映画評:『僕のワンダフルライフ』『僕のワンダフルジャーニー』

本日の金曜ロードショーで『僕のワンダフルジャーニー』が放送された。自分は時間がなくて見れなかったが、ツイッターで「ベイリー」で検索し、人々のリアクションを眺めて心を癒していた。

両方とも映画館で涙してしまった作品だ。2作品まとめてのレビューを書いてみよう。(ネタバレが激しいので注意)


あらすじ

本作は、ゴールデンレトリーバーの「ベイリー」が、飼い主の「イーサン」と幸せな日々を過ごすことから始まる。だが、イーサンの人生に不幸が訪れたまま、ベイリーはイーサンと離れ離れになる。そしてベイリーは寿命を迎える。

…だが気づけば、ベイリーはメスの警察犬に生まれ変わっており…

という流れだ。こうしてベイリーは何度も転生を繰り返し、その時の飼い主と寄り添い生きる。だが最終的に、ベイリーは自分が転生を繰り返した理由を知ることになる。それは飼い主のイーサンに寄り添い、愛し続けるためだったのだ。

ベイリーの心の声

映画としての一つの見どころは、ベイリーの心の声がナレーションとして吹き込まれていることだろう。例えば以下のような感じだ。

そのうち、大事な言葉はだんだん覚えていった。僕の男の子の名前はイーサン。僕にも名前がある。僕の名前はベイリーベイリーベイリーベイリー…

日頃から連呼されているせいで、自分の名前もそう認識してしまっており、笑ってしまう。このような形で、犬側の思考を表現しており、そのズレたところに笑ったり、飼い主に対する真摯さに心を打たれたりするのだ。

犬と生きるということ

本作の主題は、「幸せな時も辛いときも、犬はずっと主人に寄り添い続ける」ということだ。だから、本作では人生の辛い時間というのがしっかりと描かれる。犬映画というと犬の可愛さとコメディで成り立たせるものという印象があるが、本作では重たい場面も多くなっている。

キャリアが途絶えたとき、好きな人を突き放してしまったとき、家族がうまく行っていないとき。そんな辛い時間の一つ一つで、ベイリーはそっと飼い主に寄り添っているのだ。

そんなベイリーの姿に、犬好きは感情移入せずにはいられないだろう。

制作秘話

『僕のワンダフルライフ』の誕生秘話を読んだことがある。これは愛犬を失った恋人のために作られた物語なのだ。少し引用してみよう。

この物語の基となったのは、作家のW・ブルース・キャメロンが、愛犬を亡くし悲しみに暮れていた恋人のキャスリン・ミションを勇気づけるため、ドライブ中に即興で語ったストーリーです。<中略>

恋人を想う優しさから生まれたこの献身的な愛犬の物語の虜となったミション。「彼は車を運転しながら、90分ぶっ通しでこのストーリーを語ってくれたの。私は大泣きしながらも、『この物語は私のような人にとって癒しになる。本として執筆すべきよ』と彼に伝えた」といいます。

まさに、愛犬を失ったことのある人間にとって、心の深い部分まで届き、癒してくれるような物語だろう。

愛犬は、自分を愛していてくれた。自分の幸せを願ってくれていた。もしかしたら、今もどこかの犬に生まれ変わっていて、まだ自分の幸せを願っているかもしれない…

ちょっと合わない、ストーリーの起伏の作り方

ここまで絶賛しつつも、実は「ちょっと自分には合わないかな」という部分もある。それはストーリーの谷の部分の作り方である。

イーサンは自分に嫉妬した人間から自分の家を燃やされたし、その孫のシージェイはナンパ男にストーキングされ、おびえながら運転していたところで事故を起こしてしまう。

どちらも救いのない話だ。主人公に非があるわけでもない、暴力的なきっかけで、人生が一気に辛いものになってしまうのである。

物語として考えると、主人公の人生に悲劇がおきるのであれば、そこには何かしらの必然性が欲しいと感じる。そして、その悲劇をいかに乗り越えるかが主人公の成長に大きな役割を果たしてほしいと思ってしまう。

しかし、本作において、悲劇は唐突で、理不尽なものとして描写されるのである。

なぜそのように描写されているのだろうか。自分の解釈は単純で、実際の人生に起きる悲劇が、そういう性質を持つものだからだ。

本作は主人公の成長物語ではない。「幸せな時も、辛い時も、犬はずっとあなたを想い、寄り添ってくれる」という物語である。であれば、主人公に襲い掛かる悲劇というのは、観客にも心当たりがあるような、生々しく、理不尽な悲劇であるべきなのだろう。

そのように理屈はつき、理解はできるのだが、きっと自分と同じ理由で苦手に感じる人もいるだろうなぁと思う。

号泣のラスト

さて、前項でケチをつけてしまったが、『僕のワンダフルジャーニー』のラストまでを観たなら、それはもうどうでもよくなっているはずだ。

それぐらいにラストシーンが感動的で、美しいのだ。
描写してみよう

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転生を繰り返し、失意のイーサンに幸せを取り戻した。
イーサンの孫のCJが辛い時間を乗り越えるよう、見守った。
イーサンはこの世を去り、いよいよベイリーがやり残したことは一つも無くなった。ベイリーは「もう次の転生はない」と確信して眠りにつく。

気づくとベイリーは、小麦畑を走っていた。眠りにつく直前の老犬の姿はそこには無く、若い姿で生き生きと疾走している。

転生した姿を遡りながら走って走って、イーサンと初めて出会った頃のゴールデンレトリーバーのベイリーに戻って、虹の橋を渡る。そこには大好きなイーサンが元気な姿で待っていて、迎えてくれるのだった
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自分はこのシーンを映画館で経験し、涙が止まらなった。妻も泣いていた。エンドロールが終わって場内が明るくなり、周囲を見渡すと、泣いている人だらけだった。

映画を何を持って評価するかというと、軸は色々あるように思うが、たった一つのシーンに全てを集約させるような作り方もあるのだという。

まさに、この小麦畑を走り、虹の橋を渡るシーンは圧巻で、これ一つで全てを肯定させるだけの破壊力を持っていたように思う。これを映画館で観れたのは幸せだった。


余談:邦題考えたやつ出てこい

さて、どうでもいい話をしよう。本作の英語タイトルについてご存じだろうか。

『My wonderful life』 『My wonderful journey』だと思ったら大間違いである。

『僕のワンダフルライフ』の英題は 『A Dog's Purpose』である。
ある犬の生きる意味、とでも訳そうか。

『僕のワンダフルジャーニー』の英題は 『A Dog's Journey』である。
ある犬の旅路、といったところだろうか。

つまり、「ワンダフル」なんて語は英題には入っていない。つまり…
「犬だけに”ワン”ダフルで行きましょう」と言い放った人間が確実に存在するのである。オイコラ。邦題考えたやつ出てこい。

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