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noteをやってみる

しばらくnoteの中に溢れている記事を流し目で読み漁ってみた。

多くのユーザーが、それぞれの思う事を、考えを、物語を、科学的知見を、「真実」を紡いでいる。他人に読まれることを前提に、読んだ人が分かりやすいようにという配慮まで加えて、それぞれの「真実」を紡いでいると、こう感じた。

中学2年の時になおてぃから借りたMGS2の中でAIの大佐が言っていた言葉が、頭の中で響いてきた。

「現代のデジタル社会では、日々のあらゆる情報が蓄積され、些細な情報がそのままの形で保存されている。
あらゆる情報が濾過されず、保存されて、後世に伝えられる。
噛み合わないのにぶつからない『真実』の数々。誰も否定されないが故に誰も正しくない。
ここでは淘汰も起こらない。世界は『真実』で飽和する。」

noteって、まさにこの通りやないの。

AIの大佐曰く、それが世界を終わらせるという。緩やかに。
MGS2のストーリーでは、AIが世界の情報統制をする目的は、この「世界の崩壊」を食い止め、人間のあらゆる感情をAIの管理下におく事にあるらしい。大佐は、「遺伝子と同じく、必要のない情報、記憶は淘汰されてこそ種の進化を促進する。我々AIが、人間達がひり出す糞の山から価値のある真実を選び取り、残すべき意味を紡いでやる」と言った。

話は脱線したけど、noteってまさに「真実」の飽和ってのが起きてる気がする。

数えきれない程の記事がユーザーを取り囲んで、ご丁寧にも、その中から気に入った記事に「スキ」してマークできる機能まで備えてある。
都合のいい真実に取り囲まれて、お互いにあるかもわからない傷を舐め合いながら自己肯定感を満たしていくツール。

小島秀夫監督がMGS2をリリースしたのが2002年だった事を考えると、すげぇなぁこの人って、なる。

まぁだからって、「で?」っていう。

いいじゃない。
都合のいい真実で。
みんななんか自作で読み物創ってて楽しそう。
俺もやりたくなっちゃった。

俺も俺の思う事綴っちゃお。
病んでる訳では無い。
こんなん好きなだけ。

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