見出し画像

第17回① 川島 恵美先生 高校時代の夢。産業医のキャリアで経験した3つの転換点とは

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

大学受験時に、「産業医になりたい」と考え産業医科大学に入学された川島恵美先生。現在は公衆衛生の大学院で学びながら、複数の企業での産業医・コンサルティングを通じて、ライフワークである「働く女性の健康支援」に取り組む。これまで3つのターニングポイントがあったという川島先生に、キャリアへの想いについて伺った。

川島 恵美先生
2010年産業医科大学卒業。初期研修終了後、働く女性の健康支援に興味を持ち、滋賀医科大学産科学婦人科学講座にて後期研修。その後、産業医科大学産業医実務研修センターで産業医専門のトレーニングを行い、複数の企業で産業医として従事。現在は、滋賀医科大学NCD疫学センターで公衆衛生学を学びながら複数の企業での産業医を継続し、企業に対して女性従業員の健康を支援するコンサルティングも行っている。著書:『産業医はじめの一歩』羊土社 (2019)


いまだ支えとなっている高校の恩師の言葉

 「産業医になりたい」

 そう考え始めたのは、高校3年生の時。医学部受験を視野に入れ始めたころに初めて産業医という仕事を知り、「元気な人が健康でいられるための支援をしたい」と思い、迷わず産業医を目指すことを決意した。

 晴れて産業医科大学に入学し、卒業後は産業医コースを選択。これまで複数の企業にて産業医として従事し、企業の健康経営などにも携わってきた。現在は、子育てをしながら、博士課程にて公衆衛生学を学んでいる。

 そんな川島先生をドライブしているのは、高校時代の恩師の言葉だという。

 「俺は、お前が医師になってほしいと思う。医学部に入学できたことに不安があるのであれば、大学で一生懸命勉強すればいい。」

 推薦で産業医科大学に合格した川島先生には、どこか「産業医科大学に拾ってもらった」という感覚が大きかったという。産業医になりたいという思いから勉強を続けていたものの、いざ合格してみると想像以上に不安が大きくなった。

 「大学入学時、自分が医師を目指すスタートラインにやっと立てた時に感じたコンプレックスと、その時恩師からいただいた言葉が、20年近く経った今でも強烈に残っています。」と川島先生は振り返る。

 「だからこそ、いつまで経っても、自分に満足することはないと思います。自分は医師として本当に人の役に立てているのか、と考えることもあります。自分に足りないものがあるのであれば、勉強したらいい。これからもずっとそう思い続けるでしょう。」

 大学入学時に感じたコンプレックスと、恩師からの言葉が、川島先生を前に進めてきたという。

最初のターニングポイント
産婦人科医への思いの揺らぎ……

 最初の大きなターニングポイントは、初期臨床研修の時だ。大学入学時から産業医になりたいと考えていた川島先生であるが、その思いが揺らいだこともあったという。

 「産婦人科医のローテーションが、あまりにも面白かったんです。」

 女性の身体の回復力に衝撃を受け、もっと産婦人科領域を勉強したいと考えるようになった。しかし、当時の産業医科大学の卒業生は、卒業時に臨床医コースと産業医コースのいずれかを選択する。既に川島先生は、産業医コースを選択し、産業医の医局に籍を持っていた。

 そこで、産業医科大学で所属していた教室の教授に、産婦人科の臨床医の道にも興味があると正直に相談した。

 「働く女性の支援をしている人はまだあまりいない。これから働く女性は増えていき、ますます需要は大きくなると思う。産婦人科医の視点を持ちながら、働く女性を支援することをスペシャリティにしてみるのはどうか。」

 教授の助言を受け、産業医を専門としながら、サブスペシャリティとして、働く女性の健康を学ぶことを決めた。この決断が、後の川島先生のライフワークへとつながる。働く女性の健康のために自分ができることは何かを考えながら、滋賀医科大学産科学婦人科学講座にて後期研修を受けた。

 しかし、研修期間を終えて、いざ産業医科大学へ戻ると、先輩の先生から衝撃的な言葉をもらった。

 「まずは産業医としての土台を作ったほうがよい。働く女性の健康とはいうものの、企業の中で働く女性は5割もいない。さらに、その多くが非正規社員。そして、妊娠や出産に関わる年代の女性はその中でも少数。企業は長時間労働やメンタルヘルスなど、ターゲットの人数が多いテーマのほうを重要視している。」

 意気揚々と大学に戻ったものの、この言葉を突き付けられた川島先生は「とても悔しかった。」という。「産業医の専門医を取るまでは、働く女性の健康というテーマは頭の片隅に置き、産業医としての土台を固めよう」と悔しさをばねに、前へ進んだ。産業医の専門医取得に向けた勉強・研修を生活の中心とし、課外活動として産婦人科の医師のコミュニティに参加し、勉強を重ねた。

