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風をも世をも恨みまし

いづくにて風をも世をも恨みまし吉野の奥も花は散るなり

定家25歳。父・俊成と並ぶ和歌界の大御所・西行からのリクエストに応えて詠んだ一首。

なので、ちょっと西行についておさらいしておきます。1118年生れ、「遁世の歌人」「隠者文学の代表」なんていうタグが付けられることが多いです。実際、23歳で出家し、その後は、北は奥州平泉から南は筑紫まで、じつにいろんなところに旅をしています。しかし貧しい恰好で野宿しながら歩き続けた乞食坊主というのとは、全然イメージがちがうようです。むしろ彼の家は富豪で、旅が大好きな風流隠士と言うほうが近いようです。そうでなければ鎌倉で頼朝が会ってくれることはないでしょうし、平泉で藤原秀衡に歓迎されることもなかったでしょう。政治的ミッションもあったんじゃないかとすら想像してしまいます。

しかしともかく、かれは世捨て人であり、仏道に帰依する身でした。一方で、花を愛で、月を愉しむ詩人でもあったわけです。身は仏に、心は花に。これが西行のキー・ワードです。

吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき

吉野山で梢の桜を見た日以来、心は花の虜となってしまった。ほんとうはただひたすら仏道を歩むべき身なのに。(そはず=沿わず)

花に染む心のいかでか残りけむ捨て果ててきと思ふわが身に

人の世の心というものを完全に捨て去ってきたつもりだったこの身に、なんでまた、花に染まる心だけ、残っちゃったんだろう。

いかで我この世のほかの思ひいでに風をいとはで花をながめむ

どうすればいいか、我が来世の思い出に、一度でいいから風の心配をせずに桜を眺めたい。

そんだけ花が好きで好きでたまらない西行がプロデュースする歌集に、定家は冒頭の歌で応えたのでした。「吉野」は桜の名所であると同時に、隠遁者の聖地でもありました。いったいどこで風と世とを同時に恨んだらいいんでしょうねえ。世から離れるつもりで吉野の奥まで行っても、そこでも花は散るんですよ。

吉野の奥で花を咲かすんじゃなく、散らせてしまう定家の心憎さ。西行には最高のプレゼントだったんじゃないでしょうか。なお吉野の「奥」が世の奥、つまり仏土を示唆するとしたら、たとえあなたが成仏を遂げ、世から完全に離れた場所に到達したとしても、そこでもやっぱり花は散るのです。あきらめましょう、ということになります。

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西行については、風巻景次郎『中世の文学伝統』(岩波文庫)に拠りました。戦前に書かれた、二十世紀の古典と呼ぶべき中世和歌史です。


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