HI - EVOLUTIONとは何だったのか
公開初日のレイトショーで観てきました『EUREKA/EUREKA SEVEN HI -EVOLUTION』
中盤で涙腺が決壊。自分は随分おっさんになってしまった。
#エウレカセブンで検索する限り賛否真っ二つの本作品。パンフの京田監督インタビューを読み込む前にファーストインプレッションを吐き出しておきたい。
ネタバレ注意です。
世界観考察
あくまで個人的な考察です。
:マルチバースの発生
『交響詩篇エウレカセブン』(以後TV版と呼称)の最終回にてレントンとエウレカはスカブコーラルと人類の共存を模索するために、所謂マルチバースを生成する。そのマルチバースの一例が『ポケットの中は虹でいっぱい』や『エウレカセブンAO』。後にこれらの模索は『ハイエボ 1』に内包される事となる。(漫画版も内包された。)
なお、『ポケ虹』『AO』『漫画版』全てにおいてエウレカとレントンは離れ離れになる。(離れ方は様々だが。)
:記憶リセット
各キャラクターはマルチバース間で記憶を共有しないことが示されている。『ハイエボ1』『ハイエボ2』にてエウレカ及びデューイだけがマルチバース間で記憶を共有できることが示されたが、『TV版』とは共有されていない。レントンについては謎。
:共通人格
環境によってキャラクターの立ち振る舞いが大きく変わってしまうという事が『ポケ虹』で示されている。
しかしながら人格は一貫している。環境が悪ければ悪人にもなるし、環境が良ければ自ずと良い人間になる、という多面性が『ポケ虹』の本懐。各キャラクターにはそれぞれ信念が設定されており、とりわけレントン・ドミニク・アネモネは記憶の如何に拘らず明確な信念を持つ。
『ハイエボ3』におけるホランドの役割がこの設定を伝える事であり、『TV版』と違ってリフボードもTB−303も持たない彼が出来ることは本当に少ないのだが、今出来ることの全てを以ってホランドという役割を全うする。
⋯ところでハップどこ行った?
:スカブコーラルが作ったエウレカ、EUREKAが作るスカブコーラル
『TV版』においてエウレカはスカブコーラルに生み出された人型コーラリアンであり、本作『ハイエボ3』のようなスカブコーラルを作り出す能力は無かった。
これは『TV版』最終回においてエウレカにスカブコーラルの未来を託されたことから主従関係がひっくり返ったのではないかと推測する。
:エウレカ基準の時系列
年代が錯綜するため、光速度一定の法則に倣ってエウレカを基準に時系列をまとめると、
エウレカ、スカブコーラルによって生成(TV版本編前)
→レントン一目惚れ、いい感じに(TV版本編)
→エウレカ&レントン、スカブコーラルと人類の共存の可能性を模索する為、スカブコーラルと共にマルチバースに旅立つ。これまでの記憶を失った?(TV版最終回)
→全てのマルチバースでレントンを好きになり、その後に離れ離れになる事を知る(ハイエボ1(ポケ虹・AO・漫画版を内包))
→自暴自棄になった所をアネモネに励まされ現実世界で生きる事を決意、マルチバース統合(ハイエボ2)
→ハイエボ3へ
この様に各作品間のリンクを解釈している。
ポイントは最終回以降のエウレカをあらゆる角度から成長させたいというシリーズであるという事。もしくはその様に纏まるよう『ハイエボ3』が完結させたとも言える。
本題
『TV版』はレントンがエウレカを射止める物語。環境がレントンを成長させ、エウレカが段々と心を開く。最終回、ニルバーシュという白馬に乗ったレントンが眠り姫となったエウレカを射止めるハッピーエンド。名作!大好き!
⋯この誰もが認める最強最終回において、明確に足りていないものがある。だからこそ放映終了後15年間も手を替え品を替え続編が作られてきた。(もしくは続き作れって言われて絞り出したテーマがあまりに大きく、京田監督を必要以上に苦しめてしまったのかもしれない。)
悲劇のお姫様
最終回においてエウレカはレントンの助けを待つキャラクターとして描かれてしまった。
そのために“助けを待つ悲劇のお姫様”という人格が、全てのマルチバースにおいて共有されるエウレカの人格になってしまう。そしてこの人格がレントンを殺していることにエウレカは気づけない。
『ハイエボ2』から10年、精神的にもある程度自立しているし大人にもなっている。仕事に対する責任感もあるし、社会的自覚もある
⋯様でいて責任と贖罪を履き違えるところがエウレカの根幹であり、その性格は『TV版』から一貫している。
アネモネ、2度の激励
『ハイエボ2』でエウレカに未来を提案したアネモネ。しかしそれでは言葉が足りなかったらしい。
アネモネにとって未来や希望は掴み取るものである。と“バレエ・メカニック”が言っている。ドミニクはアネモネを掴み取り、アネモネがドミニクを掴み取った。だから48話が最終回だし『ポケ虹』でも『ハイエボ2』でも2人は互いを支え合って生きている。
エウレカにとって未来は与えられるものだ。スカブコーラルから生を受け、アドロックやホランドから与えられたミッションをこなしてきた彼女にとって、その累積たる過去、レントンという過去、そしてその贖罪だけが人生である。彼女は自分で希望を叶える事ができない。その力があっても。
この常識感のすれ違いを修正するため、アネモネはエウレカをもう一度叱責した。そしてエウレカは本シリーズ通して初めて未来のため、アイリスのために行動する。
ねだるな勝ち取れさすれば与えられん
この言葉をエウレカが手にするまで15年もかかってしまったのだ。
『HI - EVOLUTION』とは、
「ヒーローとヒロインが支え合って生きる」というテーマを、仰々しくなく等身大に描く作品である。
石破ラブラブ天驚拳はこのテーマを代表するエンディングだと思うし、それもいいと思う。
でもエウレカとレントンが選んだエンディングはそうではない。互いを思い、同じ方向を見て、歩幅を揃え、肩を並べて歩く。ただそれだけのことを、エウレカが時間をかけて知るというお話。
ただそれだけのことをアニメで表現するのが物凄く難しいことだったんだ、という15年でもあった。その為に多くのキャラクターや世界が犠牲になったとも言えるかもしれない。そこまでしないと表現できないテーマだったんだと、本作を見届ける事ができた今、心の底から実感している。
なぜニルバーシュが複座なのか
『TV版』作中でノルブが「ニルバーシュが鍵となる」というシーンがある。
『TV版』最終回にてレントンとエウレカは結婚するわけだが、「結婚は人生のゴールではない」とはよく言ったもので、以降のエウレカシリーズは「結婚生活の苦悩」と喩えてもいいだろう。
ニルバーシュtype3は1人乗りの白馬であった。私の先輩は結婚式にて白馬で登場して会場を盛り上げていたが、結婚生活に必要なのは白馬ではなくファミリーカーなのだ。
2人で共に歩むということ、その難しさを私自身結婚して肌身に感じている。だからこそアイリスを連れ去られたエウレカと一緒に泣いてしまったし、アネモネに叱責されてまた泣いてしまった。
愚痴
安易な言葉で解釈できない作品を享受した時に、未知から来る恐怖感を払拭するため、安易な言葉で揚げ足を取って駄作だと吹聴して回る様なオタクにだけはなりたくないと、そう思って生き方を拗らせてしまいました。しかしこれだけ拗らせておいて本当に良かったと、そう思える作品でした。
とかいっても自身の雑魚語彙で感想文かくとファーストインプレッションが穢れる感も否めないんよな⋯もっかいみにいこ⋯
京田監督、16年間本当にありがとうございました。
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