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「よし行くぞう」と貨幣は雄叫びをあげる(写真篇)

1979年・「グッバイ、モダン」「ハロー、ポスト・モダン」

 前回の原稿(「『よし行くぞう』と貨幣は雄叫びをあげる(鏡篇)」)で言及した中川久定の『自伝の文学――ルソーとスタンダール』は、1979年1月に刊行されたが、もともとこの書物は、1977年10月に岩波市民講座として行われた講演記録をもとにしている。1977年から1979年という時代は、今振り返るとなかなか興味深い。けっして声高々に罵り合っていたというわけではないのだが、この時期には「正統派」と「キッチュ」がせめぎ合いを演じていたように思われるからだ。

 例えば、1977年と1979年のちょうど真ん中の1978年には、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしている。この奇妙なタイトルは、この曲が作られた1977年夏に、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」がヒットしていて、この二つを無理やりくっつけて出来上がった。前者は「正統派」の代表であり、後者は「キッチュ」の代表である。77年は、「正統派」が、そして文学においては「内面派」が、かろうじて生き延びていた年であったようだ。と同時に「内面派の終焉」の兆しが顕在化し始める年でもあった。

 

 松下千里は、1977年に第一詩集『身も心も明日も軽く』を出した阿部恭久を論じた1979年に書かれた文章の中で、「平和な時にはすべてが等価になる。ちょっと皮肉な言い方をすれば、人は戦争によって内面的になり、平和によって表面的になる」(「アイスクリームから新しくなる」)と書いている。「戦争詩からの重さをどのように切り落とすか」という、77年当時の現代詩の課題への回答を、松下は阿部の新しい表現の中に見出した。阿部の詩は、例えば、次のようなものだ。

きょうの青空はソーレツだ
ぼくの屈託もソーレツだ
午後 人事から逃散して
スタジアムにかけあがった 

「身も心も明日も軽く」

 このような詩のスタイルを評して、松下は「言葉に内攻した文学としての詩の影がない」と言っている。本来であれば、「壮烈」と書くところを「ソーレツ」としているところに阿部の特徴と新しさがある。このような言葉の変質を目にすると、阿部と同年(1949年)生まれの荒川洋治のことを思い出さずにはいられない。1971年の「雅語心中」では「棄てきれぬ雅語にすずしくくしをとおす」と書き、1975年の「見附のみどりに」では「口語の時代はさむい」と書いた荒川であったが、1979年には詩集『あたらしいぞわたしは』を出し、「真芯を生きてはならぬ」(「広尾の広尾」)と、あっけらかんと「雅語」の美学と別れを告げた。「真芯を生きてはならぬ」という言葉は80年代という時代の命法となった(真芯を生きようとした若者たちはオウム真理教に吸引された)。阿部恭久には、当然ながら、真芯を生きようとする非日常への傾斜はない。松下千里は、「ウルトラ日常の真中」を生きる阿部の詩を「それは日々の中の純粋なまなざしの引用」と呼び、「この若者の健康と幸福に、観念としての文学、詩は完全にハレーションを起す」と書いている。そしてさらに興味深いのは、阿部の詩の手法を「スナップ写真をとるよう」と評していることだ。阿部は、写真の手法によって、鏡を覗き込んで真芯=真の自分の姿を探すかのような旧来の表現を時代の外側へと追いやってしまった。写真という文化装置およびその方法論が、1970年代末の日本の文化および風俗において、重大な役割をはたし始めていた。とりわけそのなかで象徴的なのは、1979年に放送が始まったTBSテレビの「クイズ100人に聞きました」である。経済学者の岩井克人は、「クイズ100人に聞きました」のスタイルに、モダン(鏡のパラダイム)の終焉とポスト・モダン(写真のパラダイム)の萌芽と顕在化を見出している。

新古典派経済学批判としての「クイズ100人に聞きました」

 関口宏が司会を務めた「クイズ100人に聞きました」は、それまでのオーソドックスなクイズ番組とは一線を画すユニークなものだった。岩井克人は、そこに、新古典派経済学を過去のものとしたケインズの新しい思考スタイルを見出した。岩井によればそれは次のようなものである。

