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いい人なんて、いない。


2018年6月30日

今日、思ったこと。
いい人なんて、いないんだってこと。
悪いことなんて一切考えず、
常に良いことだけを考えている人なんて
この世には絶対にいない。


その昔。
私の人生は、自分の中の暗いところや、
ジメジメしているところが
重たく私の人生を覆っていた。

野暮ったい。

そう思っていた。
もっとスカーンと霧が晴れている人になりたい。

そう思いながらも、
『ポジティブに生きていこう』という言葉には
いつも違和感を感じていた。

なんだろう・・この感じ。
ポジティブな人達は、いつも穏やかに笑っていて、
いつも優しくて、親切だった。
でも、いつも違和感を感じていた。


若い頃は、この違和感を言葉にすることが
できなかった。


でも音楽で言葉にしていた。
私はただ、『切り捨てたくない』と歌っていた。
全部一緒に持っていきたいのだ(どこに行きたったんだろう?)
そう歌っていた。

行き着く先が、
穏やかな、緩やかな人生だったいい。
でも、
無理に穏やかな人生を演出する必要なんて、全くないのだと思う。
私たちは、言葉以外のものでも、会話をしている。
だから、
そんな演出は、すぐにわかってしまう。

私は、泣くことも、笑うことも好きだ。
穏やかな人生にも憧れるけれど、
私は最期に、穏やかな気持ちになれればいい。
それまでは、泣いたり笑ったり、時には怒ったり、
メソメソして女々しくなったりしてしまう、
そんな暗い私をちゃんと引き連れて、
『うん、なかなか良い人生だったぞ』と言いたい。

そして、そう言って旅立つには、
野暮ったい私も一緒に連れて行かないといけないんだ。


私が人としてすごいな、と思う人達は、
そういう自分の闇をちゃんと知ってる人達だ。
私は時々思う。
マザーテレサのように、
暖かい、深い心を持った人たちは、
どれくらい、深い闇を抱えていたのだろう。
きっと私には想像できないくらいの何かを抱えていたのではないだろうか。

優しさはきっと、その闇の深さと比例する。
だからこそ、人を愛せるのだろうと思う。

闇は、優しさを生む。


なーんて、
こんなこと言ってるけどね、
ただただ、私は
笑って最期を迎えたい、それだけなんだ。
そのために、
私は、泥臭く生きていくのです。




これは6年前に、私が書いた文章です。
全く公にせず、
こっそりと殴り書きのように書いていたこの頃と
今の私は、
何も変わっていないな、と思う。

生まれてきたからには、
人生を味わい切って生きていきたいのです。
なぜなら私は、
何回も何回もこの人生を求めて生まれてきたから。
自分の人生を自分で決めれる人生を。
時代や、風習や、宗教などに、関与されず
好きなものを、好きと言って良い人生。
私は、それを望んで生まれきたのだから。

でも、味わい切るには、
感情の中にとどまってはいけない。
味わい切るには、俯瞰してみる力が必要で、
自由には、心の筋トレが必要なんです。

私も、ただいま絶賛心の筋トレ中。
以前に比べて、
心の筋トレ仲間がいてくれることに
深く感謝をしながら、
今日も今日とて、生きています。

長い文章を
読んでいただきありがとうございました

あなたが
今日も幸せな一日を過ごせますように。
クスッと笑える日々を、
これからも過ごせますように。
愛を込めて🌿



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