見出し画像

『怒りのキューバ』『私はモスクワを歩く』を見た

仕事が閑散期で落ち着いているので、シネマヴェーラに『私はモスクワを歩く』と『怒りのキューバ』を見に行った。強い日差しのせいで見に行くまでには1時間ぐらい悩んだ。元々アクティブな性格ではないのだが、移植手術の副作用で皮膚の色素が抜け落ちてしまい、紫外線予防をしないといけないので日中外出するのが億劫になってしまっている。

『怒りのキューバ』はキューバ革命時を描くオムニバス。物語はプロパガンダそのものだが、撮影が異常。カメラが追従する各人物と観客が縄で縛られているように、全く離してくれない。人物に起こる悲劇とそれに対するリアクションを一時も見逃させないように、何があっても必死にカメラは食いついてくる。
仰角で映される主人公の周りの背景はヤシの木や太陽、青空で彩られる。この自然は燃やされ、破壊され、また自ら燃やし、景色が変化する。1話目では夜→朝の変化でキューバの貧民が太陽の下に露わになる。その変化はスタンダードかつ主人公で空間を埋めた異常なほど狭い画面の端で起こる。そして全てが過ぎ去った後、カメラ(観客)は解放され、もうその時には変化し終えた風景を眺めることしかできない。有名な中盤の長回しは主人公の葬儀。観客に張り付いていた人物が死に、カメラは行き場を失った魂のように街を浮遊する。息苦しさからの解放は、虚脱感を残す。
ラストはプロパガンダ丸出しで引いちゃうし、斜めのフレーミングはあまり好きではないけど、ギリギリを攻める大胆なスペクタクル映像は圧倒される。特にドライブインシアターの火災とそこからの逃走は本物の事故現場の体感。疲れた。

対して『私はモスクワを歩く』は風通しのいいシネスコ。横に広がった画面は、女の子が踊るスペースを十分に確保する。人々が走り、男の子が歌う。そのためには2.35:1の距離が必要らしい。
若者がモスクワの街に繰り出す1日だけの話で、犬に噛まれたりレコードショップの女の子とデートしたり友達の結婚式に参加したり泥棒に勘違いされたり、これといったことはないんだけど、これといったことがないのが、どれだけ素敵なことかっていう映画。街には水があって風があって夜には光があって、カメラはその輝きを見逃さない。感覚が鋭敏になる。急に大雨が降り出したり、大勢が走り出したり、最後は歌い出したり、魔法にかかるみたいに現実をちょっとだけ超える瞬間もたまらなく可愛い。モスクワの建物や駅見てるだけでも珍しいから面白くて、観光気分。主人公みたいな小癪な若者は苦手だけど、幸せな気分の時はなんだって許せる。本当に大好きな映画になった。

こういう映画は俺の代わりに外出してくれるし、陽の光を浴びてくれる。映画はただの時間潰しだってシニカルなこと言いたい日もあるけど、今はそんな気になれない。でも「映画愛」とかいうクソとは無縁です。

この記事が参加している募集

夏の思い出

今買うべきゲーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?