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ユニリーバの判断はよりクリーンになっていく世界線の来訪を告げる...だろう、はずだ。

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
非常に大きく、勇ましい決断だといわざるを得ない。世界的な消費者ブランド企業のユニリーバが以下のような発表を04月に出し、界隈的にはざわつきを見せている。

ユニリーバは、子どもに対する責任あるマーケティングのための新しい世界原則に基づく一連のコミットメントの一環として、従来のメディアとソーシャルメディアの両方で16歳未満の子どもに対する食品・飲料のマーケティングを停止すると発表した。

16歳未満の食品のマーケティングを確実に行わないグローバルな取り組みを推進

Unilever、16歳未満の子どもへの食品・飲料マーケティングを停止

従来も13歳未満の子どもに向けてのマーケティング活動を自粛していたが、その対象年齢を引き上げる形になるわけだが、こうやって世界はドンドンと綺麗で清浄な世界になっていくのだろう。

そんなことを2022年01月に出したエントリーの内容を絡めて考えてみたい。

▶︎ 綺麗で清浄な世界の訪れは不可避

2022年01月に無菌状態を期待する社会の来訪と名づけたエントリーを書いた。

内容は、時代が進むに連れて当時は許されていたことも"いま”では不浄なものだと扱われ、批判されるといった旨の主張だ。

ぼくたちはどこかで「綺麗なものの裏には汚いものがある」や「綺麗な薔薇には棘がある」的な思考をしがちだ。「そうはいっても...実は〇〇なんでしょ」といった価値観とでもいうべきだろうか。

あまりにも綺麗すぎる世界観を見せつけられると、その裏にある「本当の世界」に思いを馳せがちだが、そんな昭和的な価値観は平成になると廃れ、令和の時代になると存在してはいけないような前提認識ができあがっている。

それはマスクや消毒によって病原菌や毒素を排除するような生活を前提としているように、ぼくたちの「認識」も綺麗で清浄、かつ真っ当なものであることが求められており、この世界線や認識が崩されるようなことは今後もない。

断言するが、再び昭和的な浮上で不潔で下品な世界線が堂々と脚光を浴びるような時代は訪れない。各種メディアからLGBTQを蔑視して笑いに変えるようなネタが消え、「多様性」のひと言に集約されて当然の権利を主張できる時代になってきた経緯を振り返っても、それ以前に戻ることなどあり得ないのである。

▷ ユニリーバの判断

冒頭で紹介した通り、ユニリーバは16歳未満の未成年に向けたアプローチをしない(マーケティングならびに広告を停止する)と明言した。

ユニリーバのコーポレートページを見てみると、自社の根幹メッセージである「子ども向けて責任を持って作られました」をさらに強く発信するために、購買における決裁権者である親や保護者に向けて提示していくことが本当の意味でのマーケティングであるとしている。

つまり、日常的にスナックやアイスクリームを口にする子どもたちに向けて栄養面から保護養育者を支援すると述べているのであり、大事にしているのは子どもを利用して商品を販売することではなく子どもたちのスナックやアイスに向けた興奮を保ちつつ、栄養価と安全性の高い製品を提供することであるという強いメッセージだ。

16歳未満の未成年のデータを収集、保存することもしなければ、16歳未満のインフルエンサーや有名人を起用した販促活動も行わないし、それらを対象とした広告やキャンペーン、さらにはインフルエンサーが該当年齢に向けて発信するコンテンツにも制限をかけるという。

そんなに強く言い切れるものか、とつい後ろずさってしまったが、イメージが湧かない人に向けてわかりやすい例を出すとするならば、マクドナルドが日曜日の朝に執拗なまでにハッピーセットの広告を出していることを止めるとすることを想定してほしい。

子どもたちに向けた広告宣伝をはじめとしたマーケティング活動を一切行わず、あくまでも保護養育者が「子どもたちに食べさせたい」と思える栄養価値を提供するのだ、としたら...そんな想像をしてみると今回のユニリーバが発したメッセージがどれだけ大きく強いものかを想定しやすいだろう。

