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昨今の映画音楽業界は僕が思っている以上にトロンボーンのことが嫌いなのかもしれない

中学でトロンボーンを初めてはや19年も経ってしまいました。僕はアマチュアとしては珍しく“希望して”トロンボーンパートに所属したタイプで、周りのトロンボーン吹きに話を聞くと“トランペット希望者が多かったから譲った”とか“なんでもいいって言ってたら”みたいなパターンが多いらしい。
12歳の当時トロンボーンを希望した理由は元々アマチュアで吹奏楽をやっている両親の影響と、その両親がリビングでかけていた米米クラブのライブレーザーディスクに映る「びっくほーんずびー」とやらがカッコよかったから。

とにかく見た目に派手なこの楽器に興味を持ったが、音楽的には寧ろ地味な役割が多い(それこそが魅力的な)楽器であることは後々知っていくことになる。

見た目は知っていたが音をよく知らないわけで、それからはあらゆる音源の中からトロンボーンの存在を探し出す訓練が始まる。
トロンボーンかと思ったらホルンでした、トロンボーンかと思ったらテナーサックスでした、トロンボーンかと思ったら3rdトランペットでした、ホルンかと思ったらリンドベルイでした⋯

中低音をバリバリ吹いてる時こそ唯一無二の存在感を放つのだが、柔らかなハーモニーやバッキングの内声に入れば途端にサウンドが混ざり合うトロンボーンという楽器について、その存在を耳で理解する事が難しく、その困難さを理解することにすら時間がかかった。

そうしていくうちに、オタクとしての原体験とトロンボーンへの関心が結びつき「サウンドトラック集め」という趣味に目覚めていく。特にトロンボーンを始めてから改めて聴き直した『STAR WARS』は衝撃的なサウンドだった。

ファンファーレの内声、ハーモニーを構成しながらのリズム打ち、そして時に来るオブリガート。
トロンボーンの全てがここに詰まっていると確信せずにはいられなかった。

無論クラシックにおけるトロンボーンの用法について学ぶ事も大切ではあるが、「現代におけるトロンボーンの用法について知ることが、トロンボーンへの理解の近道ではないか?」と中学生ながらに考えた僕は、TSUTAYAに行ってはガンダムのサントラを借り、BLOOD+が完結してはサントラを買い、修学旅行でCATSシアターに行ってはサントラを買い、様々な作曲家とその膨大な量の作品達と出会っていくことになる。
そうした出会いの末、ジョン・ウィリアムズ先生、田中公平先生、菅野よう子先生、この御三方を神と崇める限界中学生が爆誕した。

何故ここはトランペットとユニゾンなのか、何故こっちはユニゾンじゃないのか、
何故そのオブリガートはホルンで、こっちのオブリはトロンボーンに書いたのか、

この頃の発見と感動が、今でもトロンボーンを続けている原動力になっている。

ハンス・ジマー化現象

これは、人見知りの僕が唯一出会った、僕以上にサントラ集めをしている方が数年前にツイートした現象だ。

ハンス・ジマー、現代映画音楽にとって多大な影響を与えた人物だ。僕の原体験の一部にも間違いなくこの曲が息づいている。

重厚なストリングス、それ以上に重厚なプレッシャーを掻き立てるブラスセクション、太鼓・バスドラム・タムといったあらゆる“大太鼓”を詰め込んだ重厚なパーカッション、重厚とはまさに彼のためにある言葉ではないだろうか。

彼の手にかかれば007すらこうなる。

恐らく、映画館の大型化(シネコンの増加)によってより大きい音響設備が設置されるようになり、巨大スピーカーの得意分野=爆音の重低音が活かせることが、テレビでは味わえない“映画館体験”に一役買っているのだろう。さながらラジオとビートルズの技術的関係のように。

そしてそれはYoutube時代、スマホ時代、ストリーミング時代と変遷するにつれ、明確な“映画館体験”を提供して顧客を取り戻す必要がある映画業界とマッチングし、ハンスジマーサウンドを真似た重厚なサウンドトラックが量産されている。
ほら、ここから⋯

