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科研費とか学術変革領域が身近じゃなかったけど、情動情報学って新たな研究領域に関わることになった人間の雑言

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

この8月からこちらのお手伝いをさせていただくことになりまして。

ぼくのnoteを読んでくださる方ってのは基本的に暇や時間を持て余した貴族の方しかおりませんから、上記のぼくが記載した報告に対しての反応って…
「ん?情動?感情?へ〜…で?」

こういうものにしかならないと思うのです。

みなさん、何気なく生活をされていらっしゃるでしょうし、貴族だからこそ俗物じみた活動にしか興味がないと思う一方で、そんなみなさんだからこそ知ってもらいたいなぁ...なんて思いから書いております。

書いては行きますが、世界におけるバグの一つでありモブキャラを自認する人間の雑言ですから、正確なもの言いになっているのかどうかは怪しい部分があることを付け加えて保険とさせていただきます。

科研費とか学術変革領域とか

科研費ってのは科学研究費助成事業のことで、研究者が興味関心や問題意識に基づいて行う研究のためのお金のこと。そう文科省のページに記載してあります。

どんな研究内容も対象となるのですが、研究者が研究の意義を説明し、審査員が「よし、すすめましょう!」と認めた場合に科研費を使って研究をすすめることができる、とも記載されています。さらに「学術変革領域」ってなんだって話ですよね。

日本学術振興会のページには以下のように記載されてます。

学術変革領域研究(A・B)
学術研究では、研究者個々の自主性に基づき、独創性で多様性を確保することが重要ですが、あわせて、研究者相互のインタラクションに基づき、新たな学問領域を切り開いたり、若い研究者を育成していくことが重要です。このため、科研費では、「基盤研究」などにより個人型の研究をサポートするとともに、「学術変革領域研究(A・B)」において、新たな研究領域を設定して異分野連携や共同研究、人材育成等を図る大規模なグループ研究をサポートしています(令和元(2019)年度に創設)。

https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/39_transformative/index.html

ここで聞き慣れない「基礎研究」って語句が出てきましたね。

「基礎があるってことは応用もあるの?」

そう考えたあなた、すばらしい。

基礎研究とは自然やその他の現象をよく理解または予測するための科学的理論を向上させることを目的にした科学研究で、即興的な知識や製品から何よりも利益に直接的に結びつくことのない技術や理論を発見することを目的にされるものです。

反対に応用研究とは、基礎研究の成果を踏まえて具体的な技術や知識、製品へ結びつけていくための研究で、こちらは利益に直結させるための研究だといえます。

基礎研究は「地味な研究」だといえるかもしれません。いや、地味です。一般的な大衆は興味関心の抱きようがありません。ただ地味なようでいて、実は基礎研究がなければ応用もありません。

人が生まれてから走れるようになるまでには「前提条件」を整える必要があります。首が座ることからはじまり、寝返りやハイハイ、座位姿勢や保持。把握から引き寄せ、つかまり立ちから歩行…なんて具合に、走れるようになるまでにできるようにならなければならないことって沢山ありますが、それと一緒。

基礎研究といった前提条件が揃っていない限りは応用もクソもないのです。
何がいいたいか。

基礎研究、偉大ってことです

科学研究に興味を持つために

研究って聞くと夏休みの自由研究が思い出されますかね。いま考えると、あれって「科学研究」ってものに挑戦するかどうかの試金石みたいなものだったのかもしれないなって思ってます。

「炭酸で骨が溶ける」といった言説を耳にしていたぼくが、食べ終えた骨付き肉の骨をコーラの中につけて検証したこと。これも立派な自由研究ですよね。結果、炭酸が抜け、妙に鳥の出汁が利いた甘くて黒い液体が出来上がったのは強く記憶に残って…

でも、今でも我が家の子どもたちが夏休みの自由研究って触れているのを見ると、ある問題点や疑念を抱きます。

「そもそも、小学校で科学研究の意義について説明してくれるのか」

ぼくの記憶にないだけなのか、記憶から消去されているのならいいのですが、文部科学省は「基礎研究の重要性」を令和元年版科学技術白書内で第一節に持ってくるぐらいに力説しているのだから、もっと科学が身近なものとして認識されるような状態を構築してもらいたいものです。

科学ってのは100%の真実を生み出す万能薬みたいなものではありません。ここを勘違いしてはいけないのですが「科学的に正しい ≠ 真実である」なのです。反証の可能性がまったくない、絶対的な真なんてものは存在し得ないってのが科学的な見地なので、「絶対無二」な物言いをしている場合は科学じゃないってことです。

常に誤りを修正し続ける活動、それが科学研究であり科学的な態度やものの見方ってことになるんでしょうね。確かめてみること、そこでわかった性質や特性についてまとめること。さらに他の観点から別の確度で再確認すること。

上記したぼくの「炭酸水で骨が溶けるのか」って議題も、他の視点を取り入れるべきでしたが、ぼくにはそれを検証しようと思えるほどの知識や見識もなく、まわりにそれを示唆してくれる大人もいませんでした。

仮に、そこでさらなる検証を重ねていったとしたら、ぼくは偉大な科学者となる一歩を踏み出せていたのかもしれません。

…ごめんなさい。

情動情報学で目指すこと

たまたまご縁があって関わることになった情動情報学は基礎研究です。

ヒトってのはホメオスタシス、恒常性と呼ばれる外部環境の変化によって対内の内部環境を一定に保とうとする機能があり、情動ってのは怒りや恐れ、喜びや悲しみなど比較的急速に引き起こされる一時的な感情の動きで、それもホメオスタシスの一部であることがわかっています。

この情動を脳の機能的な活動に合わせて、心理学や言語学、経済学や美学などの見地から「それぞれの活動の中でみられる情動」を明らかにしていくことと目指しつつ、「適切な情動へのアプローチ」や「それぞれの学問における情動的な側面から見たモデル形成」を試みようってものです。

モデル形成って、カッコよくいってますが要約すると難しい理論や研究成果を図式化したり簡易的かつ具体的に説明するものっていえばいいでしょうか。間違ってたら指摘してください。

中に入ってみて学術領域ってのは尊いものだなぁ…とかのんびりと考えているのですが、同時にぼく自身も改めて論文なり英文なりに触れていくようなことをしないとダメなのかもしれないっていう焦りみたいなものも感じています。

なんていうか、書籍を読み耽るのと同じ様に学術領域で論文等に触れていくのって人生を豊かにしてくれるような気がしているのです。いや、間違ってるかもしれませんよ。そういう気がするって話ですからね。

細かいことはいいとして、この情動情報学って領域はいろいろな学問と手を取って共同研究していくことができるものだし、共同研究していってこそ、母数のデータが大きくなればなるほどにぼくたち市井の人々が生活しやすくなることに貢献してくれる可能性があるんじゃないかなって。

ちょっとでも興味を持ってくれた方は情動情報学が目指す目的を読んでもらいつつ、YouTubeでキックオフシンポジウムの様子が視聴できるので御覧ください。ぼくは参加している先生方がワクワクしている様子に思わずニンマリしてしまいました

本領域の研究活動を端緒とし、心理学・言語学・経済学・美学の枠を超えた融合領域である「情動情報学」の創成を目指していくのが本研究領域の目的となります。

https://jodo-joho.com/

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そんなわけで、こんなことに関わらせていただくことになりましたことの簡単なご報告でした。

ではでは。

ゑんどう

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