2つ目のターニングポイント
「働く女性の健康支援」が注目される

 晴れて産業衛生専門医を取得し、花王やカネボウにて産業医に従事した。初期研修修了時から目標としていたテーマである「働く女性の健康支援」には、いつか取り組むことのできる日が来るだろうと考えていたという。

 川島先生が入社して2~3年経過したころ、二つ目のターニングポイントが訪れた。偶然にも会社で健康支援を行う対象になる女性の数が増え、女性社員の健康に注目が集まった。健康保険組合の負担に占める婦人科疾患の影響にとどまらず、月経や更年期障害など生命を脅かさないものの、就労への影響がある疾患も含めた女性の生涯の健康を守る機運が高まったのだ。

 川島先生が「働く女性の健康支援がしたい」と周囲に伝えていたこともあり、その先頭を切ることとなる。その後はさまざまな企業と連携しながら、良好事例を少しずつ積み重ねてきた。これまで全く関心のなかった他の産業医からも、働く女性の健康支援の手法を聞かれることもあり、社会全体の課題感に応じて、川島先生の仕事も進んでいった。

3つ目のターニングポイント
錯覚していた自分への気づき

 ライフワークとして取り組みたいと考えていた働く女性の健康支援が軌道に乗ってきた。今思い返すと、キャリアの3つ目のターニングポイントがその頃にあったという。

 社会の機運の高まりに応じて、働く女性の健康支援を先導して取り組んできた川島先生に、取材や企業での講演を依頼される機会が次第に増えていった。しかし、産業医の業界では、就労女性健康研究会というグループが以前から、働く女性の健康に取り組んできていたのだ。

 「自分が取り組んでいることが、全くの新しいことであると錯覚してしまう時期もありました。しかし、実はそうではない。これまで就労女性健康研究会の先生方など先人の活動があるからこそ、今社会で受け入れられているのだということを思い出しました。」

 当時の心境を、こう振り返る。一人では、何もできない。以前から同じテーマに取り組む先生方と協力することの必要性を実感した。

 さらに、産婦人科のバックグラウンドを持ちながら、産業医である川島先生と同様の活動をする医師が増えてきた。
 「働く女性の健康支援は産婦人科医でも取り組むことができる。産婦人科のサブスペシャリティを持つ産業医という自分のアイデンティティが揺らぐように感じた」という。

 「確かに、社会のムーブメントを起こす火付け役になることはできた。しかし、自分でなくてもいいのではないか。」

 葛藤を抱える中で、医師で社会起業家であるY先生からの助言が、川島先生のキャリアの道しるべとなる。

 「今だけを見て決めないほうがよい。1年後、10年後の未来を想像してほしい。自分が立ちたかった場所に、違う先生が登壇していたらどう思うか。自分がいたかった場所に他の人がいて悔しいと思うのであれば、それはまだ未練がある証拠。まだできる可能性はある。」

 Y先生のこの言葉は、川島先生を勇気づけた。他の医師がテレビ番組や雑誌などで女性の健康支援について語っていても、あまり悔しいとは思わない。しかし産業医の集まる学会で他の医師が語っていたら、悔しいと思う。

 「働く女性の健康というテーマで研究するにあたって、統計やエビデンスに基づいて議論する力が足りない」と気づいた。現在は、子育てと仕事を両立しながら、公衆衛生大学院に進学し、公衆衛生学の手法も用いて、働く女性の健康について議論・発信ができるように勉強を進めている。

その時々の経験と出会いは
全てつながっている

 「公衆衛生大学院修了後は、産業医として活動しながら、働く女性の健康に関する論文執筆も進めていきたい。」

 と将来の展望を語る川島先生。

 「キャリアの中で、いろいろな人に出会ってきた。先生方のおっしゃることが数年後にやっと理解できるようになることもあります。いろいろな人との出会いと自分の感覚を大事にしてきたからこそ、今の自分があると思います。」

 高校時代に決めた産業医という夢に向かって、いくつかの分岐点がありながらも、現在は「働く女性の健康支援」をライフワークとしてご活躍されている川島先生。

 「キャリアの中での一つひとつの経験と出会いが、後から振り返ると全部つながっている。その時々で最善の選択をしていけば、キャリアも大きく変わってくると思います。」

 インタビューの最後をこう締めくくる川島先生の言葉に、大きく勇気づけられた。

取材・文:伊庭 知里(慶應義塾大学医学部4年)

本記事は、「m3.comの新コンテンツ、医療従事者の経験・スキルをシェアするメンバーズメディア」にて連載の記事を転載しております。 医療職の方は、こちらからも是非ご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?