IMAXシアターで観るよりも遥かに迫力が足りない。スマホやイヤホンの小さなスピーカーでは再生できない低音域をカットしているのだろう。

こうしたサウンドは映画だけでなくあらゆる劇伴に普及していく。技術的側面だけでなく、その音楽性が流行しているいうことだろうか。

この手の重厚なサウンドの一翼を担うローブラスセクションには、ホルン・トロンボーン・チューバといった馴染みある楽器だけでなく、コントラバストロンボーンやチンバッソなども使われるらしい。
トロンボーンの低音なのか、バストロンボーンなのか、はたまたチンバッソなのか、ベルにマイク突っ込んで割り散らかしたチューバなのかを耳で判別するのは正直難しい。誰かコツを教えて欲しい。それか世界中全てのサントラは収録風景を公開して欲しい。

低音バリバリ専用楽器 トロンボーン

無礼千万な物言いになってしまう事を深く自戒しながらも、本題のdisに入っていく。
こうした「“ハンス・ジマー的サウンド”を真似たサウンド」が流行しているがそのクオリティは様々で、特にトロンボーンの扱いについて着目し、その繊細さを欠く模倣品の流行を憂いている。
つまり、「低音割ってるだけのトロンボーン」「爆音大太鼓」「エモい高音ホルン」「それ以外のメロディは全部ストリングスのみ」といった構成のサウンドトラックが流行してしまうのだ。

ただ一つ注意されたいのは”そのサウンドだけが流行ってしまう“という事。MAD動画で有名なくだりを終えて、1:59~のシーンをじっくりと聴いて欲しい。続きを聴いたことがないという人も多いのではないだろうか。ストリングスのアンサンブル的な絡み合いとウッドウインドの煌めき、殺人兵器としてのガンダムと人の心の光への願いを込められたユニコーンとの対比が一曲の中で巡っていく名曲なのである。

それを認めた上であえて言いたい。
何故、柔らかな心の温かさを表現するのにトロンボーンを使っていただけないですか。
殺戮、武力、憎悪、生存本能と闘争本能の析出がトロンボーンだと、そう言いたいのですか。
原始的構造が現存していることこそが、ヒトの原始的欲求そのものであると、ヒトは理性をして初めて嘘をつく生き物だと、そう言いたいのですか⋯

人の声と帯域が被る楽器、神の声トロンボーン

技術的な問題があることは認めざるを得ない。古来から神の声と呼ばれたトロンボーンは、人の声と帯域が近い。
そのためサウンドトラックを制作する上で、役者の声と被りやすい帯域を避ける必要があるのだろう。

となれば、音色的にも聴きやすく人の声よりも高い帯域を持つストリングスがメロディーを取り、巨大スピーカーを掻き鳴らし空気を揺らすが人の声よりも低い帯域を持つ低音金管楽器・打楽器で場面を盛り上げる。この構成には理由がある。

楽曲としての充足感のために内声にトロンボーンを使ってる場合ではないし、それが必要だとしてもホルンが担えばそれで良い。
自ずとトロンボーンは淘汰されていく。

では更にテレビやスマホで視聴されることが想定された作品なら⋯
同じ帯域をギターやシンセが埋めてしまったら⋯

ありがとう菅野祐悟先生、ありがとう藤原功次郎先生

『ジョジョ』『コナン』ドラマや邦画等、最近あらゆるところで仕事をしている作曲家、菅野祐悟先生。そしてその多くの仕事でクレジットされているトロンボーンの世界的名手藤原功次郎先生。

“ハンス・ジマー的“な迫力あるサウンド手法も抑えながら、多くの種類の楽器を採用して多様な色彩感を見せる。”ストリングス“としてだけではなくソロ楽器として弦楽器が登場したり、管楽器がテュッティサウンドに色付けをして見せたり、一方でギターやシンセの電子楽器も登場する。
またそれらのケレン味を絶妙にコントロールして見せる手腕。時に自然に混ざり合い、時にドヤ顔で登場するソロ。

ここまで語ってこのソロが藤原功次郎さんじゃなかったら恥ずかしすぎる。

おしり

トロンボーンが好きでユニコーンが嫌いなだけの限界オタクの戯言にお付き合いいただきありがとうございました。
このまま時代が進むとどんどんトロンボーンという楽器は低音割るだけの楽器として時代の隅に追いやられてしまう気がしてなりません。
ポップスのホーンセクションから追い出され、サウンドトラック界ではチンバッソに取って代わられたら⋯
管楽器界のシーラカンスことトロンボーンは遂に現代社会から淘汰され、古典の再演のみに呼び出される管楽器として進化を閉じることになってしまうのでしょうか。


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