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有料で嗜むオンラインサロンと無料で嗜めるYoutube

最近になって、圧倒的なテキスト量で勝負したり、中に入ることによって体験的な価値を提供する有料オンラインサロンと、言い方が悪いんだけど、テキストが読めない、これまでTVで可処分時間を潰していた人たちのために無料で動画を提供するYoutubeで熾烈で激烈な集客争いが本格化してますね。

これ、別にWebに詳しい人でなくても、空き時間にYoutubeを利用している人たちは、なんとなくの理解できているんじゃないでしょうか。

少なくとも、ぼくは超絶ウェブの世界を理解しているわけではありませんが、利用しているユーザーの一人としては、3年前のホーム画面と現時点でのホーム画面に並ぶ一覧表示に対して、あまりの変貌ぶりに感嘆としている一人です。

今回は、割と素人目線ながら、どちらのサービスからも楽しみを享受してきた身として、また、Webの世界で仕事をしている身としての考察・意見を書いてみます。あくまでも、個人的な意見であり感想レベルなので、それほど期待しないでください。

2014年頃から一気に脚光を浴び始めたオンラインサロン

YoutubeがYoutuberと呼ばれる配信者を増やし始め、動画配信のプラットフォームとして日本で本格化し始めるのと時を同じくし、台頭してきたのがオンラインサロンです。

2014年頃からは、明らかにYoutuberが増え始めましたが、ネット上で課金して閉じられた空間の中で情報を取得することと、その得た情報を基にして行動する参加者が「サロン主的な活動」を企画し、実際に走らせるところまでを体験できるオンラインサロンも群雄割拠の時代へ突入し始めた頃です。

当時のオンラインサロンは、まだまだこれからという雰囲気があったものの、個人が情報を検索して無料で取得できるネット上の情報に対して、キュレーションや個人の意見を載せることで有料課金モデルを成功させていたホリエモンこと堀江貴文さんは、オタキングこと岡田斗司夫さんが掲げていた評価経済を体現するかの如く、オンラインサロンを開き、瞬く間に会員数を伸ばして行きました。

オンラインサロンは、前段となる有料メールマガジンを受信している人たち、つまりは情報に対して貪欲で感度が高い人たちに対して、満足がいくクオリティの情報を出せるのであれば、相互的に有益なものになっていました。

そこからサロンメンバーによるリアルな体験型イベントを提供できるサロンも存在するようになっています。

ただ、メールマガジンよりも明らかに金額が高くなるため、値段の壁を超えることが求められるわけですが、それは参加者をスクリーニングし(篩(ふるい)にかけ)ているわけで、それだけ情報に対して能動的で、行動的である人でなければ、その金額に対しての「損した気持ち」になってしまうのです。

それでも入会者がドンドンと増えるサロン界。、提供する情報を間違えると、とんでもない失敗をすることになります。特に、それは芸能人のようなタレントと呼ばれる人たちに失敗しているケースが多いのが印象的です。

ROM専を相手にできない人はサロンをできない

オンラインサロンを主宰する人たちで、失敗をしてしまう人たちに共通するのは、ROM専の人、つまりは読むだけの人を相手にできないことです。

「自分は何もしないけど能動的な人、集まって」とか「何もしない人は、むしろ入ることは損になるから」みたいな足切りをしている、一見すると冷たく見える人たちはビジネス文脈に乗りさえすれば、うまくいきます。

なぜなら、彼らは無料で素材を提供してきた人たちではなく、自らがリスクを背負って行動を起こした人たちであり、もとを辿れば芸能人などで消費された人たつではないから。

ここを、いわゆる芸能人と呼ばれる人たちの中で勘違いをしている人たちは、大ゴケをしてしまいます。

そもそも民放TVに出ている人たちは、無料で自分たちが消費されていることを認識することからスタートしなければならないのですが、それを踏まえずに高額のサロン(月額5,000円以上、ものによっては3,000円でも高額の部類に入ります)を開こうとするのは明らかに愚作。

なぜなら、無料で時間つぶしに見ていたテレビの中で、いくら面白いと思われていたとしてもそれは受動的な情報を受け取っている人たちに対してウケているだけだ、という自覚がないのです。

さらにいえば、能動的に情報を取得しにくる層がオンラインサロンに流れてくるとはいえ、その中でも行動を起こし、さらに続けられる人となれば、さらに限られてきます。

そんな現実に対して、全てが能動的な人が集まってくるのだという勘違いを起こし、大した情報提供もできないようだと、息切れどころかまったく集客のできないダメサロンが立ち上がってしまうことになります。

それまでTVを見ていた人たちがどこに流出しているのかといえば、Youtubeをはじめとした動画視聴なわけで、人々は暇な時間の潰し方、つまりは可処分時間の処理をどこでするのかを、常に模索しています。

