肺がん発覚の時

やはりこのことに触れないと。診断の時。あんまり思い出したくはないけど。忘れもしない、2020年11月12日夕方。


現在勤務している病院から、大学病院に転籍になる予定で、転籍先からの依頼で健康診断を受けた。健診は、2018年は受けていたが、2019年は忙しさを言い訳に、受けていなかった。


胸部X線検査撮影直後、ベテランの放射線技師さんが

「あれ?」と声をあげた。そして見たら、右中葉に大きな陰影。そのまま放射線科医師が確認。

「あれ、この陰影、2018年もあるなあ、でもこんなに大きくなっていると、炎症性の疾患でも無いし、腫瘍としか判断できないよ。」2018年の読影結果では、”結節?”の三文字。。。今となれば、肺がん初期診断を見逃していることになる。

慌てて造影CT撮影となり、そのまま精査に移行した。このスピード感、さすが勤務先と思うも、心臓はバクバク、顔は引きつっていたと思う。あんまり思い出せない。


検査が終わり、「専門の先生に連絡してあるから、2階外来に移動してください。」指示に沿って向かうと、既に呼吸器内科のJ先生が画像を見ている。


「これ、肺がんです。おそらく腺がんでしょう。もう、直ちにブロンコ(気管支鏡検査)しましょう。明日?明後日? 手術も来週にはできるか聞いてみます。」

「いや、胸水が溜まり、同じ側の肺、反対の肺にも小さい陰影があります。ということは、stage 4です。手術はできないので、薬物療法にしましょう。」


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俺はもうすぐ死んじゃうんだ。妻は、子供は、どうしたらしいの???


人生最大の衝撃は、淡々と訪れる。人前では意外に冷静に対応はできたけど、帰宅の運転中独りになると、心の動揺は半端なく、必死で安全を保った。


帰宅後妻に「話がある。実は、肺がんstage 4が見つかった。」

「そんな気がしていた。」妻の返事。確かに、2020年初旬から、咳が少し出て、それが続いていた。感染症内科医に軽く相談したら、「風邪のあと、咳が止まらないことがありますよ。」そう言われた。それにすがって、現実を見ないように、知らないように過ごしてきた自分がいた。


大学生の息子二人にも伝えた。彼らは冷静に聞いてくれた。もしかしたら、後で泣いていたかもしれない。僕は沢山泣いた。もう、堪えられない。家族と別れたくない。家族をおいて死ねない。もちろん、がんとの闘病は、医師として関わることもあった。今は緩和ケアが充実しているが、予測のたたない闘いは、怖さがなくは、無い。


その日から、長男の携帯電話の待ち受け画面が、僕と長男の写真になったと聞いた。彼が中学時代、ラグビー部の主将で、勝利した時、二人で握手を交わした瞬間の写真。弱小ラグビー部の主将として奮闘し、念願の勝利だった。プロのカメラマンがそれを撮影してくれていた。


翌々日、気管支鏡検査で入院することになった。

これから人生の全ての予定が変わっていく。転籍も、勤務方法も。その連絡を慌てて行う。感情が文章を揺さぶり、ちゃんと書けない。手が震えて、”肺がん stage 4が見つかりました”と携帯電話で書くたびに、心が制御できなくなる。


あー、思い出すだけで、泣けてくる。

でも、まだ、僕は生きている。


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