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かっこいいものに自分はなりたい

 前回のnoteに書いたのだが、自分は小学生の頃からお笑いが好きだ。

 本気で芸人になりたかった。中学生くらいのパソコンの授業で自由時間があった時にはNSCを調べて「自分は高校を卒業したら入るんだ…!」と夢を膨らませていた。
そして、中学の時の職場体験ではテレビ局に行きたいと先生に言ったが「二人(自分ともう一人)だけでは見学できない」と局側に断られた。結局、ラジオ局とローカルのテレビ局に行ったのはいい思い出だ。
 この当時は特に千原Jr.が大好きだった。小説も買って「にけつッ!!」は毎週録画して「ケータイ大喜利」も欠かさず見ていた。「すべらない話」がある日はワクワクして見ていた。それに影響されてか、自分もすべらない話をノートに忘れないように書こう!としたが一3日でやめてしまった。

 高校は勉強が嫌いすぎて、名前さえ書けば入れるといわれているようなバカ高校に入学した。
高校時代は思い出したくない記憶しかないので、結果だけ言うとNSCには入学していない。お笑い以外にも興味を持ったというのと、バイトもしていない貧乏学生+田舎学生だったので入れるわけもなかった。
 その当時お笑いを見ていた記憶もほとんどない。

 高校卒業後、働くのが嫌で大学に進学した。そこも決して頭が良い大学ではなかった。大学でもお笑い以外色んなものに興味を持った。
 しかし、大学2年の年末のM-1で和牛にはまった。そこから、お笑い熱がまた急上昇した。自分も、あんな漫才がしたい!面白芸人になりたい!と盲目状態になっていた。どうしても、芸人になりたいが自分一人では何もできない。そう思っていた時、何を思ったか2chで相方を探し始めた。
 これを話すと長くなるので端折ると同い年くらいの相方が見つかった。連絡を取り合い8時間も電話をするほど気が合った、一度だけ会ってネタ合わせのようなものをしたが人見知りの自分にはそれが苦痛だった。連絡を取り合っていたとはいえ、初めて会う人と漫才なんかできるわけがなかった。
それからは、相手がずっと焦って「早くM-1に出て結果を出さないと!そうしないと家を継がないといけなくなる」とだんだん訳の分からないメンヘラのようになってきだした。それが嫌になって自分からもうやめるといって辞めた。ほんの数か月のコンビだった。
 その後、働きたくなかったので就活はまともにしなかった。だが、吉本の会社説明会には行った。しかし、履歴書の提出が大阪の本社まで行かなくてはならずそれが面倒で行かなかった。

 大学を卒業した現在はフリーターをしている。正直、今でもなれるのであれば芸人になりたい。だが、芸人になりたいと思っていてもどうしてもなれない。それは、

「自分は面白くない」

圧倒的にこれに尽きる。ゆるぎない真実である。まだこれ以外にも理由としては、「超が付くほどのネガティブ」「人見知りが激しい」「勇気がない」「めんどくさがりのクズ」等々である。一緒にお笑いをしてくれるような友人でもいたら、これだけの理由があっても芸人になっていたのかもしれないが、残念ながら自分には友達がいなかった。
 多分、自分は一生"芸人になりたい"と思ってお笑い番組を見る。羨ましいな、妬ましいなと思いながらチケットを買って劇場に行く。何もしなかった自分に後悔しながら芸人を応援し続ける。一生後悔はし続けるだろうが、それと同時に一生お笑いは好きだと思う。


 こんなめんどくさいことを書いたが、熱しやすく冷めやすい自分のことだからきっとすぐこんなことは忘れて、何も考えずにお笑いを見て爆笑していると思う。

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