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イタイケな家出少年(吉本隆明)

家出=青春病

 私にとって、吉本隆明という人は、疳の強いきかん坊でありながらも傷つきやすくはにかみ屋で、常に間の悪さを不本意ながらも演じているような、一言でいえば、愛すべき家出少年のようなイメージをまとっている。家出少年のヒロイズムともの悲しさと反抗という物語がきちんと立っていた時代への懐かしさ。1950年代の貧しい状況の中で、言葉だけで世界に立ち向かおうとしているかのような聡い少年の、顎を引き締めながら、甘い共感を断念して孤独な一歩を踏み出すひりついた緊張感。同時代的に体験したわけではないのだが、おそらく、戦後の日本社会に、吉本はそのような姿で登場したのではなかろうか。

異数の世界へおりてゆく かれは名残り
おしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあわなかったこと
なお欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだった敬礼
にかわるときの快感をしらなかったことに(「異数の世界へおりてゆく」)

ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ
ひとりっきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは噓だから
ひとりっきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから
ぼくはでてゆく(「ちいさな群へのあいさつ」)

けれどわたしは自らの隔離を自明の前提として生存の条件と考へるやうに習はされた だから孤独とは喜怒哀楽のやうな言はばにんげんの一次感覚の喪失のうへに成立つわたし自らの生存そのものに外ならなかった
                      (「固有時との対話」)

ぼくは ぼくの冷酷なこころに
論理をあたへた 論理は
ひとりでにうちからそとへ
とびたつものだ(「ぼくが罪を忘れないうちに」)

『吉本隆明詩集』

 和やかで親しげな家庭に背を向けて「冬の圧力の真むこう」のような「異数の世界」へと決然と足を踏み入れるさまが描かれている。これが吉本の精神の原風景なのだ。別れと喪失としての、輝かしくもあり痛ましくもある家出。その喪失は、それがあまりに激しすぎる場合は、「喜怒哀楽のやうな言はばにんげんの一次感覚の喪失」となり、一種の病理の域にまで達するだろう。「固有時との対話」は分裂病者の記録のようにも読める。

 吉本はかつて小林秀雄について次のように書いた。「青年はいつも奇怪な観念で頭脳をいっぱいに充たしている。そして過敏さの極限でじぶんの肉体さえも奇怪な形象に歪めてしまっている。醜悪だとみなすか善美だとみなすかはそれぞれだとしても、かれが奇怪な観念を封じこめた身体像を奇怪に歪めるまでに至ることは確かである。この奇怪さはまたきわめて単純な心の動きからできている。<純粋化>と<極端化>がかれの奇怪さの核心なのだ」(「小林秀雄」)。ここで読まれる言葉は、おそらく現在の感性から見た場合、いくぶんかの古めかしさや重苦しさを感じさせるものであろうが、いつの時代にも多かれ少なかれ人が経験する思春期(黒歴史)における「心の動き」であろう。人によっては「青春病」(藤井風)と呼ぶかもしれない。極端化という青春病は、感染性の強い病であって、吉本は小林秀雄から、ある世代の人々は当の吉本から感染したであろうが、吉本の病が歴史的な貴重さを担っているのは、「こころ」と「論理」を結び付けた点にある。「にんげんの一次感覚の喪失」は、吉本にメタフィジカルな「高次の感覚」を与えたと言っていい。吉本と吉本が連帯し行動を共にした「荒地派」は、メタフィジックスを武器にして文学者の戦争責任を追及したのだった。それはフィジカルとメタフィジカルの戦いのようなものだった。

 「四季」派の抒情詩だけが、なにか本質的なところで、風土感覚というようなものを論理的に構築してみせたために、危機の時代から戦争へと流されてゆく時期の詩的庶民の多数感覚に、全能のイメージをもってむかえられたのである。

 かれらのうちでは、自然もまた社会と同質な平面上の認識の対象であり、日常社会のメカニズムも、自己意識を拡大することによってとらえられた対象にしかすぎないのだ。

「『四季』派の本質」

 メタフィジックスが不在であるがゆえに、いとも簡単に個人が状況と融合してしまう(空気に飲み込まれる)、という日本のメンタリティーの急所が押えられている。自然や感覚と密着しているかぎり、人は状況や隠蔽された権力に明察をもって対応することはできない、という事実を、吉本は苦い戦争体験から学んだのだった。家出少年はやさぐれた戦中派となって、感覚と理性の喧嘩に明け暮れて1950年代を通過したのだった。その光景は、在野の知識人の派手な立ち回りのように、周囲の目には映り、吉本神話のようなものが形成されたが、その背後には母の身体の呪縛から逃れ出んとする家出少年のいたいけな心の揺れ動きがあっただろう。

ふるさとを恋う人

 古くはアリストテレスから、近代のヒューム、カントや現代のメルロポンティまで、哲学の起源には感覚がある(人間は世界を感覚通して認識しそれを理性で解釈する)ことを、確認し、もちろん彼らは感覚を低次なものと、ヒエラルキーの中に位置づけるのだが、吉本隆明には独特な出自コンプレックスがあって、インテリに徹しきれない揺らぎがあった。それはふるさとを巡るものであるが、ただし吉本には2つのふるさとがあったことを確認しておこう。

