都会のクレーター
都会でも、星が見れる。
梅田から家に帰る時はチャリだ。毎日の帰り道は決まって公園を通り抜ける。ばばんと月のクレーターのように存在感がある公園。22時過ぎに公園を通り過ぎても賑やかな公園。夜遅くまでよさこい踊りを練習している学生たち。
毎日通ってるのにベンチが数が思い出せないんだけど、カップルが座ってる隣のベンチにホームレス、その隣で水分補給してるロードバイクの人。その目の前でスケボーを練習していてる若者たち。他にも、ビールを飲んでるサラリーマン。4、5人くらいで女子会してたり、この公園はまさしく混沌としてるカオス。
カオスなのに、しんとしてる。
あまりに静か。
わたしの耳がおかしいのかな。
雲が、星が、月が、空がじじじと地球と摩擦して流れていく音が聞こえてきそう。
あの光ってる星はまだ存在してるのかな。
そんなこと考えたところで目の前の現実には本当に無益だ。
現実をみて、数字を出さなきゃな。
今月残り何を成し遂げようか。
今、達成率何パーセントだったっけ。
何人にアポ取らなきゃいけないんだっけ。
無機質に感じてしまう。
ただ
数を追ってるだけ。
ぷつん。
目に映るものを見ているだけで、頭は全く違うこと考えている。よくある日常。
カオス公園を颯爽と通り抜けようといつも思ってる。とはいっても公園から見上げる夜空にぐっと感動しちゃって、つい足取りがワンツーワンツーゆるやかになる。
どこにいても1番身近に感じれる自然が空だもの。
学生の頃にした、ひとり旅がしたい。
学生の頃、インターンで身も心もボロボロなっていたときにふるき友達と会って。私のことを深く理解してくれる人がいることに喜びを感じていたのにね。
今は、どうしようもなく、ひとりになりたい。
目に見えるものも見えないものも、それぞれスピードは違うんだけど変わり続けていて、死んだ後も私の体の分子たちは他の新しい生き物を構築するために使われていくんだろうな。
昔は仲良くても今はびみょうとか。昔は悪かったけど、今は最高とか。残酷だけど、変わり続けるから救われることってあるよね。
悩み続けてごめん。
私のことを真剣におもって言ってくれているのを素直に受け取れない自分が醜い。
人に依存しすぎた。
自分で自分を満たしたい。
ぼっち。
ぼっちを楽しみたい時期到来。
埃が積もった勇気がうっすら。
雲に隠れた月がうっすら。
今日の月はお豆の形してて、かわいかった。
『もう、たくさんだわ。』
と思いながら、見上げても月はいつだってかわいいと思えるからまだセーフゾーンなんだ、きっと。
月明かりがすぅっと心に流れてくる。
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