オーディブル記録⑥『スマホ時代の哲学』

誰もが当然のようにスマホをもつ時代になった。いつでも、目の前の現実を離れてネット越しに情報と繋がれる。それはもちろんメリットももたらしてくれるのだが、色々な弊害があるというのは有名なことだ。本書ではそれを哲学的な観点から切り取り、自分自身の孤独な時間がないことの問題をクローズアップしていく。

自分の現実、自分の感情、自分の人生と向き合う、少し辛いかもしれないけど重要な時間。スマホがあるとそれが欠落してしまう。

ふと、何かの疑問がわいたとする。スマホ時代の人間は、その疑問の答えを即座に検索し、疑問をもっている居心地の悪い状態からすぐに回復してみせる。だが、実際には世の中は一問一答で成り立っているわけではない。疑問の中身について、色々な角度から粘り強く考えるような経験こそが、知識同士が相互にネットワーク化した、頑健な知識だったり、その知識を他の問題に応用していったりという有能さにもつながっていくのだろう。

こうして、ネガティブケイパビリティにも話がつながっていく。

他には、親しみやすい語り口とか、スマホ依存の背景にある現代の若者の心理描写(快楽的ダルさ)とかにも特徴があったが、例えばエヴァとかのたとえ話につなげていくことも、耳から聴くかぎりでは冗長に感じた。

本書は、切り口こそ哲学なのだろうが、着地した内容は意外と穏当で、他の切り口で論じる人たちと同じところに着地しているように見えた。

自分の在り方を見つめる

次に、本書で指摘された内容が自分に当てはまるかを考えてみる。自分の場合、例えば通勤時や単純作業中にはポッドキャストやオーディブルといった音声コンテンツを聴き続けている。常に何か知的刺激を受け続ける事を好んでいると言える。

また、マンガアプリもかなり勤勉に使ってしまっており、夜間にぼーっとする時間を確保しづらくなっているのは事実だ。

こういった在り方は、スマホを介した「激務」で自分を取り巻いて、自分自身への洞察を深めようとしない人と同列かもしれない。

一方、自分はnoteやexcelの読書記録など、自分の思考を整理する時間を確保するようにしている。これは学んだ内容自体や、それをきっかけに自分自身で考えたことが流れ去ってしまわないように意図的にやっていることである。

それに、自分の人生についても、恥ずかしながらコツコツ考えている。何しろ自分のPCには「内省」というフォルダがあり、そこには「中年の危機」「最近の不調について」「思考整理を経ての今後」などなど、重苦しいwordファイルたちがうごめいているのだから。

スマホ、あるいはインターネットを通じて接する情報は異常なほど増えているのだが、それでも自分なりに向き合うべきところは向き合えているかな、とは思う。

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