 岩井が熱心に見ていた「アップダウンクイズ」のような古典的クイズ番組は、「日本で一番長い川は?」という質問に対して、「信濃川」という唯一の真理を誰が一番早く答えることができるかを競うものであった。「クイズ番組のみならず、物まねのど自慢からニュースにいたるまで、かつてのテレビ番組はみずからの背後に控えている『真理』、『本物』、『現実』といった何らかの『客観的実体』を視聴者に伝達する単なる『媒介(メディア)』としてみずからを規定していた」(「媒介が媒介について媒介し始める話」)。けれども、そのような古典的な「知」のスタイルに対して、「クイズ100人に聞きました」は「知」のあり方そのものを変えてしまう。それは次のように問う。「街行く人百人に<日本で一番長い川は何という川でしょう>と聞きました。果たしてどんな答えが返ってきたのでしょうか」。こうして「真理はカッコに入れられ、最長の川らしさという観点から様々な川の相対的な価値づけが行われることになるのである。実体とその媒介という古典的な二分法を、このテレビ番組はいとも気楽に解体しているのだ」(同上)。

 「実体とその媒介という古典的な二分法」とは、写真においてはオリジナルな被写体を映す鏡としてのダゲレオタイプに対応し、貨幣においては金(ゴールド)という起源と結びついた金本位制に住まう古典的な貨幣に対応する。真理と真摯な対話をすることが、世界を健全に保つことである、と安心していられたのが、新古典派経済学が連なる西欧形而上学の考え方であった。金(ゴールド)と交換するための兌換券としてあった紙幣は、金保有量と紙幣が健全な秩序内において結びついており、そこでは現代のようなダイナミズムに比べれば、いささか地味(不活動)であるとしても、経済秩序は安定していた。けれども、貨幣が金(ゴールド)から切り離されたなら(オリジナルから切り離されたカロタイプのように)、銀行の気まぐれによって貨幣は乱発され(日銀の異次元の金融緩和のように)、必要な流通量を上回る貨幣の流動は、カロタイプとしての写真のように膨張し、そしてコピーの乱舞となり、その結果根底が不在である底なしの不気味な空間へと世界は変質してゆく。金融市場での活動は、モノとしての実体から乖離された真理抜きの空間で演じられる、いたって無責任で賭博の要素の強いゲームのようなものとなる。「クイズ100人に聞きました」の参加者は、社会や場の空気を読む技術とカンを要求されるプレーヤーの役回りを引き受けねばならない。同様に株式市場で売買を行う投資家は投票ゲームのプレーヤーなのだ、とケインズは言う。

 ケインズは、その名を不滅なものにした代表作『雇用、利子および貨幣の一般理論』において、資本市場が不安定性の上に成り立っていることを確認している。株の売買の場で「投資物件を評価するさいに依拠する真の知識部分」が後退すると同時に、「大勢の無知な群集心理」が前景にせりあがって来る。その結果真理をめぐる熟考はなんの役にも立たず、「虚々実々のゲーム」が繰り広げられる。それをケインズは「新聞紙上の美人コンテスト」に譬えてみせる。100枚の写真の中から6名の美人を選ぶコンテストがあるとする。しかも最も票を獲得した女性に投票した者に賞金が与えられるという条件がつけ加えられる。するとどういうことが起きるか。

 ここでは、判断のかぎりを尽くして本当に最も美しい顔を選ぶということは問題ではないし、平均的な意見が最も美しいと本当に考えている顔を選ぶことさえ問題ではない。われわれは、自分たちの知力を挙げて平均的意見が平均的意見だと見なしているものを予測するという、三次の次元まで到達している。中には、四次、五次、そしてもっと高次の次元を実践している者もいる、と私は信じている。

