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この器とこのSoulで生きてゆく

私には鎖骨が無い。それは自覚していた。なんというか、首から胸にかけての凹凸がなく、ストンとしているのだ。

そして、私に無いのは鎖骨だけではなかった。つい先日、あまりの肩こりで娘に肩を揉んでもらうと、肩甲骨剥がしがいいらしいよと言うので、それならば、その肩甲骨剥がしとやらを試してみてはくれませぬか、と頼んでみた。しばし、私の背中を娘の手が行き来する。

そしてこう言った。

「ママ、肩甲骨が無いよ」

そうだったのか。私には鎖骨だけでなく、肩甲骨も無かったのか。肘を曲げ、後ろに下げてみる。これで少しは探り安くなったはずだ。だが娘はやはり「肩甲骨が無い、肩甲骨が無い」と背中上部を手探りするのだ。ややしばらく様々な探りを試みたが、とうとう見つからず、肩甲骨を剥がすという技のなんたるかはわからぬままになってしまった。

肩はキチンと凝っていて、その存在をアピールする。鎖骨や肩甲骨も肩を見習い、その存在をアピールしてくれたらよいのだけれど。なんて謙虚な鎖骨と肩甲骨なんだろう。

まぁ、この「無い」という表現はいささか乱暴ではある。埋もれていて、見当たらない。それが正しい。無いわけではなく、きちんと存在はしているのだろう、たぶん。

そろそろ春なので、出てきてみませんか?と年明けから声を掛けているが、さっぱり出てきてはくれない。出てきてくれたら、もっともっと埋もれている謙虚な美貌も顔を出してくれそうなのに。

このまま私の器は形を変えること無く、私のSoulを抱えて生きて行くのかしら。それならそれで、抗うことなく、この器のまま行こう。

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