▷ これからの世界線はそんなメッセージが当然となる

これに端を発し、ますます綺麗で清浄な世界を目指す事業者、ブランドは増えていくだろう。

冒頭でリンクを貼っているのはユニリーバの公式サイトとESG関連の情報を取り扱うWebメディアだ。
ESGとはE:Environment(環境)、S:Social(社会)、G:Governance(ガバナンス)の3つを重点的に取り組むかどうかが投資される際の評価指標となってきており、いわゆるSDG IndexもESGを達成すれば必然的に目標達成できるものであることからESGを指標化して取り組む企業が増えている。

企業が事業活動を行う上で資金は重要な推進力である。その資金を調達する上で金融機関からの貸付や投資を受けることが重要なのはいわずもがなだが、それらを受けるためにもESGに取り組んでいるのか、その達成度合いはどれほどなのかを重要視される。

これは今後起こることではなく、すでに起こっていることであり、無視できない状況だといえる。

このことから、企業が事業活動を行う上ではESGを意識した事業活動、ESGに取り組むことを前提にした事業活動を行なっているかどうかが前提となるため、必然的にユニリーバのようなメッセージを発することが前提となる世界線となる。

希望的な観測なのではない。既定路線であり、その方向にしか進みようがないのである。

▷ それだけではない世界線は虚構になっていく

そんな綺麗で清浄な世界線を目指して事業活動が行われるようになることは、どうも生きづらい堅苦しい世界のように思えるかもしれない。

それ以前の世界線で名をなした人たちからすると、あまりにも窮屈で退屈な世界線なのだろうが、それ以外の人たちからすると大した窮屈さも感じなければ退屈な思いを抱くこともない。

ただ、全てが綺麗で清浄な世界線だけに染まっていくのかをいえばそうではない。

鬼滅の刃などのコンテンツでは、それなりにえげつなくてグロいシーンも制作され、享受されるだけでなく評価までされている。

つまり、虚構であれば許容されるのだ。

これがどこまで拡張するのかは正直いってわからない。たとえば、ロシアとウクライナの間で起こっている戦争も「事実」として起こったことや起こっていることを目にする機会を奪われるべきではないが、それによって起こるリスクも検討されるべきではある。

それを虚構として片付けることはあってはならないし、そのような世界線にすることを希望することもない。

綺麗で清浄な世界線を目指す上でも、避けて通れないのがエログロみたいな不浄でどうしようもない世界線があることを受け入れる必要はある。

ただ、それを手助けしてくれるのが虚構であると認識しているのだが、逆をいえば虚構の世界ですら綺麗で清浄な世界を求め出したら、それこそ窮屈で退屈な世界になっていきそうなものだが、それもまた起こり得そうな気もしている。

どこまで行っても漂白された世界は綺麗に見えるが、人の欲望は一瞬にして黒く染め上げてしまうことを、ぼくたちは2022年02月からの他者の尊厳を踏み躙る行為を目の当たりにした。

じゃ、自分はどうしたいのか。どうありたいのか。そんなことを個々に考えていく他にないのだろう。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

ESGについて図解してみた
ESGについて全くわからない人はこれを読むというか見るだけで存分に理解が可能だろう。それほどにチャーリーさんの図解はこれだけに限らず、しっかりと理解をされているからこその図解が多い。ESGに限らず、他の図解も参照してく欲しい。

ダイバーシティは経営の中核に。ESG投資も後押し
多様性などはいわれるようになって久しいが、東証のガバナンスコードでも多様性の確保が求められるようになっている以上、あらゆる事業者で多様性を無視した人材の獲得や企業統治は不可能な時代になってきているのは間違いなさそうだ。

下落相場で輝くESG
バッヂをつけるような人を信用しないというよりもできない。それを誇示するような人は胡散臭いということがネット上で話題になっているため注意が必要だ。

SDGsバッジを着けて街を闊歩するだけの「見せかけのESG」や石炭や石油と聞くとアレルギー反応を示す環境活動家及びそれに与する投資家には辟易

▷ 紹介したい関連書籍

機関投資家がESG投資を最重要視する理由 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文
こういうことを考える際には論文等を読んだ方が手っ取り早いというか信頼のおける情報として取得できるためオススメだ。

▷ えんどうのTwitterアカウント

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