心の安寧

世はコロナ禍真っ只中。テレビでもアプリでもサイトでも見ない日はない。陽性数値に一喜一憂する前に、陽性率の実質的な下降や治療薬とかワクチン、ウィルスの病態生理の情報、予防策の啓蒙が一番大切なのになぁ・・・と考えているがなかなかそうはならないんですよね。

このウィルス感染症で大きく自分の立ち位置が変わって確定した。流行以前から既に親類内での天涯孤独状態は決まっていて、今のツレが一番の心の拠り所である。直球で言えば親類との直接的縁を「切った」と言う事。

以前のエントリで「自分の病歴」を記したとおり、メンタル面で強いとは言えない。これまで生きてきた中で、常に「自分より他人優先」にしてきた人生に疑問を持ったのと、「ますます精神面を追い詰めていく今後の人生は果たして正解なのか?」の答えのためにアクションを起こした次第。

親の言いつけに従うのが当然と言う時代に生きてきた。それは時代の情報との乖離をもたらし、精神を蝕んでいく。こんな私でも就職し、結婚をして子供を設けてそれなりの幸せを手に入れたと思っていたが、身を粉にして働き、帰宅後は家事の殆どをせっせとやっても認められず、体調が悪くても要求は増していく。出来なければ罵倒、罵詈雑言。トドメのひと言を有り難く頂きました。配偶者の親の面倒まで見たのにである。完全に心が折れましたね。そして全ての権利を放棄し、要求しないさせないで決着。緑色の紙を役所に一人で出しに行った。

職場では、持ちうる技術と知識をフル稼働し、更にスキルアップで出来ることを増やしたが、上司に気に入られないとハラスメント、一つ失敗したらフォロー無しでハラスメント、それの繰り返してメンタル崩壊。病欠〜復職〜病欠〜退職〜転職。この年齢と職歴だから求められるモノはどんどんレベルアップしていく。幸い今の職場では居場所がある感じなので安定はしているが、生活はカツカツとなるのは世情的に仕方ないかと節約の毎日である。

現在の最終的なアクションのきっかけは実父と祖母の死であった。亡くなった者に対するありえない言動。その場では何も言わなかったが、耳を疑う言葉は聞きたくない言葉であった。父の死後、血縁者の体調不良が判明し、その同居介護フォローに4年近くを費やし、持ち直して元気になると、わがまま炸裂。相談していた血縁者も何も解決の緒(いとぐち)とはならなかった。そして1年半前に血縁者とも完全に距離をとった。連絡先は携帯番号、職場の所在のみと徹底した。連絡はありませんけどね。

現状で重い基礎疾患、高齢者と言うダブルファクターがある血縁者とは同居介護は難しい。自分が仕事や通勤途中で、いつキャリア(不顕性感染、無症状キャリア)となるかがわからないから。ワクチンと治療薬がない現状ではどちらにしろ介護は難しかったと言えるだろう。

すべての自分に関わる人を安心させたいし幸せになって欲しいと言うのが自分の根底にある考え方。だから基本的に私は怒りを表に出さないし、怒ると疲れるのでしたくない。

だけどね。

相手から突き放されたり、言葉の暴力を受けたり、聞きたくない言葉ってあると思う。自分の生き方考え方が全部正しいとは思っていないし、出来た人間でもないので納得して行きたいだけなんだ。その為には言葉でなく文字でも良いから意思の疎通が大事なんだと思う。仲介者を入れたって良い。キャッチボールは投げ返して初めて続けられるのだから。

色々安定した現在を自分の最後となる時期まで、ユックリと積み上げていければと思っている。

※毎回重めのエントリで自己嫌悪・・・orz。画像はみんなのギャラリーから戴きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?