Sonny Boyの初見雑感

なにか話題になっていたので見てみた。面白かったし、ラストをみて思うことが色々とある。

自分ルールで「他人の感想や考察を見るまえに自分の感想をまとめる」ということになっているので、速やかに感想と考察をまとめ、様々な考察を漂流したい。

素朴な感想

最初に思い出したのは冨樫義博の『レベルE』の野球部のエピソードだった。甲子園での試合を控えた部員一同が神隠しにあい、「誰かの脳内に描かれた、無人の甲子園」に幽閉される。

メンバーの一人は試合に向けて緊張をしていた。甲子園で戦うということばかりを考えているうち、チームを巻き込んでその世界に入ってしまった。そんな話だったと記憶している。

同様に、第1話の学校の空間というのも、誰かが意図せずしてクラスメイトを巻き込んで発動してしまったのではないか。そして、引き起こしたのは主人公なのではないか。

だから、ハッピーエンドの条件は主人公の内面的な問題が解決され、心から「元の世界に帰りたい」と願うことなのでは…と。

まあ、それはハズレで、話はもっと複雑だった。正直なところ、流し気味の視聴だったので、世界の設定の隅々までが脳内で整理できているわけではない。

それでもやはり、主題は主人公の内面的問題の解決ではあった。

希と朝風の交際はバッドエンドなのか

まだリンク先を読むことは自重しているのだが、以下のような記事が目に入ってきた。

最終話、希は長良を覚えておらず、しかも朝風と交際している様子が描写される。これを受けてNTRという反応が盛り上がったのだろう。

しかし、この作品の主題は「長良が希と交際を開始できるか」という表面的なものではない。

希との交際が叶わなかったとしても、それで前話までの積み重ねが否定されたことにはならないだろう。

作品の主題は何か?

現時点の解釈で、作品の主題は2つあり、相互に絡まりあっている。

①長良は自身の内面的問題を解決できるか

1話では、職員室で進路相談をする長良が描写される。指導を受けても彼の問題はちっとも解決していないようだったが、彼は心にもない模範的なお礼を告げ、職員室を後にする。

同級生と衝突したときも同じだ。彼は簡単に謝罪し、引き下がる。家庭環境もあるのだろうが、自分の意思を示し、他者に働きかけることを最初からあきらめているようなところがあるのだ。

そんな長良の自信のなさ、うまく他者と関われないような部分が解決されるか。これは明らかに作品の主題の一つだろう。

②「この世界」を生きるということ

望むと望まざるとにかかわらず、人は「この世界」で生きていくしかない。誰でもそうだし、自分だってそうだ。21世紀の日本というのは、客観的に見れば相当に恵まれている場所ではあるだろう。それでも自分で選んだわけではない。

Sonny Boyの世界ではこの前提が覆される。多数の世界があり、登場人物たちはどの世界で生きていくのかを選ぶことができてしまうのだ。しかも、当初いた世界は、もはや自分たちの居場所にはできないことも確定する。

加えて、漂流は何千年、何万年という単位で続く。ほどなくして、「当初いた世界」は数千年のうちの十数年いた場所に位置付けられてしまう。

このような状況に投げ込まれたとき、「当初いた世界」を万難を排して目指す理由があるだろうか。

天才インド人のラジダニは、「当初いた世界」に戻る方法を知りつつも、漂流先に残ることを決断する。そして彼は森となり、動物と共に生き続けているようだ。当初いた世界に戻ることよりも、その方が彼にとって良いと判断したわけだ。

自分たちが生れおちる「この世界」は理想郷ではない。自然は美しいが、人間に理不尽に襲い掛かることもある。人間社会も、歴史の中で徐々にマシな場所になっているらしいが、不平等も理不尽もとてもじゃないけど看過できないレベルで存在する。

だから「この世界」を恨むこともあるだろう。あるいは、自分にとって都合のいい「別の世界」を空想し、そちらで生きたいと願うかもしれない。ひたすらに自分がチヤホヤされる別の世界を描いた作品が人気を博しているのも頷ける。

それでも、長良と瑞穂は「この世界」を選んだ。この選択は、長良の成長を示しているだけでなく、現代を生きる人々への普遍的なメッセージも込められているように見える。

理不尽に、自分の意志とは関係なく投げ込まれた世界。それでも「この世界」で生きるという宿命を引き受けるということ。そんなテーマ性が作品に織り込まれ、それは長良の内面的成長と絡まりあっている。

最後の長良の表情が意味するところ

冒険の末、「この世界」に戻ってきた長良。しかし、当初の通り、学校生活も冴えないし、家庭環境が良くなったわけでもない。

「この世界」の希は共に漂流をした希ではない。「戻ってきたあとでも、また友達になろう」って言ってくれたことも、当然覚えていない。

そんな希が、朝風と交際している姿を見せつけられる。朝風と言えば、漂流中は対立し続け、恋敵でもあった存在だ。

一見するとバッドエンドだ。だけど長良は、笑みを浮かべながらその場から立ち去る。その笑顔が意味するところはなんだろうか?

そもそも、希が生きていること自体が素晴らしい成果なのだ。当初の世界では希は死ぬことになっていた。それでも長良は希の能力遺物「コンパス」に従い、そうでない世界線にたどりついたのだ。

たとえ朝風と交際していることは不本意でも、ラストの希の生き生きとした姿は長良が確固たる意志と努力で獲得したものだ。

そうは言っても、これは大きな失恋だ。でも、長良は失恋に向き合える水準まで、人間的成長を遂げていたのだ。

理不尽もあるし、いろいろなことが思うようにいかないこの世界。それがわかっていて長良は帰ってきたのだから。

唯一、漂流時の記憶を共有していた瑞穂も言ってくれた。

「まあ大丈夫だよ。あの島でのアンタがまだ少しでも残っているなら。大丈夫だ。」


失恋の痛みは大きい。それでも、もう長良には乗り越えられる。乗り越えたあとに残るのは「自分が生きると決めた世界」であり、「希が生きている世界」だ。十分なハッピーエンドではないか。

だから、自分は本作のラストに十分納得できたのである。


※ちなみに、意中の人物が他の人間と結ばれていて、その場を後にしながら笑いを浮かべるというのは新海誠監督の「秒速5センチメートル」のラストの構図でもある。あれも同様に、初恋への囚われを吹っ切ることができた描写としてポジティブに受け取ることができた。