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会社も組織だけど家族も組織だよな、と

どうも、(おはよう!こんにちは!こんばんは!おやすみなさい!)えんどうです。

組織論の本を読み漁っていた時期がある。

「意識高い系になり切れない系」であることは今でこそ自覚しているものの、その当時はそんな愚かな認識どころか、そんなことを考える余地すらなかった。つまりは余裕がなかったのだろう。

本は読めば読むだけ自分の(まったくもって意味不明だが)レベルが上がると真剣に思っていた。「なろう系」よろしく、異世界転生物ではあるまいしステータス画面もでないのだから確認のしようもないのに、だ。まったくもって情けない。

まぁ、そうは言っても大した読書家でもないから大した冊数を読んだわけでもない。しかし、少なくとも10冊は読んだ。いま、本棚をザッとみてみたが、処分した書籍もあるからいい加減な記憶を辿って冊数をカウントしているが、15冊は読んだはずだ。間違いない。たぶん。

組織論の中でもオススメが「失敗の本質」

中でもオススメは「失敗の本質ー日本軍の組織論的研究(中公文庫)」。

太平洋戦争で大敗を喫した日本だが、その負けた要因は何だったのかを研究者たちが考え執筆したのが本書。副題に「日本軍の組織論的研究」とあるが、あくまでも組織としての原因・本質的な要因を追う形で進められる。

世にも名高い「真珠湾攻撃」から半年間、日本軍はマレー沖、ジャワ沖での圧勝やフィリピンの制圧など、軍事的にかなり有意な戦いをすることができていた。GHQで葉巻を口に加えている写真で有名なマッカーサーをオーストラリアまで退避させるほどだったというのだから、その勢いは止められなかったのだろう。

しかし、1942年5月の珊瑚海海戦で戦略的な失敗を起こしたことから敗戦に次ぐ敗戦を重ねることになる。

「失敗の本質」内で触れているのは、日本軍の戦略的な稚拙さ、杜撰さ。つまりは組織的な問題だ。そもそも日本軍は戦いの目的が不明瞭であり、常に臨機応変な戦い方を強いられてきた。臨機応変は言葉をよくしたもので、悪くいえば行き当たりばったりな戦闘を繰り返していたと言える。

また、戦略的な目的を二つ持つ「二重性」を平気で指示したりする軍上層部の無能さが露呈し始め、勝ててるよかった時にはまったく見えなかった戦争そのものへの意義にはじまり、軍上層部への不信感が生まれる。

結局、「目的をハッキリさせて戦いに臨む相手」アメリカ軍からコテンパンにやられることになる。

そもそもが前提条件として資源が豊富ではない島国日本は長期戦では戦えない、戦い切れないことを認識していたからこそ短期決戦で攻撃に懸ける他なく、各個の戦闘経験から得られたことを検証・分析をせずに戦い続けた。

それに合わせて不規則さや偶然など突飛な出来事や物事を忌み嫌う性質も加わり、臨機応変さこそが売りだったのにも関わらず硬直性の高いという何とも矛盾した組織として仕上がっていく。

環境の変化にはまったく対応できずに戦いを重ねる日本軍に対し、米軍は日本の戦略や戦術を分析・検証を繰り返し、徐々に化けの皮を剥ぎはじめ、次々と日本軍の戦略や戦術を看破することになる。

その後のことは言うまでもない。日本は根本的に負けるべくして負けたのだ。

それ、どこで活かされてるのか

他にも日本軍の情けない姿をありありと想像できるため、失敗の本質は本当にオススメしている。カタカナ好きな人たちは「ティール」だとかって言い始めるのかもしれないが、本質的に日本人の気質や性質を踏まえた上での失敗談から学びを得ることの方が良いのではないかとぼくなんかは思う。

では、失敗の本質をはじめとした組織論の書籍を読み漁った結果、何に活かされたのか。

上で「学び」だとか書いているから「大層な収穫があったんだろう」と思われるかもしれないが、組織論の書籍を読むことで身につけた些細な教養は会社組織の運営に活かされているのかというと、活かされていない。正確にいうと、ぼくは自分で組織を抱えていないために活かす機会に恵まれているとはいえない。

組織の一員であることは暦が長くなってきたが、自らの下に大勢の人生を抱えるような事態にはなっていない。ただ、傾向みたいなものを捉えるようにはなった。それとなく組織に属す中で、組織の中にもいくつかの組織があり、そこでうごめく人間模様にずいぶんと冷ややかにみるようになった。悪い意味ではない。客観視するようになったのだ。

しかし、これは個人的な趣味嗜好の範囲でしか消化されていない。なぜなら上でも触れている通り、根本的に「自分は組織論を語るだけの組織を抱えていない」と考えていたし、これからもないだろう。

あ、家族だ

そこでよく考えてみると、二人一組でも組織だ。

経営学で有名なChester Irving Barnardチェスター・バーナードは組織を協働の体系(システム)として捉えており、以下のように述べている。

意識的に調整された、二人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステム(Barnard, The functions of the executive, Cambridge,1938)

つまり、人が協働し形作ろうとする行為を行うものを指して「組織」というわけだ。

そこで思ったのだ。ぼくには家族がいるではないか、と。

この失敗の本質をはじめとした組織論の書籍を読むことによって身につけた知識や知見を家族運営に活かせれば良いのだ。そうに違いない。

そこで妻さんにこう言ってみた。

「ねぇ、家族ってさ、組織だよね」

ワクワクした。そうだ、我々は共に家族の繁栄を目指す同士であり、言ってみれば上層部だ。我々の意志決定が子どもたちの行動や思考、そこから規範や規則にまで及ぶ。かなり重要な役割を担っているのだ。子どもたちの未来は我々にかかっていると言っても過言ではない。そう考えたぼくは颯爽と走るが如く、非常に晴れやかな顔で彼女からの応答を待った。

どうやら聞こえていなかったらしいので、繰り返し問うた。

「ねぇ、家族ってさ、組...」

「それどころじゃねえ!!!!!!!」

彼女は声を荒げて返してきた。

朝の慌ただしい時間帯にその問いを投げたからだろうか。それとも、彼女の虫のいどころが悪かっただけなのだろうか。少なくとも、これは失敗である。組織運営を行う上での失敗だ。意思疎通がしっかりと図れなかった。

このことはしっかりと認識のうえで分析し、次に活かさなければならない。

失敗から学ぶのだ。


では、この辺で。

えんどう

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