 ひとつは、ふるさとの喪失体験がふるさとであるという、独特なふるさと観である。言うなれば「家出」して家を失うことがふるさとであるようなふるさとである。このふるさとは坂口安吾がいう「ふるさと」と同じものである。安吾は、いくつかの救いがなくてやりきれないような物語の結末を紹介したのち、「我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないもの」(「文学のふるさと」)と、呼ぶのだが、安定した足場を失って、それでもなおそこから始めようとする態度にふるさとを認めた。吉本も「自己表出」という重要な概念を風景の崩壊において見出している。

 たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら海が視覚に反映したときある叫びを<う>なら<う>と発するはずだ。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ<う>なら<う>という有節音を発するだろう。このとき<う>という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声だが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。

『言語にとって美とはなにか』

 ここではふるさと以外の風景との遭遇の衝撃について書かれている。ふるさとの崩壊=家出が文学のふるさとであることが告げられている。いわば実存の覚醒のようなものだが、ふるさとの崩壊は「固有時との対話」において、「にんげんの一次感覚の喪失」=感覚の世界からの離脱=形而上学への上昇と呼ばれていたのだった。それは過酷な体験である。

 だから家出少年の胸にはいたいけな願望が去来する。「メカニカルに組成されたわたしの感覚には湿気を嫌ふ冬の風のしたが適してゐた」と当初は強がってみせた「固有時との対話」の話者は、あちこちで「独りで凍えそうな空を視てゐるといつも何処かへ還りたいとおもった」「わたしが了解してゐたのはただわたしのやうなものにもなほひとつの回帰についての願望が必要だということであった」「一体いつごろからわたしは還りゆく感覚を知りはじめたか」という弱音を漏らしている。「湿気を嫌ふ冬の風」どころか抒情の液体が溢れんばかりである。

 吉本は芥川龍之介の神経衰弱について、芥川は中産下層の出身でありながらインテリとして階級上昇することで出身階級(ふるさと)から乖離し、出身圏への安息感を失ってしまい、神経が破壊されたのだ、と解釈しているが、このような見解は、吉本自身のメンタリティの急所の自己解説ともなっている。芥川も吉本も実存を背負って家出を決行したやんちゃを維持してゆくほどのタフガイではなかった。70年代に吉本はやさぐれた戦中派としての意識を維持できなくなる。「われわれ戦中派は、七〇年代に完全に自滅・消滅してしまいました。(略)もうひとついえば、グアム島から帰った下士官的軍人の横井庄一さん。かれは戦中派の応召軍人の意識をもちこたえられなくなって帰ってきたのだとおもいます」(「一九七〇年代の光と影」)と発言する吉本に「全世界を凍らせるだろう」(「廃人の歌」)といきり立っていたかつての危険なエネルギーはない。

 70年代の著書『最後の親鸞』では、「知」の頂への上昇(往相)から「非知」への下降(還相)というテーゼが打ち出され、家出していた不肖の息子は母親の懐へと帰ってくる。これはこれで対幻想の実践である。

メタフィジックス殺人事件

 おそらく吉本の自己像には「母親の胸からたっぷりした授乳をうける」ことを妨げられた不幸な乳児というイメージがあって、それをして高澤秀次は「母という宿痾」と言葉を用いるのだが、70年代後半から80年代にかけて、吉本は不幸な北方の実存から母と和解する幸福な南方の幼児というフィクションに傾斜してゆく、とも高澤は述べている。

 宮沢賢治や太宰治といった「北方」系の詩人や作家に、幾度となくオマージュを捧げてきた吉本は、八六年の詩集『記号の森の伝説歌』ではじめて、エディプス的世界と和解するために自らのルーツである九州・天草に遡り、さらにその「南方」を、切実に母性的なものの初源の記憶として呼び覚まそうとしているかに見える。

高澤秀次『吉本隆明1945―2007』

 吉本はメタフィジカルな世界からフィジカルな世界へと帰還した(あるいは退行した)。その帰還(退行)は、70年代後半から80年代にかけてのいわゆる高度消費社会の到来と並行しているわけだが、この時期メタフィジックスは大がかりな崩壊というか壊死状態を迎え、消費者たちはそれを寿いだのだった。たとえばその祝宴のテーマソングにオリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」があったり、マドンナの「マテリアル・ガール」があったりする。70年代前半にはキャロル・キングやジャニス・イアンが非消費者的ソングを歌っていたんだけれどね。

 高澤秀次はこのことに対してはかなり厳しい視線を向けているが、私はまあ仕方がないんじゃないのと、半ば投げやりである。吉本に対しては初期の北方系戦闘家のイメージに愛着があるにせよ、吉本にはどこか間抜けな愛嬌を感じていて、南方のトロピカルなビーチで溺死騒動を起こしてスポーツ新聞のネタになるのも吉本らしいや、と思っているところがある。決定的なメタフィジックス殺しは阻止しなければ、とは思っているが。

 ところで、吉本隆明→母恋いの流れで思い浮かぶ曲のひとつが、クラフトの「僕にまかせてください」である。恋人の亡き母を間接照明にしたようなひねりのあるラブ・ソングである。『ほおずきの唄』というテレビ・ドラマの主題歌であったが、ドラマの舞台となったのが、台東区の入谷近辺で、吉本の活動拠点でもある北区田端の風景と重なるところがある。

 洋楽ではビートルズの「Your  Mother  Should  Know」のことが思い浮かぶ。

 歌詞の内容は有って無いようなものなのだけれども、曲全体のそこはかとない哀調が吉本隆明の世界と通じているように感じられて思い浮かんだのだ。

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