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第20回③ 柴田 綾子先生 世界を旅した産婦人科医。情報発信で医療を超えた女性支援を

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 産婦人科医として臨床の場に出ながら、性感染症やリプロダクティブ・ライツなど産婦人科の知識の発信活動をしている柴田綾子先生。医療を超えた日本の女性支援に日々立ち向かう原動力を伺った。

柴田 綾子 先生
世界遺産を中心にバックパッカーで世界15カ国ほど旅した中で母子保健に関心を持ち、産婦人科医となる。沖縄で2年間研修し、2013年より大阪で産婦人科として診療中。女性の健康に関する情報発信やセミナーを中心に活動。フェムテックやAIを上手く活用して女性の健康支援をしたいと考えている。主な著書に「ウィメンズヘルスケア マスト&ミニマム」「女性診療エッセンス100」

バックパッカーを経て医学部再受験
海外で見た女性の医療課題

 名古屋大学情報文化学部を卒業後、再受験し、群馬大学医学部に編入という異色のキャリアを持つ柴田先生。名古屋大学の学生時代に、世界遺産が好きでインドやカンボジアなどの発展途上国をバックパッカーで巡っていたという。

 各国を回る中で、避妊が十分でないために多産で貧困になっている現状を目の当たりにし、「女性を支援する職業に就きたい、そのためのスキルを身につけたい」と思い、医学部に編入することとなった。

 一見遠回りである経歴だが、再受験のおかげで見ることができた風景がある。
 「情報文化学部時代に海外で見てきたことなど、全てが今の自分のキャリアにつながっています。」

 医学部に入学する前、いろいろなことを見てきたことで、医療だけの視野がいかに狭いかを感じているという。

 「医療者って、どうしても医療の中にとどまりがちですが、社会から見ると、医療は本当に小さいものの中の一つです。それ以外にも大きな世界はあって、この世界に踏み出すと、また別の形で社会の役に立つことができると思います。」

 医師だったら医療行為をすることで社会の役に立つと思いがちだが、医療行為以外にも、医療情報の提供をすることで社会の役に立つことができると感じていると語る。

 しかしそんな柴田先生は、「医学部生時代は落ちこぼれで、臨床と結びついていない日本の医学の勉強が面白くないと感じてしまっていました。」と語る。専門分野を深く学習する日本の医学教育について、医師として働く今はその重要性を感じるが、学生の時はわからなかったという。

 そんな中、必修である実習を休んでインドネシアに行っていると、留年してしまった。海外に関心を持っていた柴田先生は、これをきっかけに米国医師国家試験(USMLE)の勉強を始め、そこで米国の医学の勉強が臨床につながっていることに面白さを感じた。

 米国の医療を学んでいるうちに、子どもから大人まで幅広く診る家庭医の存在を知り、魅力を感じたという。海外で働くビジョンから外れたため、実際に米国で勤務はしていないが、柴田先生にとって米国医師国家試験の勉強は人生に大いなる影響を与えている。

 また、学生実習の時に見たお産もキャリアに影響を与えている。
 「お腹の中から赤ちゃんが出てくるんだ、医学として奇跡的だなと感動したんです。」

 米国など海外だと家庭医もお産をとっているが、日本だと限られている。家庭医は面白くて魅力的だけど、自分が本当にやりたいのは「女性の大きなライフイベント」である出産だった。これを安全に管理できる知識やスキルを身につけたいと思い、産婦人科に進むことを決意した。

海外で見た光景に「自分が甘かった」

 卒業後、初期研修をしている際に、小児外科医の吉岡秀人先生が立ち上げた国際医療NGOのジャパンハートで、1週間カンボジアに行ったという柴田先生。カンボジアでは医療の現場に衝撃を受けたという。

 日本の医療においては、手術室が綺麗で、水も物品も何不自由なくある。一方、カンボジアでは手術器具が不足しており、日本で期限切れが近くなった手術糸を持ってきて使っているという状況で、医療資源の不十分さを感じたという。

 また、患者さんも遠くから自分で来て手術の順番を並んで待っており、奇跡的に恵まれた人だけが手術を受けられる過酷な現状を見た。

 「発展途上国の支援はすごく覚悟がいるし、自分がちょっと行っただけじゃほとんど何も変わらないと思いました。本当にその人たちと何十年と暮らしていくくらいの意気込みがないとダメで、自己満足だな、自分が甘かったなと感じたのです。それだったら、日本で働いて経済的な支援をしたほうが、自分は役に立てると思いました。」

 また研修医として働く中で、日本の女性の課題を感じたという。
 「それまでは、発展途上国の人はかわいそう、日本は恵まれている、と思っていました。しかし、患者さんと接する中で、10代の妊娠、子宮頸がんの啓発の不十分さ、多産の問題、DV、赤ちゃんの虐待など、自分がやらないといけないと思うことが日本にもたくさんあると気づいたんです。それだったら自分は日本で活動したほうがより役に立てると思いました。」

 カンボジアでの体験がきっかけで、柴田先生は日本の女性の課題解決に貢献していくこととなる。

SNSでより多くの人へ医学知識を発信

 女性の健康に関する情報発信やセミナーを中心に活動されている柴田先生。産婦人科医として診療をしている中で、患者さんの医学知識の差に課題を感じていた。

 柴田先生自身も、学生の頃、産婦人科を勉強した時には全然わからないと思ったという。これでは一般の患者さんからすれば、「医師が何を言っているか全然わからない」という一方通行な診療になりがちなのも無理はない。

 「医師と患者さんは、本来フラットな関係であるべきで、医師が勝手に治療方針を決めたり、押し付けたりするのは良くないと思っています。」

 患者さんに治療のいろいろな選択肢をお話しし、正しい情報を伝えるようにしているというが、日々の診療は忙しいので、時には丁寧にできないこともある。そこで、SNSを活用して一般的な女性の健康など、皆に知ってほしいことを噛み砕いて伝え、なるべく多くの人に理解してもらうべく活動しているという。

「自分は平凡な人間」
他の人がやっていないポジションを

 自分自身が重ねてきたキャリアを振り返って、その軸として「ナンバーワンよりオンリーワン」を大切にしていると柴田先生は語る。自分しかできないこと、自分だからできることは何かを突き詰めるようにしているという。

 「自分は、手術がすごく上手くできるとか頭がとてもいいとかはない、平凡な人間です。だからこそ、他の人がやっていないけど社会的にニーズがあることを探して、そこのポジションでやろうと思っています。」

 他の人が既にやっていて、上手くいっているところ自分が行ってもしょうがない。だからこそ、「自分がオンリーワンになれるスペース」を探すことが柴田先生の戦略でもある。

病院に来ていない女性にも情報を

最後に、柴田先生の今後の目標を伺った。

 「日本の女性が抱える課題はたくさんある中で、病院に来ている女性だけを医療者として診察しているだけでは、情報が届かない人が多いと思うんです。今健康と思っている方や、自分は関係ないと思っている方にもご自身の生活を健康に過ごせたり、やりたいことをもっとできたりするような、医療を超えた支援活動をしていきたいです。」

 女性を治療する医療者だけでなく、女性をサポートする支援者、それが目指す姿だ。
 医療だけで解決できない課題に向き合う柴田先生の力強さを感じた。

取材・文:西村美祈(熊本大学医学科3年)

本記事は、「m3.comの新コンテンツ、医療従事者の経験・スキルをシェアするメンバーズメディア」にて連載の記事を転載しております。 医療職の方は、こちらからも是非ご覧ください。


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