無料で見れていたTVからYoutubeに流れてただけ

誰の手元にも小型の高性能なPCがあり、インフラストラクチャーとしてのネットも特に遅延することなく、動画を視聴するにも何も気にならない状態を享受しているわけで、その中でTVを見ようとするのかといえば、あえて見ようとする人たちが少なくなっていると言われて久しいわけです。

どういうことかといえば、「無料で見れるTVに出てた人たち」をTVで見ていた人たちが、見る対象を「Youtuber」に変えただけだからなんですね。

【LINEリサーチ】テレビ視聴実態調査(2019年3月)|LINE_for_Business

いわゆる芸人さんたちのやっていることは、いま起こっている事柄のごくごく一般的な話を、「盛って話をするだけ」だと捉えたら、Youtuberの人たちが取り組んでいる「いま」を切り取って、編集して「おもしろいっぽく」流すことと何ら変わりはないのです。

先にも触れましたが、暇な時間を潰すために「視聴する時間」ですから、役に立つこととかどうでもいいんです。

お腹が空いた時に腹を満たしてくれるような食べ物にありつければいいように、精神的な飢餓ともいえる状態を満たしてくれる内容であれば、TVだろうがYoutubeだろうが関係ないんです。

それはつまり、Youtubeが存分に赤い海になってきている事を示唆するわけで、あまりにも強者の集いになってきている事実を浮き彫りにします。

真っ赤っかになっているYoutube

無料で視聴ができるYoutubeは、暇つぶしのために芸人や芸能人の所作をTVを見ていた人たちがYoutubeに流れているだけであり、根本的な構造は何も変わっていません。

言い方を悪くすれば、消費される対象が変わった、というだけで、消費する側は何も変わっていません。

オンラインサロンへ加入するために訪問する人たちは、有料の壁を乗り越えてくる人たちですが、それでもROM専が生まれます。これは仕方ありません。誰もが能動的になれるわけではないのです。

そして、オンラインサロンでうまくいっている人たちは、そのROM専の人たちに対してもきちんとコンテンツを提供するし、できるのです。

毎日長文の文章を投稿したり、サロン内限定の対談への参加や、その動画を視聴できる権利を付与するなど、それなりに汗をかき、頭を捻りながら、それを苦に感じずに出し続けることができる人が、サロン主として、それなりの人数を集客することができるわけですね。

これからYoutubeは、ますます激戦の一途を辿るものと思われます。

TVを見ていた人たちがYoutubeに流れたのと同じように、現在、Youtubeでどうにか編集して「いま」を切り出している人たちは、もう1、2年後には取って変わられる対象になってしまうのかもしれません。

しかも、その場にはTVでの活躍の場を求めていた芸能人たちも参入してきている状態ですから、まさに血で血を洗う状態なわけで、あまりにも殺伐とした光景になっています。

果たして、オンラインサロンはどうかといえば、「有料」の壁を敷いている分、そこで丁寧なコンテンツを提供できるようになれば、それなりにやっていけるようになるのだと思います。

テキストコンテンツの文脈かどうか

あくまてもオンラインサロンは、メールマガジンの延長です。根底には、テキストコンテンツを出せる人でなければ成立しないであろう、とぼくは考えていますし、ネット上だけでなく、リアルな場での行動と成果を出せる人だからこそ、その人の生み出すコンテンツを読みたいと思える層が集まるのであって、そこはYoutubeとは異なる世界観があるわけです。

そして、今後、Youtubeは消費されるコンテンツホルダーたちでごっちゃごちゃになっていきますが、その中でもメールマガジンの文脈を持った内容であれば、生き残っていくのだろうと思っています。

何かといえば、普遍的な内容です。数年後に見たとしても、「なるほどね」と思える内容であること。これが条件です。

たとえば、20代の若い世代の人たちは知らないでしょうが、昔、日曜洋画劇場では映画のオープニングとエンディングに映画好きな人が話をしてから映画を見る、という流れがありました。

淀川さんは本当に洋画が好きなのであろうことは、動画をご覧になれば一目瞭然なのですが、語っている内容は普遍的なものです。個人の感想ではありますが、映画を観たことがある/ ない関係なく、惹きつけるだけの「熱」があり、普遍性があります。

あまりにも「いま」に特化しすぎると、この普遍性は出せません。

普遍性を出すためには、何かしらのテーマを与えられてしゃべり続けられることが必要条件なのです。

そう考えると、メールマガジンのような課金されながらも、能動的な情報取得を求める人たちが、テキストコンテンツを求めたような文脈。それが条件だともいえます。

今後、Youtubeは何度も書いていますが、激烈で熾烈な場所になるでしょうが、その中で生き残っていく動画は、何かに対して永遠と語るような熱があって普遍性のある内容だ、というのがぼくの予想です。そして、案外、間違っていないと思います。

有益な情報は、有料という壁の先にあるのだとしたら、少し寂しい気持ちになるかもしれませんが、無料で繰り広げられる戦いに加担したくないのなら、避けるための保険だと思う他にないのかもしれません。

ずいぶんと長くなってしまいましたが、ひとまず、ここまでにしましょう。

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