『雇用、利子および貨幣の一般理論』

 本当に最も美しい顔=真理が問題なのではない。平均的意見が平均的意見だと見なしているもの=コピーが力を揮っているのである(四次、五次の次元まで到達してしまったら、とうに真理=起源は消えてしまっている)。「クイズ100人に聞きました」は、ケインズの言う「美人コンテスト」を取り入れることによって、大衆社会=写真時代の知のリアルをいち早くテレビに反映させた画期的な番組であった。そうした流れに呼応するかのように、80年代の初期には、「写真」が人文学のホットな話題となる。そしてまた、1979年に処女詩集を出したねじめ正一は、80年から83年にかけてドラスティックな変貌を遂げてゆく。

複製技術時代のねじめ正一

 蓮實重彦の『物語批判序説』第1部が発表されたのは1982年のことである(第2部は1984年に発表され、こちらは「終焉の物語」が分析され検討されている)。この蓮實の論考を取り上げた三浦雅士の「反復の沼」は同じ年に写真論誌「写真装置」6号に発表された。さらには「写真装置」4号には柄谷行人が「鏡と写真装置」を発表している。三者の論考は微妙に論旨内容が異なっているが、共通しているのは「主観性=鏡に閉ざされた空間を、写真装置は突き抜けてしまう。『内省』によってはけっして到達できないような『無意識』がそのとき開示されたかのようにみえる」(柄谷行人)ということである。内面=鏡という近代文学の装置の息の根を止めたのは写真という複製技術であった。

 柄谷行人が述べているのは、写真が心理の問題であるよりもはるかに論理の問題であるということである。逆説めくが、フロイトの精神分析もまた心理の問題であるよりもはるかに論理の問題なのであり、それは、マルクスの経済学批判が経済の問題であるよりもはるかに論理の問題であることに対応している。写真と精神分析と経済学批判が同時代の現象として強調されるのはまさにこの点においてである。

三浦雅士「反復の沼」

 写真が近代文学をめぐる言説に暴力的に侵入してきた1982年を挟んで、その詩的言語を劇的に変貌させたのがねじめ正一である。ねじめは処女詩集『ふ』を1979年に発表したが、その中に収められた「早朝ソフトボール大会」は次のような出だしである。

日常の頁がいくらめくられても
嘔吐する気配もなく
ひとりふるえるきみよ
それは時代的なふるえだ
それなのに何故きみは
背を丸めて世界に入ろうとしないのか
棒を振っても一生を棒にふらなかった
きみよ
心棒をほしがるのはわかるが
棒立ちで世界を拱ねいているばかりだ

「早朝ソフトボール大会」

 この作品は1977年に同人詩誌に発表されているが(この時は「禰寝正一」名義で)、 阿部恭久の詩と比べるとびっくりするくらい古典的な抒情詩となっている。個人的にはいい作品だと思うが、阿部のスナップ写真と並べると、その鏡あるいは絵画的な抒情は反時代的にさえ見える(おそらくねじめの80年代以降の詩に近いメディアは「紙芝居」である)。とはいうものの、『ふ』に収められた「膀胱炎」のような作品は、のちに『下駄履き寸劇』や『脳膜メンマ』で展開される反抒情的な言語パフォーマンスの片鱗がうかがえる。

そんなに笑うのなら いっそのこと 好都合にもぼくの我が家での唯一の棲家は、トイレとコタツだけなのだから コタツの下半身を温めているのだから ビニール袋をふぐりに被せればそれですべて解決だと やっぱりひたひたと相回る毒の勢いに干されている

「膀胱炎」

 「早朝ソフトボール大会」とは異なるテイストの表現である。「膀胱炎」と「早朝ソフトボール大会」が混在する『ふ』という詩集の佇まいは、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」に似ている。正統的抒情とキッチュが同居しながらせめぎ合っているそのあり方が似ている。そもそも『ふ』というタイトルそのものが、サザンオールスターズのテイストである。サザンには「Tarako」という曲があって、両者の言葉のセンスは近いと言える。


