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顔面の口近辺に布を当てることを”したくてしてる”のか”人の目を気にしてるのか”(イーロンじゃない方のマスクについて)

どうも、ゑんどうです。

今回は、なんだか顔面の下着みたいな扱いになってきてるマスクのことを書きます。

以前にもどこかで書いたような気もするのですが、ぼくはどこに行こうが基本的には外しているのですが、それは何も無頼漢で無頓着だからってわけではなく、厚生労働省から発信されてるんだからってことで堂々と外してるってだけです。

正直、外を誰とも話さずに歩いてる人ですらマスクをしてる姿をみると違和感しかないのですが、頑なにマスクを外さずに行動をする人はマスクを着用することによって何を守りたいのか、何から守りたいのかってことを考えてみようと思います。

■ 守りたいこと「感染症を防ぐ」

大前提としては感染症への防御策としてマスクを着用しているのでしょうね。わかります。

花王が理化学研究所とともにスーパーコンピューター「富岳」を用いた研究によりマスクの有用性を説くレポートを出しており、たしかにマスクを着用することによってマスクは感染リスクを低減させるものであることは実証されています。

...が、結局は飛沫感染なので、どうしてもマスクの隙間からウィルスは入り込んできます。

インフルエンザ感染の予防についてマスクを着用していることによって感染が予防できるのかどうかを調査した研究では、感染者自身がマスクをしたところで同居家族の感染率は変わらないとされ、インフルエンザのように飛沫感染をする場合には着用が雑なら無意味だとする結果も出ています。

また、結核の際に利用されるN95マスクもインフルエンザの予防効果が他のマスクと大差がないことがわかっており、結論としてはゴーグルやガウン、手袋を着用することと感染エリアを避けるような動線を確保することが必要ってことになります。

オミクロン株のように感染性の高いものに関して言うと、50cmの距離で15分間の会話で感染リスクがほぼ100%だって調査結果が出てますから、感染率の高いものに関していうと物理的な距離が短く、かつ相応の時間を話すような場合には確実に感染するってことです。

最近はマスクをしているからか、ぼくが引きこもっているからかはわかりませんが、街中でマーキングをするかの如くクシャミや咳をして体液を撒き散らかしているオッサンを目にする機会が少なくなったのは街の景観を守るって意味でも有益なものでしょう。

まとめると、飛沫感染を防ぐために着用しているであろうマスクも根本的な感染対策にはならず、こまめな手洗いや他人の首から上を触らない、極論、誰とも接触しないことでしか防ぎようがないってことになります。

何より、根本的にマスクを着用することは「自分が感染をしないため」ではなく、「自分が誰かに伝染させないため」に着用する、ユニバーサルマスクって考えが根本なのに、いつの間にか自分が感染しないためにマスクを着用してるって考えてるんだろうなぁ…なんて思うと泣けてきます。

■ 守りたいこと「世間教の教え」

何度も貼りますが、厚生労働省は屋外での着用は原則不要で、距離が確保でき会話をほとんど行わない場合にはマスクを着用する必要がないことを発信しています。

この情報が届いてるのか届いてないのかはわかりませんが、マスクを着用する人の数が減っている印象はありません。先日、やっと一人の男性が堂々と外している様子を見たぐらいで、他の方々は全力でマスクをしています。

これは何なのかってことを考えると、世間教っていう宗教的の教えなのではないかと考えるに至りました。

世間体、周りの目、いわゆる同調圧力と呼ばれるものを我々はあまりにも気にしすぎていて、マスクをしていない人間は村八分にされてしまうのではないか。マスクをしていないなんて常識はずれな!なんて具合に厳しい視線を向けられ、いづらくなってしまうのではないかって気にしているのでしょう。

知らんがな。

世間体とやらを気にしたところで何かいいことがあるのかといえば、ただ窮屈なだけでしょう。

いや、わかります。わかりますよ。

他人を思いやることは大事でしょうが、必要以上に怖がり萎縮することは中世の魔女狩りと一緒で行きすぎた価値観から他人を(社会的に)抹殺してしまうことと何ら変わりないのではないかと思うのです。

本当に自分が他人に感染させてしまうことを考えてマスクを着用している人もいるでしょう。医療従事者の方々などは、プライベートでもそういった意識が高いであろうことは想像に難くありません。

しかし、自分を感染から守ろうとするマスクをしている人たちが守りたいのは一体何なのかといえば、世間教の教えなんだろうなとしか思えないのです。

世間から白い目で見られること、ひいては白い目で見られる自分が嫌だってことに着地するのでしょうが、そんなことをしたところで幸福になれるのかというと、なんだかそうでもないのではないでしょうかってことを声高にいたい所です。

■ 守りたいこと「特にない」

うん、これも多いでしょう。

本当にマスクの効果を見込んで周囲に感染をさせないようにしている人が1割。自分を感染から守りたいと思っている人が2割。世間教の教えを忠実に守ろうとする人が4割で、特に何にも考えずに着用している人が3割ってところではないでしょうか。

ただただ、周りがつけてるから着用してるだけであって、そこに大義も名分もありません。周りの目も特に気にならないのだけど、なんとなくマスクを着用してる人が多いから…って多数決に流されてマスクを着用するっていう無思考な人といえばいいでしょう。

GDPには貢献してるかもしれませんね。いや、おそらく同じマスクを何度も着用し、買い替えることもしていないはずだから大して貢献してませんね。
感染から自分を守りたいわけでもなければ、周りに感染させるかどうかもどうでもいい。世間体を気にするほどでもないのだけど、なんとなく着用する。

何なんでしょうね。やめればいいのに。

おわりに

こんな風に辛辣な書き方をしてると誰かから怒られそうなものですが、ワクチン接種も複数回(4回)行い、重症化リスクに備えているだけでなく、上記しているような研究結果を見るようにした結果、マスクを着用することをやめることを判断しただけで、それ以上でもそれ以下でもありません。

それを否定するのであれば、研究結果等に反証できるだけの研究をしていただく必要があると思いますが、そもそも他人の判断を間違っていると指摘できるだけの根拠を提示するのは決して楽でなはないでしょう。

何より、7割程度はいると思われる誰のためでもないマスク着用群に属す人たちは、判断材料を自分で得ていないから話すらできない気もしています。

なんだか言葉が荒れてきたのでやめますが、厚労省は屋外でのマスク着用は原則不要で、屋内でもすべての状況においてマスクが必要だとは書いてません。

もう、終わります!

ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo



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