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年齢が上だからとか下だからってのは関係なく

##なに書いた
年長者を敬うべきだというのであれば、年少者も敬うべきなのではないでしょうか、と。年齢を重ねているから偉いわけではないですし、大事にすべきなのは相手を尊重することだろうな、と思ったところから。あと、孔子の身長は高かったらしいですよ。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

たとえば、生まれたばかりの新生児に敬語を使えますか?

使う必要があるかないかでいえばないのだろうとは思います。三名の子供と生活をしているボクでも、彼らが新生児の頃に使っていたのかといえば使ってはいませんでした。

冒頭の質問文を読み返してみてもらえると「使えますか?」と聞いています。あくまでも、敬語を使うような態度を取る用意や姿勢を持てますか?と聞いているのであって、「使ってましたか?」と過去を確認しているわけでもなければ「使うべきですよ?」と促すこともしていません。

話しかける相手が新生児なので、そもそもこちらがどんな態度で話していたのかなんて、数年後に覚えているわけではありません。覚えているわけではないのだから、敬語で話かけたかどうかなんて、正直にいえばどうでもいい話だろうとは思います。

ただ、このテキストを読める人は、それなりに年齢を重ねていて、学校で国語を学んだからこそ字が読めている方々なのだと推察してます。つまり、新生児よりは明らかに年上の人たちしかいないことを前提にしています。当然のように思われたかもしれませんが、そうです、当然です。何の捻りもありません。

字が読める人たちに極論じみた質問を投げかけてた意図としては、おそらく「新生児に敬語を使えるか」なんて質問に「できるできる」と答えられる人は、自分よりも年齢が低い人に対して敬語を使うことを何とも思わない人だろうと述べたいがためです。

逆に、そんなの使ってられるか!と、必要のないことであると遇(あし)らう人は、いわゆる年齢マウントをとってしまいがちな人なのではないかなぁ、とボクは思ってしまうのですよ。

孔子の身長は高かった

年長者を敬う、なんて考え方は儒教の教えだとされたりします。

儒教は孔子(中国で「論語」を残した偉い人)の教えを体系化したものだと言われていますが、約束事や形式を重視し、物事や人間関係には上下関係があるもので、それを尊重することを求める教えだと。

ちなみに、本当にどうでもいい話なのですが、孔子は身長が高かったそうです。弟子の一人だった荘子「外物篇」の中で記していて。身長は9尺6寸もあったそうで、これを春秋時代の1尺=22.5cmとして計算した場合、216cmもあったことになるそうです。ほんとかよ、と思ってしまうのですが、身長が高かったからこそ、3000名もいたとされる弟子たちから注目を集められたのかもしれませんね。

...すいません。

上下関係でいうと、イスラム教は厳格な教えがあると周知されていると思いますが、イスラム教の発端は砂漠であることが大きな理由だとされています。砂漠は道を間違えてしまえば確実に死に直結してしまう環境ですから、明確な先導者を立てて上下関係を築き、先導者の述べることを絶対として生き残ることを目指したところが起源だとされてます。

砂漠でリーダーが述べたことを守らずに行動するような人間がいたら、チームメンバーが二十名ほどいたとして、二十名が全滅の危機に瀕するわけです。厳しい砂漠の環境で生まれた教えだからこそ、原理主義の過激派と呼ばれる人たちの行動も理解できるところではあります。(だからと言って模倣するわけではありませんよ。あくまでも理解できると述べているだけです。)

話を身長、ではなく年長者を敬うってところに戻します。孔子の身長が高かったってことに引っ張られてしまってます。すいません。

会社組織で偉くなるのは年齢が上だからじゃない

会社組織が考えてみます。

組織図的に上下関係があるのは、組織貢献度と忠誠心の高い人間が上役に任命されるからであって、年長者だからではありません。組織貢献度と忠誠心が高かった結果、社歴が長くなった人が年齢も重ねていることはあるだろうと思いますが、年長者だから組織図の上に行けるなんてことはないわけです。

年長者だから敬われるべきだと主張するのであれば、年少者にだって同じように敬うべきだろうとボクは思うのですよ。

5年や10年早く生まれたから偉いわけでも何でもないわけで、言ってしまえば30年だろうが40年、50年と先に生まれたからといっても偉いわけでも何でもありません。生きた年数が長いという事実はあるかもしれませんが、その事実が他人の上下関係を決めるわけでも、優劣を分ける指標になるわけでもありません。

小学校の1年生からみた35歳のおじさんであるボクは随分と大きく見えるでしょうが、10年も経てば小学1年生は高校生です。それなりに身長が高くなっているでしょうから、45歳になったおじさんであるボクをみて、たいした大きさでないことに気づけてしまいます。

つまり、年齢によって差があるのは小さい子どもたちからみた大人との身長さぐらいなもので、他の経験値などは下手したら子どもたちの方が豊かで深さがあるものなのかもしれませんし、着眼点も魂を重力に縛られた老人たちの凝り固まった視点からは見出せないような素晴らしいものだって持っている可能性があります。

それは存分に敬うべき対象だ、とボクは思うのです。

だって、いつ、年少者の人たちが偉くなるかなんてわからないじゃないですか。だったら、きちんと人格を保有する「ひと」として尊重し、敬うように接することこそ、大人だったらすべきだろうと考えたところから書きました。

それでは、また!

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