負けず嫌いな親父も嫌いじゃない。


親父が亡くなったとき、親父に依存しすぎていたな、と思うことが押し寄せてきた。
妹たちは毎日のように泣いていて、お袋だけに任せられないところがあったから、自分が立ち直らないといけないと、葬式の準備もほぼ全て自分でおこなった。忌引も早々に会社に戻った。あまり喪に服す時間も無かったのかもしれない。

だからこそ、2人で一度くらいは飲みに行けば良かったとか、もっと早くにゴルフを始めていれば良かったとかしばらく経ってから後悔した。

そんな色んな入り混じった思いをずるずると引きずっていた頃、一番下の妹は会社を辞めてロンドンに留学した。
「あぁ、もう口うるさいこと言う人いないじゃん」自分もその妹の行動を見て、鹿児島に行くことを決意した。



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