感想と考察:土屋計『ケモノクニ』第22話(ネタバレ注意)

 本作の最新話は非常にショッキングだ。読者感想欄にも長文が並んでいる。ヴィーガニズムは時として反対派の神経を逆撫ですることがある。だが、本作最新話から作者がヴィーガニズムに賛成していると断言することは難しいと私は考える(なお、私自身はヴィーガニズムに対し肯定的立場である)。このことの内省と説明に加えて、本作の展開について考察する。
 最新話について、畜産に対する否定的な描写からはヴィーガニズムに肯定的な印象を受けるが、その描写が洗脳の手段であると判明し、一転してアンチヴィーガニズムの印象を受ける。過激な活動をするヴィーガンに対する批判の意図があるかもしれない。作者がどちらの立場を取るのか、あるいは中立なのか、まだ諒解することはできない。
 ただし、今回の描写がヴィーガニズムの普及を目的とするものであれば、悪手といわざるをえまい。なぜなら、畜産に従事する人の動物に対する愛情や善意を無視しているからだ。また、今回の描写と動揺のことが実際の現場で起きているかどうか疑わしい。
 しかしながら、草食動物も人間も共に喰らう肉食動物が達観した態度を取っているのが興味深い。草食動物は、現実世界において人間に食われ、人間は作中世界において肉食動物に食われる。だが、肉食動物は、現実世界では肉食動物も草食動物も人間も食う立場にあり、作中世界では人間だけが食べる対象である。
 それぞれの生物は、現代社会における思想集団にそっくり当てはめることができる。作中の人間は、現実の畜産動物に対応することは瞭然として、作中の草食動物は、現実の菜食主義者・ヴィーガンに対応し、作中の肉食動物は、現実の非菜食主義者・非ヴィーガンに対応している。従って、作中の肉食動物は、現実の読者に最も近い存在であるといえる。
 では、本作において肉食動物はどのような役割を担うのだろうか。キーパーソンであるヒョウ(?)の獣人は、培養肉について肯定的な立場を取っている。だが、それは全ての肉食獣人が培養肉を受容することを必ずしも意味しないことは、現実の人間社会を見れば明らかである。いわゆる自然派の人間が培養肉を受け入れることは、相当に起きがたい現象である。
 このことから、作中では今後、肉食獣人の間で分断が生じると予想される。さらに「強い=偉い」という彼らの価値観を考慮すれば、彼らの間に生じた分断は、武力抗争に発展すると予想できる。
 そのとき、草食獣人と人間はどう動くだろうか。草食獣人は人間を食べないことから、培養肉肯定派に従う確率が高い。
 人間は無論、生存のために培養肉肯定派に従うと思われるが、今回の描写から彼らが自虐的に洗脳されていることが分かる。培養肉否定派に靡く可能性も否めない。
 これらのことから、培養肉(および、それに付随する人間の解放)をめぐっては、大まかに次のような紛争の図式になると考えられる。
  草食獣人・人間・肯定派肉食獣人 VS 否定派肉食獣人
一見して肯定派が有利に思えるが、作中の肉食獣人は非常に戦闘力が高い。現実社会(特に日本)におけるヴィーガニズム・菜食主義の劣勢に鑑みれば、否定派肉食獣人に分があると考えられる。
 となると、本作の帰結は、ヴィーガニズム・菜食主義の敗北という悲劇になるのではないか。もし、これを回避しようとするならば、鍵は主人公が属するスサノオ種の人間たちであろう。彼らと肯定派肉食獣人が主力となって、人間が自らを解放する物語が展開されるかもしれない。
 その場合、敗北した否定派肉食獣人は如何なる末路を辿るだろうか。人間の勝利はヴィーガニズム・菜食主義の勝利だが、彼らが対立派をどう扱うかは分からない。寛容と赦しによって教化と共存を選ぶかもしれないし、抹殺を図るかもしれない。
 前者ならばヴィーガニズム・菜食主義について読者は良い印象を受けるかもしれないが、後者ならば却って危険視される恐れがある。最終的には、作者がヴィーガニズムについて賛成と反対のどちらの立場を取るかにかかっているだろうが、もし仮に前者の展開になったとして、必ずしも読者がヴィーガニズム・菜食主義に肯定的になるわけではない。むしろ、傲慢で嫌みだとさえ受け取られるかもしれない。
 作者が肯定派であると仮定すれば、以上の問題について如何なるアプローチを取るのかが、本作の要点となろう。

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