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エマ・ストーンのビーチクを観に行こう

『哀れなるもの』
どうやらすごい映画らしいので、予告もあらすじも見ず、エマ・ストーンのビーチクが観れるらしいという前情報のみで観に行ってきた。

むっちゃくちゃにグッサグサに刺された。
途中からこれはフィクションの皮をかぶったあるある探検隊だと思った。

感想文を書こうにも、それは自分の過去や現在の残虐性に直結してしまい、向き合いきれないと思った。内省に留め置く他ないと。

ただ、自分のこの感情をテイよく美化した感想を追い求めてざっとツイッター(現X)を巡っても、自分とは真逆の感想しか見当たらず。鑑賞後に見ようと思っていた感想動画は気づいたら無くなっていた。

なのでこの感想は自分にしか吐けないモノなのではないかと意を決して、二つに項を立てて感想を残しておく。

オエー

前説:ハイクオリティ・フィクション

とにかく映像がすごい。美術がすごい。衣装がすごい。演技がすごい。音楽がすごい。
そして舞台設定がすごい。フィクションとノンフィクションの合間、19世紀と20世紀の合間。

故に、フィクションでない部分をグロテスクに浮き彫りにする。

この映画に写る嘘でない部分、それが余りにも嘘でない。

欲求、嫉妬、愛情、父性、哲学・・・

かんそう1:体と精神の成長のギャップ

一般的な発達ができる人間なんてそう多くはなくて、大なり小なりそのギャップに悩まされる時期が来る。
それは単にどっちが早い、どっちが遅いと判定できるものでもなくて、所謂論理的思考力的なものが身についたとて、欲求を抑制し常識的な社会的生物としてのふるまいが身につくかどうかはまた別問題である。

ベラの発達はファンタジーでコメディカルなシーンで演出され、私も最初はニヤニヤしてみていたが、マーク・ラファロぶん殴ったあたりから彼女を他人事とは思えなくなり、酷く感情移入してしまった。

自分と他人や自分と社会との境界線を器用に認知できず、一方で知的好奇心と思考能力は肥大化していく。
僕にとっては小学校高学年以降の担任の先生に恵まれたし、都度話し相手になってくれる友人がいた。
中盤以降ベラは少ないながら濃い人間関係を築き始める。セックス以外で。

音楽への関心が冒頭・ダンス・一人散歩・娼館で変わっていくのも刺さった。

最近、自分の判断基準や自己認識について悩む際、幼少の思い出や親に言われたことを中心に思考することが多い。
自分のルーツへの知的好奇心が止められなくなったベラを見た時、共感性に耐え切れなくなり目頭が熱くなってしまった。

かんそう2:バカっぽい女を見る男のリアリティ

「所詮、男の描いたフェミニズムだな」的な感想をみた。
そうかも。

それ故に、バカっぽい女に対して圧倒的嗅覚を発揮し股間ビンビンで近づく男が本当に生々しかった。(これでもまだ薄めてる方だと思う)

そういうタイプの男は本当に嗅覚がキモイ。男から見てもキモイ。でも結構な数いる。うまいことヤってるっぽい。

なのでベラがぼっこぼこに脳破壊してくれて本当にすっきりしました(*´ω`)

あんまりいいこと言ってない

自分に返ってくるだけなので、極力パワーワードを避けて言語化してしまったので、わかりにくいかもしれない。
僕みたいな素人がそういう”生きづらさ系パワーワード”を軽はずみで使いたくなかったです。もしくはその勇気がなかったです。自身の残虐性を丸出しにするだけなので。

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