 1979年の『ふ』を出したあと出された『下駄履き寸劇』(1980年)と『脳膜メンマ』(1983年)で、ねじめはその表現スタイルをがらりと変えた。

馬力の朝飯に奥さんの作る薄味料理ではとても間に合わず ヤマサ醤油をご飯にかけて 美味しくいただいています ひどいわあんまりだわとおっしゃられても その奥さんの味付けはかしずく衒いといって 味の素から湧いてきたプライドですから どんなふうに考えてもぼくとはかかわりないので 奥さんのご飯もこれこんな風にヤマサ醤油をかけていただいていますが そうです おおこれこれ 奥さんこの感じです 食欲の目覚めがいまここで立ち魔羅となってぐんぐん催してきたのであります

「ヤマサ醤油」『下駄履き寸劇』所収

夕暮れ 三つ目のドアーに消えた お嬢さんをたしかにたしかめるや頑張ってねぇーと妻と子に見送られながらズボン脱ぎ 魔羅両手でかかえ アパートの階段駆け上がり ドアー蹴破り 手前どもの登場であります ギャーつくお出迎えご苦労様ですと やや玉置宏風は口先柔らめながら冷蔵庫から卵をとり出そうとしているお嬢さんしとど尻餅つくやにわにピカピカ冷蔵庫に頭打ち そば寄る手立は濃いーめ濃いーめと嫌がり首振る色白青タンお嬢さんのちょぼふりピンクの御口 魔羅でその身そのままこじあけ お嬢さんの皺ばるえぐい顔つき尻目に さらに魔羅突っ込み

「脳膜メンマ」『脳膜メンマ』所収

 「ひとりふるえるきみよ」などというすかした抒情はみじんも無く、トレンディーな実験映画というよりは、安い紙芝居上で演じられる俗悪コントのように、アホ男の馬鹿馬鹿しいエロ妄想が無駄な情熱をまき散らしながら延々と繰り広げられる。場末のプロレス会場で三流の試合を見ているようなショボくれた恍惚感がクセになりそうである。ここには内面を感じさせる奥行きは皆無である。すべてはペラペラに表面化している。ただし昭和30年代の匂いは漂っている。

 絓秀美は、そのようなねじめの詩を「過去の複製」という言葉で定義している。「オリジナルへの羨望を欠いている」コピーとしてのねじめ作品(「複製の王国――ねじめ正一論」)。だからそこには「現在からの悔恨=抒情」はかけらもなく、「それらはコピーであることによってのみ、活気づいている」。写真時代の最先端を行くかにも見えるが、絓はそのようなねじめの詩の才能を、ねじめが「ねじめ民芸店」という「過去の複製の王国」の店長であるという「先天的なありかた」に見出している。

 その通りだと私も思う。けれどもさらに私なりにつけ加えるならば、ねじめが生まれ育った高円寺と阿佐ヶ谷の原風景にねじめの言葉の秘密はあるのではないか。「出たがりの末路」と題されたエッセイで、ねじめは生まれた高円寺と大学に入ってから移り住んだ阿佐ヶ谷のことについて書いている。今では有名で一つの権威となった「高円寺名物の阿波踊り」が始まったのは、ねじめが中学2年の時である。それは「夏枯れで売り上げの少ない八月末に、なんとか客を呼ぼうと考え出した商店街の下心から始まった本場の物マネ」であった。そのいかがわしさがねじめは大好きだったという。また、次に移り住んだ阿佐ヶ谷にも「阿佐ヶ谷七夕祭り」といういかがわしいイベントがあったのである。そのイベント期間中は、張りぼての「どらエもん」や張りぼての「2001年宇宙の旅」や張りぼての「パンダの親子」が、ところ狭しと押し合いへし合い乱舞し、まさに「いかがわしさのオンパレード」である。そのようなおよそ高級とは言えない風景を、ねじめは「ホンモノでもニセモノでもないまったく別の場所を獲得してしまっ」たと肯定している。いうなれば、複製やコピーは、ねじめにとって故郷だったのである。

