2023年のマンガ読み②

その①


キノの旅

有名なライトノベルであり、アニメ化もされている。コミカライズも数回されているようで、今回読んだのはその内の一つのバージョンということになる。

喋るバイク(モトラド)にのって旅をするキノという女性の話。行く先々の国には、それぞれ特有の事情や文化があり、それを旅人として眺める感じ。誰もが優しい国だったり、みんなが仮面をつけて生きる事で表情の探り合いのプレッシャーを逃れている国があったりして皮肉が聞いている。

最後のエピソードは船の国で、その船にはガタがきていて数十年後には破綻することがわかる。そこでシズはその事実を白日の下に晒し、あらたな生活を始めることを提案する。しかし、民衆はその提案に対して難癖をつけ、船に戻っていこうとする。

一つには、正常性バイアスの話だろうし、地球環境問題のニュースを聞きつつも自分の生活を変えるつもりはない人々(読者のほとんど)への皮肉でありもするのだろう。そのあたりにそこそこの面白さはあった。

キャラクターの描き方としては、キノはスカしすぎていて面白味はなかったかな。色々な国を一歩引いて眺める上では、あのようなキャラがふさわしいと思ったが。絵もそこまで好きじゃなかった。

電波ジャッカー

web漫画の名作とのことで、読んでみた。Web漫画らしい粗さもあり、情報の整理も少し難しさを感じた一方で、確かに他の漫画にない何かを感じた。
世間的にはダメ人間とされる連中が特殊な部屋に集まり、何かをしようとするんだけど、一向に進まない。

志村春子は歌のお姉さんを目指すけど、オーディションで落ちる。「教育番組を作り、それを電波ジャックの力で放映したい」という打診を受けても、なんやかんやでモタつき実行には移らない。そんなダメ人間が、自分を超えるために一歩踏み出すということが一つ。

ラストの展開で、自分たちの居場所であった「ダメ人間ルーム」を破壊することが逆転の一手というのはいい展開だった。それは物語の表層では悪役から世界を救う起死回生の一手だったが、春子たちダメ人間の物語上では、ぬるま湯から一歩踏み出すということの象徴だった。

難点をいうなら、情報整理がちょっと厳しくて、読み返しながら連載を追っているならいいんだけど、一気読みとなると入り組んでいたかな。それと、志村春子というキャラクターが主人公としては複雑で、ダメ人間というくくりに当てはめていいのかもわかりづらい感じがあった。歌のお姉さんという地に足つかない目標を掲げ、合格を必然とするための努力を積み重ねた感じでもないのは、確かにダメなんだけど。

これ以上は、再読しないと語れない。とにかく、作者には表現すべき何かがあったのだし、それを自分は感じ取ったうえで言語化できていない感覚が残っている。

忍者と極道(100話ぐらいまで)

タイトルに現れているように、この作品は「忍者と極道」という陣営同志の抗争と、「忍者(しのは)と極道(きわみ)」という個人の友情の物語を並行して進めていくものになる。

他作品リスペクト

本作には色々なマンガの影響が直接的/間接的に現れている。プリキュアを元ネタとするプリンセスシリーズを通じて多くの人物が心を通わせる。立場上対立しあっていても、好きなコンテンツを介しているときは通じ合っているという関係は繰り返し描かれている。

肉体の描き方やケレン味あふれる演出にはバキの気配を感じるし、こち亀の有名なパロディも出てくる。おまけマンガでは著者のスキな作品がガシガシ名指しされていく。近藤氏はマンガ家としての顔もあるが、他の漫画にたいして対抗意識や評論家目線でなく、憧れの目線を向け、推しのような気持ちで眺める人なのだろう。

極道は単純悪か

今どきのバトルマンガでは正義というのものが複雑に描かれる。「世界征服を目論む巨悪を痛快に退治する」という世界観では読者が満足しなくなっているのだ。

その目線でみると、本作の位置づけは中々難しい。何しろ極道が悪すぎる。一般人への加害が半端じゃないのだ。これは忍者にぶっ殺されても文句は言えない。今どき珍しく、単純なる悪が描かれているようにも見える。

しかし、物語が進むにつれ、極道側を正当化するロジックも見えてくる。一つは「普通の生き方」の中には居場所がない人間にとって、極道の世界こそが居場所であるというロジックである。そういう人間たちにとって、悪さを働くと殺しにくる忍者というのは最後の居場所を奪う憎むべき存在である。

もう一つは、不幸な生い立ちを抱えた存在であるということだ。そういう人間はもはや普通に生きることができず、極道として生きるしかない、というようなロジックが展開される。

類似の話として、鬼滅の刃の「鬼」を持ち出すことができるだろう。鬼たちのやっていることもまた許されざることだが、彼/彼女らが鬼となるまでの背景には不幸な身の上話があった。

これらのロジックは、別に頑健なものではない。自分たちが辛かったからといって、無辜の人間に加害すれば、同じような体験をさせてしまうだけだ。辛い背景があったからといって、行いが正当化できるものではないことは誰でもわかる。とはいえ、こうして極道側の掘り下げが進むことで、極道たちの背景に「同情すべき側面」や「社会的な矛盾」が見えてくる。

リエゾン(最新話まで)

ヒロインの遠藤志保は小児科医志望を志望する研修医。だが、日頃からミスが多く、小児科は無理と言われてしまう。児童精神科に配属されたところ、配属先の上司である佐山から「あなたは発達障害です」と言われてしまう…

そんな第1話がとても印象的な、現代において重要な現場が描かれている医療マンガ。個別のエピソードは教訓に満ちているし、これは幅広く読まれてほしいな。

しあわせアフロ田中

作風は日常ギャグといったところで、田中をはじめ、普通の人間が抱きがちな本音が赤裸々に描かれ、それがギャグに昇華されている。男性であれば誰もが田中に共感できる部分を見つけられるだろうし、そんな田中が高校~結婚、出産、マイホームまで人生の歩みをゆっくりと進めていくのだから凄い。ギャグマンガとして楽しみつつも、誰かの人生を追体験しているような感じである。

「しあわせアフロ」では、30歳前後人間の地に足つかない感じから、覚悟を決めて地に足つけるところまでを描いている。田中は仕事をやめて、村田とシェアハウスを始めようとする。そのシェアハウスが火事でなくなると、今度は釣り堀の経営を夢見始める。何か自分の人生を特別なものにしなくてはならないと感じ、浮足立っている感じが生生しい。

そんな田中だったが、恋人のナナコと同棲を始める。同棲の様子もまた生生しく、生活を重視するナナコはそこかしこでエゴを出す。

ナナコの方も人生の試練が訪れる。連載を獲得したはいいものの、毎週原稿を完成させ続けるのは壮絶な苦労で、同棲相手の田中に対しては「うるせー!」とほとんどノイズ扱いとなる。ナナコの連載が打ち切りになったあと、ようやく二人は日常をとりもどし、心のゆとりが生まれ…(そこに無実の浮気疑惑が生じたりもするのだが)

田中の浮足立ったチャレンジも、自己実現のチャンスに視野が狭くなるナナコも、アラサーあるあるの光景といっていいのではないだろうか。なんだかんだ、アフロ田中は人生である。

ギャグのキレを感じる回も多く、とてもよかった。なお、職場に後輩ができて、そいつらが童貞でというネタについては要らなかったんじゃないかな。過去のアフロ田中で十分やったでしょ。

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