複製の日本史

 けれども、ねじめのみならず、われわれ日本人にとって、戦後の日本は、そして明治期に始まる近代日本は、あるいはその前からずっと日本は複製であることを宿命として物マネに徹することでその歴史を刻んできたのではなかったか。昔から日本は中国の物マネをしてきたのだし、明治以降は西洋の、そして戦後はアメリカの物マネに喜々として励んできた。戦後の経済発展とその繁栄は優秀な物マネ芸の成果だとも言える。


 複製と言えば、衝撃的なのが長谷川伸の股旅ものを中心とした人情劇である。私は、東映で映画化された『関の弥太っぺ』や『沓掛時次郎』が大好きで、これらの作品は日本の共同体の記憶に連なる伝統的説話かなにかと思い込んでいたのだが、ある時長谷川伸の研究書を読んで、それらがアメリカ映画の翻案であることを知って驚愕した。いうなれば、ちょん髷をつけたアメリカのヒューマンドラマだったのである(ついでに言っておくと「クイズ100人に聞きました」もアメリカのクイズ番組の物マネである)。

 思えば、戦後憲法もアメリカ起源であった(それを言うなら、大日本帝国憲法の起源はドイツにある)。ここから「日本独自の憲法を!」という声が上がるわけだが、「起源」や「本物」というフィクションは、起源の不在に悩まされた精神の最後のよりどころのようなものである。

 この問題はこれ以上深めないが、本稿の論旨に戻ると、たんなる媒介でしかない貨幣は、媒介であるがゆえにモノに拘束されない自由を体現するということである。

貨幣の二律背反性

 自由というものを保証するのは、貨幣という媒介物であるが、結局のところ、この問題は自由の功罪という問題に行き着く。自由は無条件に善であるわけではない。

 岩井克人の議論に沿って見ていこう。交換の最も古いタイプである「物々交換」にあっては、リンゴを持っていて椅子を必要とする人間と椅子を持っていてリンゴを必要とする人間の間でしか交換は成立しない。これは甚だ不自由なことである。けれども純粋にモノとはいえない貨幣があるなら、「欲求の二重の一致を必要とする物々交換の困難を解消する」(『資本主義から市民主義へ』)ことができる。さらには「今買いたいものがない」時は、将来の購買の機会が来るまで貨幣を使わないでおくことによって、「現在」の拘束から解放され、同時に「いますぐ使わなくてもよいという自由」を確保することができる。人間の根本的な自由を保証してくれるのが貨幣なのである。だが自由は本来的には善ではあるが、自由には不安定で破壊的な要素もある(あるいはパスカルが言うように「人生の最大の問題は暇な時間をどううっちゃるか」であり、人間は根本では完全な自由を恐怖し、そこから逃避したがっている、とも言える)。岩井は、「資本主義経済における本質的な二律背反の存在」について次のように述べている。

 たとえば、株式とはいわば物的資本のデリバティヴと見なすことができます。株式を買うことは、企業のなかにある機械や設備を直接所有するのではなく、それが生み出す利潤を受け取る権利を所有することです。これによって人々は自分の資金を個別の物的資本に固定する必要がなくなり、しかもさまざまな企業の株式に分散して投資することもできるから、投資のリスクが減り、その流動性も大幅に増すことになる。だが、同時に、まさにそのことが株式市場を投機の場にしてしまい、新たな不安定性を生み出してしまうのです。
 良い悪いは別として、この二面性を理解することが重要なポイントです。だから、投機をなくせばいいんだという単純な議論は、そのまま自由な経済活動、いや自由そのものをなくせという議論につながってしまうことにもなる。

『資本主義から市民主義へ』

 「自由」はけっして万能なマジックワードではない。「自由万歳」と唱えていればすべてが許されると考えている精神は、あまりにも浅はかで思慮を欠いた怠惰な知性である。自由は解放でもあり、暴力でもある。それは複製技術としてモノの理(ことわり)から解放された貨幣についても言えることだ。コピーとしての貨幣とは上手につき合わなければならないようである。「よし行くぞう」という雄叫びには、健全な自由の肯定と自由の場そのもを狭めて破壊してしまう不吉な気配が含まれている。

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